先輩、この謎解いてください

 その日の夜。自分の部屋のベッドに横になった僕は、昼間の出来事をぼんやりと思い出していた。
『先輩がどんなこと感じてんのとか、何考えてどんな気持ちになってるとか、知りたい』 
(うわー……なんか……なんか……っ)
 木崎くんが言ってくれた言葉を思い出すと、胸の中がいっぱいになって、じたばたと暴れ出したくなってしまう。僕は勝手に緩む頬を抑え目を閉じた。
 昔からひどい吃音が出てしまったときには落ち込むけど、今回ばかりは違った。木崎くんが話を聞いてくれたからだ。
 自分の話し方がおかしいと気が付いたのは、小学生に上がった頃だった。クラスの何人もの友達に、『ちひろくん、しゃべりかた、へん』と言われたのだ。
 家に帰った僕は、母さんにそのことを聞いてみた。「ぼくのしゃべりかた、へん? ふつうじゃない?」と。
 すると母さんはショックを受けたような顔になった。そして僕を抱きしめて言ったのだった。
『大丈夫よ、大丈夫』
 何か大丈夫ではないことが起きているのだと幼い僕は思った。
 それから母さんは少し塞ぎ込むようになった。たくさんの本を読むようになって、一人のときはよくため息をつくようになった。夜に父さんと話をしながら泣いているのを見たこともある。僕はすぐに気が付いた。
(ぼくがへんなしゃべりかたをするせいだ――)
 母さんを悲しませたくない。その一心で僕は普通の子になろうとした。普通のしゃべり方ができる、普通の子。
 なるべくつっかえないように、発音の苦手なカ行やサ行は気を付けた。学校で音読するときは小さな小さな声で。友達と喋るときはどもらないようにゆっくりと。
 だがそれからしばらくすると、今度は言葉自体が出なくなってしまった。いくらしゃべろうとしても、顎が固まって動かなくないのだ。
 心配した父さんと母さんが大きな病院に連れて行ってくれ、そして僕は自分が『キツオン』というものだと知った。
 病院の先生は、僕と父さんと母さんに向かって丁寧に説明してくれた。
 『キツオン』の中にもいろいろな症状の種類があること。
 それは決して、母さんの育て方のせいじゃないこと。
 そしてもちろん、僕自身が悪いわけではないこと。
 先生は優しく話してくれたけど、心が不安でいっぱいになった。自分の体がピンセットで摘まみ上げられて、特別なガラスケースの中に分けられてしまったかのような感覚になったのだ。
 だけど母さんは逆に安心したみたいだった。
『大丈夫よ、千尋はちゃんと治るからね。いっしょに頑張ろうね』
 ――ちゃんと、治る。
 その言葉にそうか、と思った。自分はやっぱり変なのだ。普通じゃない。
 それから僕は学校の授業をときどき抜けて「ことばの学校」という特別な授業を受けたり、夏休みには吃音の子どもたちが集まるプログラムを受けに行ったりもした。違う小学校の子や学年の違う子に混じって頑張ったけど、それでも僕の吃音はなかなか改善しなかった。
 だから僕は『工夫』を始めた。
『言いやすい言葉を選んで、最小限に必要なことだけを小さな声で』
 カ行やサ行の言葉は苦手なので、別な言葉に置き換える。そうしていれば言葉がつっかえることは少なくなる。
 教室では本を読むようになった。本を開いて俯いて防御していれば、必要以上に話しかけられることもない。そうして僕は普通の子になった。
 でも、本当にそれで良かったのだろうか。
 新しいやり方だと自分を思いこませて、しゃべることを、誰かに何かを伝えることを諦めただけだったのではないか。
 僕はベッドから起き上がり、昨日ごみ箱の中に突っ込んだ原稿用紙を取りだした。皺になっていたところを伸ばし、そこに綴られた少し幼い自分の字をじっと見つめる。
 僕は少し考えてからノートパソコンを立ち上げた。
「――よし」
 大きく息を吸い、キーボードへと手を乗せた。