Engage Ring

 翌日
 俺は恐る恐る会社に入ると待ってましたと言わんばかりにれーくんが待ち伏せしていた。
 「よっ、荷物運んどいたぜ」
 「え、ありがとうございます……」
 「新しい仕事覚えてもらうから」
 「は、はい………」
 入社して一年も経っていないのに異動なんて普通なのだろうか、というかれーくんのところって何してるんだろうか。

 「ようこそ法務部へ、僕が法務部の部長の澤部です」
 「よ、よろしくお願いします……」
 (まさかの法務部……)
 法律とかそういうの全然知らないからついていけるだろうか………やっぱり今からでも辞退するべきか?
 「わからないことあったら俺が全部教えるから」
 「あ、ありがとうございます……」
 「じゃあよろしくな、七瀬くん」
 結局またトントン拍子で決まってしまった。しかも課長が直々に教育係なんて前代未聞だ。
 「じゃあまず簡単な書類整理やろっか」
 「は、はい」
 というか近い。ものすごく近い。教育係とはいえこんなに近くでいいんだろうか、耳のすぐ側でれーくんの声が聞こえる。
 「取引先に出す資料だから丁寧に書いてね、じゃあ終わったり何かあったら俺呼んで、真隣だし」
 「え」
 「アリーナ席、よかったな」
 (……確かに)
 俺は心の中でそう呟いた。

 「これでどうですか」
 「んーまあ及第点!この辺とかもっと別の言い方にしないと失礼って受け取られるかもよ」
 「あ、わかりました」
 「それ終わったら休憩な、今日もあるから昨日みたいになるなよ」
 「は、はい……」
 なんだか早く済ませろみたいな圧を感じるので俺は急いで修正し今度こそ提出し部長からもOKをもらった。
 「お疲れ様」
 「あ、ありがとう」
 「急に変えてごめんね」
 申し訳なさそうに謝るれーくんはなんだか神妙(しんみょう)な顔をしていた。
 「この前記憶喪失だって話しただろ?それでなんだか凪沙が懐かしい感じがするとも言ったじゃんか」
 「あー確かに?」
 「それでその時はまだわかってなかったんだけど、その後お前が貧血で倒れた時俺のことれーくんって呼んだじゃん」
 「………え?」
 無意識のうちにそう読んでいたらしい。俺が一気に青ざめ謝ろうとすると………
 「ごめ……」
 「なんか、その呼び方引っかかるんだよな」
 (引っかかる?)
 「俺、その呼び方昔聞いたことあるような気がしてさ、はっきりとは思い出せないんだけど………でもそいつが多分俺の初恋で大事な人なんだと思う」
 「っ………!」
 今言えば俺のことを思い出してくれるのだろうか、今しかないのか、もっと何か記憶を取り戻す手がかりはないだろうか。
 俺の頭はずっとそんなことでいっぱいになっていた。
 けれど言えない。「言ったところで思い出してくれるとは限らない」という考えがずっとよぎってくるんだ。
 それに無理やり引き出したって嬉しいかも分からない。考えすぎかもしれないけれど考えなしに突っ込みたくない。傷つきたくない。そんな気持ちが邪魔して踏み込めないでいた。
 「なぁ、凪沙。お前もしかして昔俺と会ったことある?」
 「えっと…………」
 なんて言えばいいのか分からず俺はそのまま固まってしまった。
 そういえば初めて会った時もこんな感じだったかな………

