隣の席の大型犬みたいな男がぐいぐいくる

コンクリート打ちっぱなしの壁に三つ並んだダウンライト。

深夜に灯るのはそれだけ。 

規則正しい寝息。
額の汗をそっと拭く。

「……」

少し開いた唇から、体温を含んだ湿った息が漏れる。

ギシ、とソファベッドが軋んだ。


※  ※  ※


クンクン。
めっちゃいい匂いがする!! ご飯の炊ける匂い。鮭の匂い。

オレはぱちりと目を覚ました。
ん? 体が軽い!

起き上がる。カーテンは開けられていて、外は明るい。
キッチンにいるのは……

「あれ、元気なった?」

広川だ!

オレは感謝の気持ちでいっぱいになる。
熱を出したオレを保健室に連れていってくれた。薬も貰ってくれて家まで送ってくれて、それから、それから……。

オレはベッドから下りてキッチンに行った。
広川がなぜかジャージを着ている。
あ、そうか。服がなかったのか。急に泊まったから。……オレのために。

広川はオレを見てニカッと笑った。
手にお玉を持っている。お玉には米粒が付いていて、コンロの鍋には、ーーおかゆ! 真っ白な湯気の立った炊きたておかゆ!!

「さけ粥。食う?」

いい匂いのもとはさけ粥だった。

「食う!」

オレは広川に向き直り、直立した。
目一杯の笑顔で礼を言った。

「広川、ありがとう!」

一瞬、広川が真顔になった。……なんか変だったろうか?
オレも釣られて真顔になると、広川がふっと笑った。

「……どういたしまして。レンが素直だと調子狂うわ」
「いつも素直だよ。天使のように」
「へーへー」

広川は、ピッとコンロの火を消した。


「いただきます」「いただきます!」

2人で朝ごはんを食べる。オレも広川もおかゆ、と、卵焼き。
どちらも広川お手製。

「おかゆうめえ。卵焼きうめえ」
「うめえ。あ、味昆布もあるよ」

広川もニコニコしている。
テレビをつけると、七時のニュースをやっていた。登校時間まで間はある。なになに。かき氷の店? フルーツ練乳うまそう。

「おかわりあったよな? 全部食っていい?」
「どーぞ」

はふはふ。

「ごちそーさまっ」

オレはタオルをとってシャワーを浴びる。体はすっきりしていて熱の名残もない。
今日は火曜。
授業も少ないし、普通に登校しよう。

シャワーを止めて、タオルを手に取る。
いつものように、パンツ一つでリビングに行こうとして……さすがに一人じゃないから、ズボンだけははいた。上半身は暑いから裸のままで。
髪を拭きながらリビングに行くと、ベッドはソファに戻されていて、広川が座ってテレビを見ていた。こちらを見て、一瞬、目を見ひらく。

「広川はシャワーいい? まだ時間あるけど」

声をかけると、広川はテレビに視線を戻す。

「オレ、夜中入ったらいーや」

よく見ると、広川はもう制服に着替えていた。

オレはリビングに置きっぱなしのドライヤーを手に取った。
ソファに腰掛け髪を乾かす。ぶおおおん!とドライヤーが音を立てる。

「……きだった子がいてさ」
「え?」

広川が何か言いかけたけど、ドライヤーの音にかき消される。
ドライヤーを止めて広川を見ると、広川は真顔でオレを見ていた。しかし、あー、と言ってうつむいた。

「なんでもね」
「いや気になるて」

オレはドライヤーを手に持ったまま、広川に近づく。
ソファに座っている広川の顔をのぞき込んだ。
広川は目を合わせてこない。

さっきは、ドライヤーの音でよく聞こえなかったけど、ーーだった子って言ったような気がする。

好きだった子って、言った?

ドクン、と心臓が嫌な音をたてた。新井が言ってた、転校生の子のことかな。
あんまり得意じゃない話題。恋愛経験ないし。

「いや、中学んとき好きな子いてさ。すげー可愛い女の子で……」

「今でも好きなん?」

オレは広川の言葉を遮った。
胸がずきっとした。

でも、広川の話をちゃんと聞きたい。
見つめていると、ようやく顔を上げた。
視線が、鼻先10センチで交わる。

「……いや」

それだけ言って、広川は黙った。
それ以上何も言わなかったし、聞けなかった。

「ーーつかオレ、なんでこんな話しちまったんだろ」

「オレが信頼できる人間だから?」

オレは明るく笑ってごまかした。


※  ※  ※


「おっはよ! 真野だいじょーぶ?」

オレが教室に入るやいなや、桐山がすっ飛んできた。
額に手を当てられる。

「完全復活! もう何でも食える」

オレが席に座ると、前の席からーー

「良かったね。かなり具合悪そうだったから心配したよぉ」

鈴の鳴るような声で話しかけてきたのは、なんと水無瀬さん! にこっと可愛らしく笑っている。

風邪もひくもんだなぁ。でへへ。
と、思ったら、広川が割り込んできた。

「水無瀬ちゃん、オレ昨日、レンの看病してさ。もしかしたら、風邪移ったかも。ゴホゴホ」

「広川くん優しい。ほんとに風邪ひいたら、看病してあげようかな?」

「マジ?! じゃあ今日から腹出して寝るわ!」

はああー、と隣で桐山がため息をついている。オレもため息。
『好きな女の子いてさ…』と殊勝にしていた今朝の広川はどこいった。性懲りもなく水無瀬といちゃついてるしさ!

「レーン、一時間目教科書見せて。持ってなくて」

広川に言われて、はっとした。
そっか。広川、昨日家に帰っていないから、教科書がないのか。

「もちろん」

席が隣同士で良かった。机と机の間に数学の教科書を広げる。

前のドアから先生が入ってくる。
出欠を取り始める。教室は静かになっていく。

2人で教科書見るだけ。
ただ、それだけのことなのに。

ドキドキしてしまうのは、机の下で足と足がかすかに触れているからなのかもしれない。
お互い、……避けない。

オレは気にもとめないフリをしたまま、シャーペンをノックする。広川は頬杖をついている。

熱が伝わる。

避けたら、負け。