バラードはうまく歌えない

「そりゃ、ダメだろ」

 ちゃんと止まった。止めた、爪先……じゃ、なかった。よく見れば。踵で降りていた。

「…………」

 また間違っていたことに気付いて、ショックで、小さな溜息すら吐けなかった。

「お前、やる気あんの?」

 盛大な溜息付きでさらに放たれた飛鳥さんの言葉が胸を抉る。
 あります、やる気、十分あります。できないだけです。

「よし、休憩にしよう」

 ちょうどフォーメーション的に隣にいた凛さんが俺の頭をくしゃっと撫でた。
 誰も疲れてない。疲れてるのは俺だけ。

「すみません……」
「あとここ一箇所だろ。大丈夫、間に合うよ。自分を追い詰めなくてもいいから」

 東雲さんがそう言いながら、エンドレスで流れるように設定されている、次の動画配信予定の曲を止めた。

「どうしてもの時は切って繋ぐっていう奥の手もある」

 凛さんの言葉に、飛鳥さんがとてもとても嫌そうな顔をした。飛鳥さんの反応はもっともで。今やってるのは5曲目、デビューアルバムは全6曲だから最後から二番目の曲だ。

 一応、1曲目はMV仕様だから、ダンスとしては切れ切れで撮ってある。しかしそれ以降は通しですべて撮ってきた。誰かが少しでも振りを飛ばせば最初から撮り直しをしてきたのだ。

 裏を返せば、カメラを回せば失敗はほぼなく、数回のやり直しでやってきた。俺も何とか食らいついて、フミ先生にギリギリ及第点を貰えていた。及第点の中でも下の下の下とかそんなところだろうけど。

 本当にあと一箇所なのだ、最後、踵じゃなく爪先から降りて止まれれば、完成。言葉にすればたったこれだけだけど、それが今の自分には難しい。

 あと少しでその動画投稿用のライブバージョン風の撮影がある。それまでにはできてないと。撮影本番で初めてできました、なんて博打みたいなことでは駄目だ。

 みんなが休憩をとるためにレッスン室を出ていく中、壁一面に貼られている鏡の前に立って、最後のところの振りをやってみる。

 レッスン室の壁一面の鏡は、最初は、鏡に自分が映りそれを他人が見ている、という状況が慣れずに恥ずかし過ぎて直視できなかった。
 下手くそなダンスが嫌でも目に入り(当然だ、そういう意味の鏡だ)、みんなの激うまダンスに打ちのめされ、もう無理だと、みんなカッコいいなと現実逃避をするほどに自分はダメダメで。

 だけど今では、鏡がないと不安にすらなる。相変わらずダサい踊りだが、直視して己の姿をチェックできるようになった。歌っている時の姿もチェックする。

 みんなやってた。凛さんも東雲さんも京さんも海斗さんも瑞希さんも飛鳥さんも、みんな。鏡に自分の姿を映して、一つ一つの動きを真剣に確認していた。恥ずかしがるなんて、俺は何様だと思って。

「そこばっか気にしてると、他が雑になる。歌だって同じじゃねえの?」

 戻ってきた飛鳥さんが俺の横で鏡に向かって踊る。

 ……カッコいい。同じように踊れるとは到底思えないが、少しでも真似できれば。ぼちぼち一年が経つがみんなにはどう映っているのだろう。

 学校があるから長期休暇以外はやはり未だに週末しかここへ来れない。けど、平日はみんなもエスブレ以外のこともしていたりする(凛さんや京さんはキッズクラスのダンスの先生だし、東雲さんはレコード会社で事務のアルバイトをしていて、海斗さんは大学四年生、瑞希さんは役者の仕事、飛鳥さんは大学二年生)。にもかかわらず、完璧なのだ。東雲さんにいたっては歌も。

「そう考えるとまあ、最後のとこは繋いでもいいかもな。練習すればいつかはできるようになるし、撮影に間に合わなくてもライブで踊れればいいしな。今の桐谷は楽しく踊ることが先だろ」

 俺の顔がよほど絶望に満ち溢れた顔だったのか、飛鳥さんは慰めてくれた。
 最終的に繋ぐということになっても、撮影当日は踊りきれるよう頑張りたい。楽しく、も忘れないように。

 飛鳥さんのダンスを見ていると楽しくなる。飛鳥さん自身が楽しいのだろう。きっとそれが周りに伝染する。ダンスは無理でも俺の歌でみんなが元気になってくれるといいなと思う。

「はいっ」

 休憩が終わると最後はみんなで通しで踊り。凛さんからのダメ出しの後、練習は終了となった。

 そして東雲さんが事務所内で仕事をしていた藤堂さんを呼び出し、明日以降の予定の確認をして解散。今日は動画関係も取材もなく、寮の夕飯に間に合う時間だった。

「樹君、送っていくよ」

 藤堂さんの言葉に飛鳥さんが露骨に嫌そうな顔をする。わかってる、一人で帰れと言いたいのだろう。迷惑をかけるなと。……まのんさんに迷惑をかけるなと。

 そんなつもりはない。そんなつもりはないけど、送ってくれると言うなら、そこまでが藤堂さんの仕事だと言うなら。

 まのんさんに頬を張られたあの後、藤堂さんが飛んできて(きっと誰かからまのんさんの襲撃を聞いたのだろう)ひとこと、家庭の事情を持ち込んで申し訳ない、とエスブレのみんなに言った。そうは言うものの恐縮がる様子もなく、さらりと、それだけ。

 俺には「ごめん、痛かったね」と下げていた小さなレジ袋から小さな冷却ジェルパックを取り出して、冷やすように言い。そして、まのんさんの名前を一度も口にしないまま急いだ様子で仕事に戻って行った。

 何となくの違和感はみんなも感じたみたいだけど、藤堂さんは仕事の虫なんだよな、という結論で終わった。

 勝ち負けじゃない。これは俺の勝手な思い込みで。今俺はまのんさんより大事にされてるんじゃないかという、思い込み。仕事だということもわかってる。

「あ、樹は俺が送っていきますよ」

 リュックを肩に下げて藤堂さんの方へ足を向けた時、凛さんが行く手を阻むように隣に立った。