祭りの翌日は曇りだった。曇天の空を見上げながら、僕はある場所へ向かって歩く。目的地は家からそう遠くない場所にあった。
クリーム色の一軒屋の前に立ち、ピン、ポーンとインターホンを鳴らす。
家の奥から誰かの足音が聞こえた。やがてこっちに向かって来るだろう、男の顔を思い浮かべる。時刻はまだ昼前で、今日は平日ということもあり、家の中に「彼」しか居ないのは明白だった。だから僕は、こうして家にやって来たのだ。
「透?」
インターホン越しに聞き慣れた声が響く。その人物は、僕の訪問に気づくと、ドドドッと細長い廊下を駆け抜け、それから玄関の扉を開けた。
「透……どうしたの急に」
茶色の髪が揺れている。男は驚きで目を丸くしながら、突然やって来た僕を出迎えてくれた。そう、現れたのは篠原景也だった。
「連絡もなしにごめん景也。ちょっと話したいことがあって来たんだ」
昨日の祭りで、クラスメイトの言葉に「俺もそう思う」と返していた景也の姿を思い出す。あれは、僕と遠坂隆二は付き合っていない、という意見に同調したのか。それとも、男同士で付き合ってることに軽蔑してのことだったのか。真相は定かではない。
景也は僕を気持ち悪いと思っているかもしれない。それでも今日、どうしても話さなければならないことがある。
「……分かった。俺の部屋においで。夕方まで誰も帰って来ないし、ゆっくりしていってよ」
そう言って微笑む景也の顔に、わずかな不安が滲んでいた。おそらく彼も、いつかはこんな日が来ると予想していたのかもしれない。それでも心のどこかで、勘違いであって欲しいと願ってる。
クールに見えて、実は案外分かりやすい景也の特徴は、昔から何も変わっていない。でも、だからといって、もう気付かないフリはできなかった。
「ありがとう。お邪魔します」
僕は今から、過去の記憶と決着をつける。
※
景也の部屋は相変わらず整っていた。
本棚には漫画や小説、参考書が並べられているし、ベッドには、僕が昔プレゼントした犬のぬいぐるみが置いてあった。
「そういえば、透が好きだって言ってたゲームの最新版、買ったんだ。透さえ良ければ、また昔みたいに俺と遊んでよ」
ソファの上に腰掛けた僕に、景也は優しい声で言う。本題に入るのを避けているのか、口元は笑っているのに、濁った瞳は、まるで飼い主の機嫌を伺う大型犬のようだった。
「景也の部屋は相変わらず綺麗だな。なんか、空気が澄んでる気がする」
「透が来たからだよ。ほら、空間に綺麗なものがあると、周りも輝いて見えるでしょ」
「ははっ、なんだよそれ。まるで僕が綺麗だって言ってるみたいだ」
「そうだよ」
「え」
「透は綺麗だよ」
いつの間に置かれていたのだろう。テーブルには、氷の入れられたジュースやお菓子が置かれていた。本棚の傍にある景也の机には、夏休みの課題が広げられている。成績もよく、要領もいい彼は、きっとこの先も上手くやっていくのだろう。
僕が何も言わなければ、これからもずっと、過去の出来事を無かったことにするのだろう。でもそれは、景也の心に負担を強いるのと同じだ。このまま何もしないのは、逃げているのと変わらない。
「僕が海で溺れた日のこと、覚えてるだろ」
「……」
景也は何も答えない。貼り付けたような笑顔だけが浮かんでいるが、その口端が引きつっていることに、僕だけは気づいている。
「あの日、目が覚めた僕の隣には、景也が居た。君は僕を助けたと言ったし、実際に僕も、景也が助けてくれたと思ってた。でも──そうじゃなかったんだ」
肩が触れる距離で座っているのに、目線が合わない。それが景也にとっての唯一の抵抗なのだと悟る。長いまつ毛の奥で見える瞳は、動揺で揺らめいていた。
僕はすっと息を吸うと、視線の重ならない彼を見て言った。
「あのとき僕を助けてくれたのは、遠坂隆二だったんだ」
景也の顔がくしゃりと歪む。後悔と罪悪感を含んだ瞳を滲ませて、彼はようやく僕を映す。
「……ぜんぶ思い出したんだね。透」
※
