わけあって腹黒イケメンと偽装恋人をはじめたら、後戻りできなくなった話



 「泣いたのか? 目が赤くなってる」


  砂浜を歩く動きに合わせて、彼の墨色の髪が揺れた。遠坂隆二は、佇む僕の目の前までやってくると、そっと頬に手を伸ばす。


 「誰にやられた?」
 「虐められたわけじゃないよ」
 「それなら、あいつと決着をつけたのか」
 「……うん」


  話す僕らの背後で、緩やかな波が音を立てている。この間来たばかりだと言うのに、相変わらず綺麗な海だった。


 「ねえ、隆二。君はどうして、僕があのときの子供だってわかったんだ?」


  目前の彼を見上げて聞いてみる。僕の目が赤くなっているのが、そんなに心配なのだろうか。遠坂隆二は僕の頬に触れたまま答えた。


 「名前、教えてくれただろ」
 「でも、別に珍しくない名前じゃないか。同姓同名って可能性もあったのに」
 「透、俺を甘く見るなよ」


  にゅっと頬を引っ張られる。「いひゃいよ」と訴える僕を他所に、彼は眩しいほどの笑顔で言ったのだ。


 「俺は一度会った人間で、忘れたくないと思った人は絶対に忘れない性格なんだ。おまえは知らないと思うけど、俺たち、高校の入学式で一回だけ話してる」
 「あ」


  ──俺と透が会場に向かおうとしていたら、廊下の曲がり角で、透と彼がぶつかったんだ。彼はそのとき気づいたみたいだったけど、透は記憶が戻ってなかったから。


  ふと、景也の言葉が頭に流れる。彼が言っていたのはこのことだったのだろう。


 「ぶつかった瞬間、俺はおまえが誰だか分かった。なんせずっと探してたからな」
 「まさか、あのときの相手が君だったなんて」
 「廊下の曲がり角でぶつかるなんて、ロマンチックな再会だと思ったな。なのに、ぶつかった直後、おまえは俺を見てなんて言ったと思う」
 「……なんて言ったんだ?」
 「『あ、すみません』だ」


  記憶喪失になっていると知らなかった遠坂隆二にとって、これほど辛いものはなかっただろう。自分はあの日の出来事をずっと覚えていたのに、相手にとっては忘れてしまうような記憶に過ぎなかったんだ。そう勘違いして、僕に怒りさえ覚えたかもしれない。


 「ご、ごめん。そのときも、君と話すようになってからも……君を赤の他人だなんて言ったこと、後悔してる。無神経だった」
 「気にしてない。それよりも、なんでもないように謝るおまえをみて、何かおかしいと思ったんだ。篠原景也が俺を警戒してるのは分かったし、事故の規模も考えると……おまえは俺を忘れたんじゃなくて、思い出せてないんだって結論に至ったわけだ。まあ、願望に近かったけどな」


  こつん、と互いの額がぶつかる。思わぬ至近距離に顔を赤くする僕とは裏腹に、遠坂隆二は笑っていた。悪戯を思いついた子供のような顔だ。


 「初めのうちは、思い出せなくても、時間がそのうち解決するだろうと思ってた。でも、俺はそんなに我慢できる性格じゃなかったみたいだ。入学して数ヶ月で痺れを切らして、透を振り回したからな」


  だからあんなにタイミングのいいところで現れたのか。全ては単なる偶然なんかではなく、意図的に仕掛けられたものだったのだ。


 「でもこうしてちゃんと思い出せたんだ。この勝負、俺の勝ちだな。透」


  僕の頬にキスをして、遠坂隆二が優しく笑う。光る海よりも眩しいその表情を前にすると、悔しさや怒りなんかよりも、ぐっと胸が熱くなるような緊張を覚えた。
  初めて会ったときからずっと、僕は彼の笑顔に弱いのだ。


 「ふふっ、急に僕の前に現れて、出てきた言葉が、偽の恋人を演じようって提案だったのか」
 「それについては……思い返しても情けないな。まあ、あれだ。透に本当のことを話して、『覚えてない』って言われるのが嫌だったからな。まだ子供だったあのとき、おまえに話しかけられた瞬間、俺の世界は明るくなったんだ」
 「大袈裟だな」
 「本当だ。おまえが居たから、俺は人を嫌いにならずに済んだ」


  手を握られる。そうかと思えば、指先が密着するように絡まった。互いの熱が伝わる。余裕のなくなる僕とは裏腹に、走り出した遠坂隆二は止まらない。


 「初めて会った時から、透のことが好きだった」


  触れた手を通して、張り裂けんばかりの心臓の音が聞こえた気がした。


 「今度は偽物なんかじゃなくて、俺と……本当の恋人に、なってくれませんか」


  どっちの音か分からない。涼しいはずの部屋が熱くなる。なのに苦しさは全くなくて、むしろ、高揚さえ感じた。


 「もう後悔しても遅いからね」


  手を握り返して笑うと、遠坂隆二は「え!」と柄にもなく歓喜の声を上げ、それからボッと顔を赤くした。まさか告白が成功すると思っておらず、そのあとのことを何も考えて居なかったのだろうか。急にたどたどしくなる彼を見て、僕はプッと吹き出してしまう。


 「隆二はずるいよ。こんなに格好いいのに、可愛くもなれるなんて」


  笑う僕の姿を見て、緊張が解けたのかもしれない。初めは苺のように赤く頬を染めていた遠坂隆二も、やがて釣られるように笑った。それから、大切なものに触れるような優しい手つきで、僕の唇にキスをした。


 「透、愛してる」
 「……っ! うん、僕も!」


  潮風が二人の頬を撫でる。煌びやかな砂浜の腕、僕たちは顔を見合せて笑った。

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