隣の席の大型犬みたいな男がぐいぐいくる

コンクリート打ちっぱなしの壁にドンキで買ってきたフックを貼り付けて、キャンプの夕焼けの写真を飾った。
うん、いい感じだ。
殺風景だった部屋に、火がともったよう。なーんて。
けっこうセンスいいだろって自慢したいのに、そういうときに限って広川が家に来ない。
写真、飾ったとこ見せたいんだけどな。

洗面所のコップに立っているグリーンの歯ブラシを取ると、残った青い歯ブラシがカランと音を立てる。
しゃかしゃかと歯を磨き、シャワーを浴びた。

タオルで頭を拭いているときに、洗濯機の上に置いたスマホがぶるっと震えた。
見ると、

『エプロン忘れた。レンちの持ってきて』

広川からだ。今日は家庭科でエプロンを使う。
広川の置きエプロンがうちにあるんだ。

『りょ』

くだらない頼み事が嬉しくて笑ってしまう。


*  *  *


調理実習。
調理台の並ぶ部屋には、酸味、辛味のスパイシーな香りが漂っている。テーマは「エスニック」だ。班ごとに分かれてそれぞれで決めた料理をつくる。
オレの班は、メキシコ料理!タコス!
小麦粉でトルティーヤを作り、トマトやキャベツを刻んで挟む。うまく出来たら家でも作ろう。

オレが、エプロンをつけて気合をいれていたら

「あ、真野くんかわいー。エプロン似合う!」

カオリン!

すらっとした長身の美人。一緒の班だ。桐山の彼女だけど、女の子に褒められるのは嬉しいな。ホクホク。

向こうの調理台では、カフェ店員風のエプロンをつけた広川が、ピンクのエプロンをつけた水無瀬と仲良さそうに話している。
悔しいが、そこだけ花が咲いたように明るくてお似合いだ。周りの奴らもため息をつきながらチラチラと見ている。
まあ話している内容は、可愛いとか手料理食べたいとか、下世話ネタばっかりなんだろうけど。

面白くない。

忘れられない女の子がいても、そういうことができるわけだ。……オレには関係ないけど。

「真野、そろそろじゃね?」

横から桐山に声をかけられた。桐山もオレの班だ。
おおっと、フライパンの上のデカいギョーザの皮、もといトルティーヤの表面がぷくぷくと膨らんでいる。慌ててフライ返しでひっくり返す。

「桐山くん、キャベツ取ってくれる?」とカオリン。
「あ、すぐ洗うから待って」

カオリンと桐山は息の合ったやりとりをしている。新婚かよ。オレとほかの同班男子は羨ましさのあまりため息をつく。

隣の班はベトナム料理らしく、数人が黙って調理台に向かい、生春巻きをくるくると巻いている。
奥の班はタイ料理で、トムヤムクンの辛くて酸っぱい匂いを放つ鍋の周りに味見用の小皿を持った人が集まっている。

向こうの調理台では、泡だて器を持った広川が、相変わらず水無瀬と話している。
広川が、泡だて器とボウルを水無瀬に渡した。水無瀬が何かを撹拌している。
何を作っているんだろう。
何を話しているんだろう。

オレの視線に気がついたのか、桐山が声をかけてきた。

「あれ、ラッシーだよ。カレーとナンも。さっき見てきた」

ああ、インド料理を選んだのか。
ラッシーって作れるんだ。

「つーかあそこ、付き合いそうで付き合わないよな」

桐山がニヤッと笑ってカオリンに話をふる。カオリンと水無瀬は仲がいい。
オレは、どきんとして息を詰めた。

「そうだね。お互い、今の関係が心地いいのかもね」と大人っぽく流すカオリン。

オレは、カオリンの言葉にほっとした。

なんでだか、ほっとしてしまったんだ。
なんでって……。

オレは、カオリンに渡された野菜のボウルにタバスコを振り入れた。料理を決める時、みんな辛いもの好きと言っていたからちょっと多めに。
スライスした玉ねぎもいれたから、目がしばしばする。

……桐山や新井が広川と仲が良くたって、なにも思わない。
でも、水無瀬は嫌なんだ。

手が止まる。息が詰まる。
トルティーヤの皿を持った男子に話しかけられる。

「なー真野、お前もガン見してんなよ。オレだって広川と代わりてぇ。あ、そっち運んで」

オレは広川と水無瀬をガン見していたらしい。慌ててトレイにひき肉や野菜の皿を載せる。
テーブルセッティングをしたら、オレと桐山、カオリン、ほか男子でいざ、実食タイム!

美味い!
気分が一気に晴れる。ここはメキシコ! 
焼きたてトルティーヤがカリッとしてて最高。トマトもピリ辛で最高。

また、家で作ろう。広川にご馳走したら喜ぶかな。

そんなことを考えながら、放課後。


※  ※  ※


「あれっ?!」

オレは放課後の教室を見回した。
自販機で水を買ってすぐ戻ってきたのに、もう広川がいない。いつもは桐山や友人たちとだらだらと話して教室に残っているのに。

桐山のグループに近づく。

「広川は?」

机に座ってゲームをしている桐山に聞くと、顔をあげた。

「帰ったよ」

なんだ、帰ったのか。広川を誘って、昼間作ったタコス、忘れないうちにもう1回作ってみようと思ったんだけどな。

「あーそっか。ま、いいや」

オレがドアに向かおうとすると、後ろで桐山の周りの男子が話しているのが聞こえた。

「あいつ、水無瀬ちゃんと一緒にいたよな」

ドキッとして振り向くと、男子数人が笑い合っていた。

「調理実習んときデートの約束してたよ」
「マジか。いつもじゃれてるけどそういう雰囲気じゃなかったのにな」
「それは希望的観測!」

オレは、何か訊こうとしたけどなにも訊けなくて、そのまま教室を出た。
歩きながら考える。

どうして、広川と水無瀬のデートが嫌なのか。
広川は、大事な友だちだから。
一人暮らしに遠慮なくぐいぐい入り込んでくる、デカい犬みたいな奴だから。

「……」

昇降口で靴を履きかえる。下校後の中途半端な時間で誰もいない。

そして気づく。

オレは、広川の一番でいたいんだ。
どうしてかってーー

オレの一番は、広川だから。

広川は、オレに友だちを紹介してくれた。家事も全部教えてくれて……。
広川がいなかったら、いまどんな風に過ごしているか想像もつかない。

野球部が走り込みをしているグラウンドの横を通り過ぎる。舞った土ぼこりに目をこする。

広川だって、それなりにオレを特別に思ってくれてるんじゃないか?
あぁでも、桐山も新井も言ってたよな。広川の面倒見の良さは女の子を勘違いさせるって。

オレは女の子じゃないし、勘違いもしない。広川がオレを……きだなんて思わない。

けど、オレは。オレの方は多分ーー

足が止まりそうになるけど歩く。
校門を出ればすぐ家。
家の郵便ポストにはなにも入っていない。
スマホを見るけど、誰からも連絡が来てない。

たまたまなのは分かっているのに、どうしてこんなに泣きたくなるんだろう。