あの日、僕と景也は親に連れられて海に来ていた。太陽の光を浴びた海は本当に綺麗で、しばらく興奮が抑えられなかったのを覚えている。
この美しい海はどこまで広がっているのだろう。子供ながらの好奇心に駆られて、僕は、気づけば親や景也のことも忘れて、海を追うように砂浜を歩いていた。足裏に伝わる砂の感覚が心地よかった。
どれくらい歩いただろう。振り返っても景也たちの姿が見えなくなってやっと、僕は自分の過ちに気づいた。
あんなに居たはずの人が、気づけばほとんど居なくなっていたし、砂浜は剥き出しの木や空き缶のゴミが多くあった。流れてきたのだろうと察する。
「……も、戻らないと」
海から目を離して、来た道を引き返そうとしたとき。僕の視界が捉えたのは、一人で海を眺める少年だった。
墨色の髪が宝石みたいな光を放つ、僕と同い歳くらいの彼は、なぜか寂しそうな顔で海を見ていた。
ほんの興味心だった。僕は拳を握りしめ、気づけば彼に歩み寄っていた。
「こ、こんにちは!」
ドキドキしながら話し掛ける。しかしどうだろう。僕の声に気づいていながら、その少年は何も言わなかった。ちらっと僕を見やってすぐに、詰まらなそうにまた海を見る。
この子の笑った顔が見たい。無視されておきながら、僕は愚かにもそんなことを思った。それ以降はもう、僕の一方的なアタックが続いた。
「僕は千街透! 苺が大好きで、今日は友達と海に遊びに来たんだ! ……でも、はぐれちゃって。ねえ、君はなんていう名前なの?」
ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。小さな口を一生懸命開いて、僕は必死にアピールした。こっちを見て欲しいと思ったし、あわよくば笑わせたいと思ったからだ。
そんな努力が甲を制したのか。もしくは、ただ馬鹿な奴だと思われたのか。彼はやがて、ふっと優しく笑ったかと思うと、蚊の鳴くような声でいった。
「俺の名前は……隆二、遠坂隆二」
海を背景に小さく微笑む彼に、僕の胸は高鳴っていく。
「りゅ、りゅうじ! 格好いい名前だね」
返事をしてくれたのが、嬉しくてしょうがなかった。僕はパアッと目を輝かせて、「隆二、隆二」と彼の名前を何度も呼んだ。
すると彼は、たちまち警戒を緩めて僕の言葉に耳を傾けてくれるようになった。
「隆二は何が好きなの? 僕は苺だよ。特にケーキに乗った苺が大好きなんだ!」
「……好きなものなんて別にない。俺は飽きやすい性格なんだ」
「へえ、じゃあこれからできるといいね! 隆二が大人になっても飽きない、ずっとずっと好きなものが!」
「……ふっ、そうだな」
僕のくだらない話題にも、彼は嫌な顔ひとつせず聞いてくれた。それどころか、たまにプッと吹き出して笑うから、目が離せなかった。
少し話して分かったことがある。彼が一人で海に来ていたのは、寂しかったからだ。
どうやら彼の父親は早くに亡くなり、母親と二人で暮らしているけど、その母親とも、仕事が忙しくてなかなか会えないのだという。
「寂しいなら、僕が隆二の友達になるよ! だって、そうすればもう寂しくないでしょ」
「おまえな、そんな簡単に言っていいのか? もし俺が悪いやつだったらどうするつもりだ」
「隆二は悪いやつじゃないよ! 僕には分かる」
「はっ、何を根拠に──」
「だって、悪者はそんな優しい顔してないもん!」
「……優しい顔?」
彼はきょとんと首を傾けた。時折見せる優しい表情を、まさか自覚してなかったなんて。これは教えてあげなければならない。そんな使命感に駆られた僕は、海にぶつけるような大声で言ったのだ。
「うん! 僕、君の笑った顔が好きだな!」
その瞬間、遠坂隆二を名乗る少年は、ピタッと動きを止めてしまった。瞬きも忘れ、呼吸さえ忘れていたかもしれない。まるで離してはならない大切なものでも見つけたような顔で、ジッと僕を見てきたのを覚えている。
「せんがい、とおる」
「えっ、なに?」
「おまえは──」
「透っ!」