 十九年前
 「隣に引っ越してきた村山と言います」
 「よろしくお願いします〜、七瀬です」
 「こちらつまらないものですがどうぞ」
 「ありがとうこざいます〜!ん?その子は息子さん?」
 七瀬と名乗るおばさんは僕を指さした。
 「そうなんです、恥ずかしがり屋でして」
 「あらそうなのー?こんにちは!」
 「………こんにちは」
 引っ越してきたのは夏頃だったからセミがうるさいくらい鳴いていた。聞こえたかもわからないがおばさんはニコっと微笑みこちらに手を振ってきた。
 「そうだ!嶺ー!」
 「なあに?ママ」
 後ろからは自分と同じくらいの背格好の男の子が出てきた。
 「新しいお友達よ?ご挨拶しましょ」
 「……よろしく」
 僕が小さく呟くとその男の子は裸足のまま外にいる僕のほうへと向かってきた。
 「なぁ、お前名前は?」
 「な、なぎさ………」
 「ふーん、俺らどっかで会ったことある?」
 「え?わかんない……」
 「えーでもさー」
 男の子がそう言いかけた瞬間、おばさんかサンダルを履き、小さい靴を運んできた。
 「せめてお靴履きなさい」
 「別にいーじゃん、痛くねーし」
 「よくない!ばっちいでしょ!」
 「ちぇー」
 男の子は渋々おばさんが運んできた靴を履く。そして履き終えたかと思えば俺の手を取り全速力で走り出した。
 「あ、ちょっとどこいくの!」
 「凪沙ー!」
 お母さん達はいきなり走り出した僕達を追いかけようとするもどちらもサンダルだったため走りにくかったようであっという間に見えない場所に着いてしまった。
 「なぎさ、俺のひみつきちに連れてってやる!」
 「ひみつきち?ってなに?」
 「かっこいいおうちのことだ!こっちきて!」
 僕は連れられるがままに茂みを抜け開けた場所に辿り着く。そこには木で出来たと思われる家のような小屋が建っており、扉の前には多分高校生くらいの男の人がいた。
 「嶺またお前ここ来たのかよ」
 「俺のひみつきちだし!」
 「ん?その子は?」
 「隣にぴこしってきたなぎさだ」
 その人は僕のほうへと近づき目の前でしゃがみ込む。
 「嶺と同い年ってとこか」
 「?」
 「ガキ増えたらここバレるだろうがよ、ったく」
 男の人は琉風(るか)と言うらしい。
 「ここ、俺の秘密基地な、俺の親機嫌悪い時ここいるからまあ暇な時にでも来たらいい。わからないならあいつに聞けよ」
 「なぎさになら俺のひみつきち入れてやるぜ」
 「あのな、俺の秘密基地な」
 「俺のだもん!」
 二人が喧嘩していると突然大きなお腹の音が響いた。
 「なぎさお腹すいたのか」
 「じゃ、おいで秘密基地にお菓子あるからやるよ」
 「ほんと!やった!」
 「嶺のためじゃねえよ」
 「……あ、ありがとう」
 「おう、まぁ今回の子はまだかわいいな。お前に比べて」
 琉風はそう言って男の子を睨みつける。
 「俺はかっこいいからな!」
 男の子はそんな視線も気にせず鼻を高くする。
 「あー、麩菓子(ふがし)かレタス太郎しかねえや」
 「俺レタス太郎ー!」
 「だからお前のじゃねえって、どっちがいい?」
 僕はゆっくりとレタス太郎を指さす。
 「じゃあお前麩菓子な」
 「やだやだやだやだやだやだ!!」
 「あのなぁ、お前のためじゃないって言ったろ?こいつがでっけー腹の音鳴らしたからあげてるの」
 また喧嘩が始まってしまいそうと思い僕はレタス太郎を差し出す。
 「いっしょ、たべよ」
 「……うん!」
 「偉いなー!どっかのバカとは大違い」
 「バカはお前だバーカ」
 結局喧嘩は止められなかったけどレタス太郎は三人で分けようという話になり三人向かい合って一袋のレタス太郎を食べる。
 「俺はれいだ!よろしくなぎさ!」
 「よろしく!れーくん」
 「れい!!れーくんじゃない!!」
 「ハハハッ、かわいいからいいじゃん!俺も呼ぼうかなー」
 「お前はダメ!なぎさはいいの!」
 さっき言ったことと真逆のことを言っているような気がしたが今思えばただの天邪鬼(あまのじゃく)だったのかもしれない。
 「じゃあ、またね二人とも」
 琉風はあの時のおばさんみたいにニッコリ笑いながら手を振っていた。けれど少し寂しそうだった。
 腕を押さえて悲しそうな顔もしていた気がする。

 「……なぁ、なんかお前のこと懐かしい感じがするって思ってたけど違うのか?ただの気のせい?」
 「それは……えっと………仕事戻りますね」
 俺は逃げようとした。どう答えるべきかわからなかったから。言ったら記憶を取り戻す。言ったらワンチャン前よりもずっと近づけるかもしれない。そんな考えがよぎってしまうから。そういう関係は望んでないかもしれないから………
 俺が弁当箱を片付け逃げ去ろうとした途端突然壁に押し付けられた。壁ドンだ。
 「逃げないで……凪沙」
 「……えっと…」
 「せめてれーくんって呼んでみてくれないか」
 「それは………」
 「いいから」
 言わないと離してくれなさそうだ。観念して言う通りにしよう。
 「れ、れーくん………」
 「………ありがとう」
 「それじゃあ俺は……」
 そう言って立ち去ろうとすれば手を掴まれ引き止められる。
 「凪沙………」
 れーくんはふと俺の指へと目線を向けた。
 「……!その小指の……」
 「………え」
 俺がそう呟いた瞬間いきなりれーくんが俺を抱きしめてくる。
 「ど、どうした……」
 「やっと思い出した」
 「っ………!」
 見上げたれーくんの顔には少し涙が浮かんでいた。
 「なぎさ!」
 「れーくん……」
 この小指の小さな婚約指輪のおかげなのかな、でもこのままでいいのかな。
 少しモヤモヤする部分はあるけれどいつの間にか俺の目にも涙が流れてきていた。