僕たちの会話を遮るように聞こえてきたのは、焦りを含んだ篠原景也の声だった。僕は「あ!」と思い出したように手を挙げると、こっちに向かって走ってくる景也に駆け寄った。
「透、どうして来んな遠くにいるの? 目を離した隙に勝手に居なくなるなんて……心配したんだよ」
「ごめん景也、海がどこまで続いてるのか気になっちゃって」
「この辺りは木やゴミが多くて危ないよ。分かったらもう戻ろう」
景也が僕の手を引いて歩こうとする。そんな彼の動きを止めるように、僕は「待って」と声を震わせた。
「景也に紹介したい子がいるんだ。友達の遠坂隆二くんだよ! さっき仲良くなったんだ」
「……友達?」
景也がひくっと口元を歪ませる。それに気づかない僕は、彼の手を離して遠坂隆二のもとへ走る。
佇んでいた彼の手を握り、景也に紹介しようと連れ出した。
「隆二、この子は景也だよ! 幼馴染で、今日は一緒に海に遊びに来たんだ」
三人仲良く遊べたらいいな。当時は、呑気にもそんなことしか考えていなかった。僕が遠坂隆二を名乗る少年と仲良くなったように、景也も彼と仲良くなれば、嬉しくなるのではと思った。いま思えば、その考えが間違っていたのかもしれない。
「景也と隆二! 一緒に砂のお城作ろうよ!」
「うん、いいよ」
しぶしぶ肯定する景也と、なぜか僕から視線を話さない遠坂隆二の三人で、砂の城を作ることになった。
「お城のてっぺんに旗を立てよう! 僕と景也と、隆二のお城だよ!」
作成中も、僕は会話をすることに夢中だった。景也以外の人と長く話すのが久々だったからかもしれない。頬に砂がついていることにも気づかず、止まらない口を動かし続けた。
「透おまえ、砂ついてるぞ」
腕が伸びてきたと思えば、温かな手の甲が僕の頬を撫ぜた。遠坂隆二が、汚れを拭き取ってくれたのだ。たった一瞬の出来事だった。されるがままに止まる僕と、砂を払って「これで綺麗になった」と笑う彼をみて、景也は急に大声を出した。
「透は俺とだけ遊ぶんだよっ」
急に腕を掴まれる。身体がくらっと傾くと同時に、茶色の髪が目と鼻の先までやって来ていた。景也にしがみつかれていると悟ったときには、彼の目はもう滲んだ後だった。
「透以外はここから居なくなって」
「け、景也……なんでそんなこと言うんだ? みんなで遊ぶのも楽しいよ」
透は人見知りしやすい性格だから、まだ初対面の遠坂隆二を相手に緊張しているのだろう。当時の僕はそう解釈した。実際、景也がこの手の不満を言うのは珍しいことでもなかったし、何より僕がまだ、遠坂隆二と離れたくないと思ってしまっていた。
「っ!」
僕の言葉に突き放された気分になったのか。景也が海に向かって走り出したのはそのときだった。水着の用意はしてあっただろうが、そのときの僕たちはただの服を着ていたし、両親からは、大人の目がないところで泳ぐ危険を口酸っぱく聞かされていた。
だから僕は、すぐに景也を止めなければと思った。
「待って景也!」
駆ける彼の背中を追い掛けるように、僕も必死に走り出す。その差は数メートルほどだった。海は奥に行くほど深くなる。足がつかなくなったら大変だ。
足がぴちゃりと海に浸かる。服に海水が染み込んで、身体が一気に重くなった。でも景也とは、手を伸ばせば届く距離まで近づいていた。良かった。どうやら彼も、そう奥まで行くつもりはなかったに違いない。これなら安全に戻れる。そう油断した。そのときだ。
「──え」
くるりと身体が傾いて、そのまま頭から水面に落下する。足場の悪い地面につまずいて、運悪く転んだしまったのだ。
息が苦しい! 視界がぼやける! はやく立ち上がらないと、と分かっているのに、海水を含んだ身体は思うように動かなかった。バタバタと手足を動かして、この状況を打開しようと試みる。
僕のそばには景也が居るはずで、彼に助けを求めればいいと考えた。幸いうっすら開いた目が、その存在をとらえるのが分かる。彼も今頃、僕が消えたことに気づいたはずだ。
助けて! 僕はここに居るよ!
心の中で強く念じる。しかしどうだろう。近くで立っているはずの景也は、一向に僕の前に現れなかった。息が苦しい。早くこの状況から開放されたいのに、身体はどんどん動かなくなっていく。息を止めるのにも限界がやって来て、鼻から海水を吸いそうになった。慌てて止めるも、苦しさは消えない。視界が段々とぼやけていく。こんな所で死んでしまうのか。そんな絶望に晒されて、意識を失いかけたときだった。
「透!」
沈んでいたはずの身体が浮かび上がる。咳き込む僕の鼓膜を揺らすのは、動揺混じりの真剣な声だった。遠坂隆二の声だ。
「大丈夫か! おい!」
僕を砂浜へ引き戻す途中、彼が「う゛っ」と小さく呻く声が聞こえた。うっすら開いた視界の中で、手を抑える遠坂隆二の様子が見えた。おそらく剥き出しの木やゴミの破片で、手の甲を怪我したに違いない。血が出ていた。彼こそ助けが必要だったはず。
それなのに、そんな傷などどうでもいいと言わんは分かりに、遠坂隆二は僕を安全な場所まで運び出してすぐ、景也の胸ぐらに掴みかかった。
「おまえ……いま自分が何したか、分かってるんだろうな! おまえのせいで透が溺れ死ぬところだったんだぞ!」
「ち……違う、俺はただ、透に俺を見て欲しくて」
「今は言い訳してる場合じゃないだろ。透を救護室まで運ぶ。突っ立ってないで手伝え!」
手の甲から血を流しておきながら、その人物は僕を救護室まで運んでくれた。一刻も早く手当するべきだったのに。痛みを堪えて動いてくれた彼の存在がなかったら、僕は今頃大変な目にあっていただろう。
救護室のベッドで目が覚めると、そこにはもう、遠坂隆二は居なかった。手の甲に怪我を負ったのだから当然だ。
溺れたときに着ていた服には、わずかな血痕が付着していた。溺れたことによるショックか、僕は愚かにも、遠坂隆二に出会ってから溺れるまでの記憶を、すべて忘れてしまっていた。そう。
──き、君はなんなんだ! 僕は君のことなんて知らないのに……他人のくせに、なんであんなふざけたことを。
──……ははっ、そうだ。俺とおまえはただの他人だ。俺はな、おまえのこと助けてやったんだよ。気まぐれにな。
──僕を、助けた?
──色んなやつに告白されて面倒だったんだ。なあおまえ、俺と付き合ってる振りしろ。
高校で再び彼と出会うまでは。
※
「……ぜんぶ思い出したんだね。透」
僕の記憶が戻ったと知ると、景也は複雑そうに顔を歪めた。いつか来ると分かっていながらも、やはり込み上げるものがあるのだろう。
「景也はどうしてあのとき、あんな嘘をついたんだ。遠坂隆二のことを、どうして教えてくれなかったんだ」
「……救護室に運ばれたあと、目が覚めた透が言ったんだ。『ここはどこ? 今日は海に行く予定じゃないの?』って。それを聞いて俺は……最低だけど、まだバレてないんだって安心したんだ。透がこうなったのも、ぜんぶ自分のせいなのに、透に嫌われるのが怖くて、ずっと言い出せなかった」
隣に座る景也と、視線が重なる。何年もの月日を経て、ようやく明かされた真実を、僕は黙って受け入れるしかない。
「彼の存在をなかったことにすれば、これからも俺を見てくれるんじゃないかって思った。でも、透に嘘をついて勝ち取った信頼なんて、いっときの幸せに過ぎなかったんだ。透がいつ思い出すか。いつ僕の嘘に失望するか。そんなことを考えたら、恐怖と後悔しか湧かなくて、早く本当のことを言わなきゃと思うのに……言えなかったんだ」
「景也……君って、もしかして」
「そうだよ」
細長い指先が頬に触れる。瞳に不安の涙を滲ませながら、彼は全てをさらけ出すように言った。
「俺はずっと、透のことが好きだった。初めて会ったときからずっと……!」
訴えるように発された突然の告白に、思わず動揺してしまう。景也が僕を好きだなんて、そんなこと、天地がひっくり返っても、ありえないと思っていたから。
「高校に来て、透が遠坂隆二とあった瞬間、まずいと思った。入学式の日のこと覚えてる?」
「入学式?」
「俺と透が会場に向かおうとしていたら、廊下の曲がり角で、透と彼がぶつかったんだ。彼はそのとき気づいたみたいだったけど、透は記憶が戻ってなかったから」
そう言われて初めて、僕は入学式での出来事を思い出した。初めての校内になれず、景也と迷いながら会場を探していたときだ。たしかに僕は、廊下の曲がり角で誰かとぶつかったことがある。まさかそのときの相手が、遠坂隆二だったなんて。
「彼を見ても思い出さないなら、これからも思い出さないかもなんて、馬鹿なことを考えたんだ。……俺はずっと、透の記憶喪失に漬け込んで、自分がしたことを隠し続けてきた。あのとき透が海で溺れたのは、俺が馬鹿なことをしたからだった。溺れた透を前にして、自分のしたことで頭が真っ白になって、立っていることしかできなかった。謝って許されることじゃないけど……透、本当にごめん」
「景也……」
「こんなこと言う資格がないことは分かってる。でも俺は、ずっと、透のことが好きなんだ」
縋り付くように僕の肩に触れて、景也は言った。この場所から、俯いた彼の素顔までは見ることができない。けれど、膝に落ちる涙の粒だけは、隠れることなくあらわになる。
そばのテーブルに置かれたカップから、からん、氷の溶ける音が聞こえた。僕は小さく息を吸うと、俯く彼の頬を掬った。
「ごめん景也。君がずっと言い出せなかったのは、僕のせいだ。僕の言葉が、君を追い詰めてたんだ」
僕はこれまで、自分を救ってくれたのは景也だと思い込み、身勝手にも彼を「正義のヒーロー」に仕立て上げていた。一方的な恋心を押し付けて、真実を知ろうとしなかった。いま思えば、なんて虫の良い話だろう。景也の好意に甘えていた自分が、とても情けなく思えてくる。
「景也の逃げ道を塞いで、僕が君をここまで追い詰めたんだ。君はあのときも、居なくなった僕を探しに来てくれたのに──」
「違うよ、透は何も悪くない。俺が構って欲しさにあんな馬鹿なことをして、透を騙したのがいけなかったんだ」
「騙してないよ。倒れた僕が目を覚ますまで、景也はずっとそばに居てくれたし、それに今の今までだって、ずっと僕のそばにいてくれただろ。僕が君に何度救われたか」
「どうして怒らないの」
景也が顔をあげる。大粒の涙が頬を伝って、彼の綺麗な瞳を滲ませていた。どうやら景也は、今まで隠していた事実が明るみになったら、僕に怒られると思っていたらしい。
身体は大型犬のような迫力に溢れているのに、中身は子供の頃から変わらない。不安に顔を歪める彼を見て、僕はふっと頬を緩ませた。
「僕にとって景也は、大切な友達だから」
「……透」
「話してくれてありがとう。たくさん抱えさせてごめん。こんな僕で良ければ、これからも仲良くしてくれないかな」
視界の横を腕が通り過ぎたと思えば、僕の身体は抱きしめられていた。首筋に顔を埋めて泣く景也は震えている。過去の記憶が明らかになったこのとき、僕はやっと、自分の気持ちに気づくことができた。
合わなきゃならない人がいる。決心した僕の背中を押すように、グラスの氷がからん、と音を響かせた。
※
景也は泣き止んだあとも、僕と離れることを拒んだ。まるで小さな子供に戻ったように、しばらく僕の腰に抱きついて動かないから、戸惑いと喜びを感じてしまった。
これからも仲良くしてほしい。玄関で靴を履いた僕の背に向かって、景也は言った。「もちろんだよ」と笑って答えれば、彼は安心したように頬を綻ばせ、僕を見送ってくれた。
景也の家を出て、しばらく歩く。夏休みを満喫しよう、と思ったわけではなかったが、僕の身体は、気づけばバスに乗り込んでいた。運転手のアナウンスに合わせて揺れる車内を経て、その場所にたどり着く。
「……わあ」
空を見あげると、曇天の空は嘘のように消え、青い空が続いていた。雲ひとつない青色はまるで、目前に広がる海そのものだ。そう、僕はバスに揺られたあと、馴染みある海にやって来ていた。
平日の昼過ぎということもあり、そこまで人は居ないかと思ったが……夏休みを舐めてはいけない。小さな子供からお年寄りまで案外多くの人で賑わっていた。
あのとき溺れた海に戻ってくるなんて。思い出す前は恐怖なんて微塵も感じていなかった。が、今はどうだろう。過去の記憶を知った今、もしかしたら海に恐怖を感じるかもしれないと不安だった。 けれどこの綺麗な青を見ていたら、そんな心配は杞憂だったと思い知らされる。
頬をすべる潮風を浴びて、僕は大きく息を吸い込む。怖いものなんて何もない。だって。
「遅かったな。待ちくたびれて寝るかと思ったぞ」
大切な人が、笑顔で僕を待っているから。
※

