部屋の扉を開けると籠っていた熱風が一気に溢れ出し、冷え切った俺の身体を包み込んだ。
部屋の主である伶市はデニムと紺のセーター姿で、壁際に置かれたベッドの隅で小さくなっていた。
勉強机の上にはトートバッグが置かれ、椅子にはグレーのコートが掛けられている。その乱雑な掛け方は、コートを一回着てから脱ぎ捨てたように見えた。
……なんだ、クラス会に来るつもりあったんじゃん。
今日の仮病はあくまで突発的なことだとわかって、少し安心した。
「伶市、入るからな」
声をかけるも、伶市はこちらを見ようとしない。抱えた巨大なエビフライのぬいぐるみに顔を埋めて、じっとしている。まるで、母親に叱られるとわかって怯えている子供のようだ。
俺の着ているダウンジャケットが乾いた衣擦れの音を立てる。その音に反応するように、俺から少しでも遠ざかろうとするかのように、伶市は大きい身体をさらに縮こませた。
「おい、伶市、なんか言うことは?」
ベッドの側に腰を下ろし、出来る限り落ち着いた声音で訊いた。
俺は事情が訊きたいだけで、怒るつもりは毛頭ない。
……まあ、伶市の答え次第によっては変わるかもしれないから、とりあえず“今”は、だけど。
だが、声だけでは俺の気持ちは伝わらなかったらしい。
「……ないよ」
固く、くぐもった声が返ってきた。
まだ、顔を上げようとしない。
「あるだろ。仮病使ったこともだし、それから——笹田さんのことも」
伶市は”笹田さんのこと“に反応するように、さらにエビフライをきつく抱きしめた。しなしなのエビフライが力なく尻尾を揺らす。
俺がクレーンゲームで取った時は、もっと揚げたてみたいだったのにな……。
無駄なものも装飾の類も一切ないシンプルな部屋は、家具の全てが新品に見えるくらい綺麗だ。その中で、このエビフライだけ年季が入っていて、見事に浮いてしまっている。
また尻尾が小さく揺れ、伶市がエビフライに埋めていた顔を僅かに上げた。
「さゆり…………、なんて……?」
「伶市にクラス会で協力してほしいって頼んだって」
ため息混じりに告げると、伶市は驚いたように目を瞬かせた。
「えっと……それだけ……?」
「何が知りたいんだよ」
俺は咎めるように少しだけ目を眇める。
途端に伶市は視線を彷徨わせ、言葉を詰まらせた。
いつもなら待つところだが、俺はあえて待たずに続けた。
「伶市に謝っておいてほしいって言われた。自分が頼んだせいで仮病使ったんだろうって……。笹田さん、伶市に今日来るなって言ったのか?」
俺の問いかけに、伶市は何度も横に首を振った。
「それは違う……!さゆりは、ただ……」
言葉が不自然に途切れる。
伶市は俯く。少しの沈黙の後、呟くように話し始めた。
「……一番の協力は俺がいないことかなって。だから休んだ。……俺が勝手にしたことだよ」
「なるほどな」
笹田さん曰く、伶市に頼んだのは“話せる時間をつくってほしい”ということだけだったそうだ。
「ほんと、たしかに勝手だな……それに矛盾しすぎ。俺に告白したと思えば、笹田さんに協力したり……いったい何がしたいんだよ」
瞬間、伶市の肩が微かに揺れた。
顔を僅かに上げ、諦めを含んだようなため息を吐く。その唇は少し血色を失っていた。部屋は夏のように暑いというのに。
「……さゆり、言ったんだ」
「おう。言われたよ。『好き』だって」
伶市の仮病の件で謝られた時に、伝えられた笹田さんの気持ち。
俺のことが好きで、ゆっくり話す時間がほしかった。だけど、俺の側にはいつも伶市がいるから。だから、あらかじめ伶市に自分の気持ち伝えて、協力を頼んだのだと。
それを聞いた時、俺はすごく安心したんだ。
——笹田さんが好きなのは、伶市じゃないんだって。だから、ふたりが付き合うことはないんだって。
だけど……。
だけど、それと同時にすごく腹も立った。
「……なんで引き受けたんだよ」
イライラが蘇り、語尾が強くなる。
伶市が俺と笹田さんを付き合わせようとしてたんだとわかって、正直ムカついた。
それに、俺に伝えてくれた気持ちと裏腹の行動が伶市に嘘をつかれような気にもなって、落ち込みもした。
だから、直接伶市と話しをするしかないと思って、俺はクラス会の途中で帰ってきた。
俺の質問に答えようとしない伶市をじっと睨みつけ、早く正直に話せという無言の圧をかける。
しばらくして、根負けした伶市が重い口を開いた。
「今ならまだやり直しがきくかもって……」
「やり直し?」
「俺が作った余計な分岐点の抹消を……」
「なんだよそれ」
伶市だけがわかる説明に俺は不満を漏らした。
俺が訊いてるんだから、俺にもわかるように説明してくれ。でなければ、話が進まない。
伶市はぐっと息を飲み込んだ後、苦しそうに顔を歪めた。
「……だって俺、由都の人生に余計なことしちゃったって思って。俺が告白なんてしなければ、由都は男から恋愛対象に見られているなんて気づかなくてよかったんだ。それを俺は勝手な独占欲で……」
伶市は矢継ぎ早に言葉を紡ぐと、不意に言葉を途切れさせ、続く言葉の代わりに大きく息を吐き出した。
そうしてから、今度はゆっくり話し始めた。
「……テスト終わりに、さゆりから由都を好きだって聞いて、俺焦ったんだ。このまま傍観してたら由都が取られちゃうって……——だから、由都に告白した」
それで、あのフードコートでの突然の告白に至ったわけか。
「さゆりが告白する前に由都に気持ちを伝えれば、由都がすぐにさゆりの気持ちを受け入れることはないだろうって……由都が悩むのはわかってたし。でも、言ってからすぐに卑怯なことをしたって反省して……それでさゆりに協力した」
……あの時の『遅い』とか『卑怯でごめん』は、そういうことか。
当時の謎が解け、少しスッキリした。
伶市の焦りも迷いも、後悔だって理解できる。だけど……やっぱり納得は、できない。
「伶市の考えはわかった。でも、別に仮病まで使うことなかっただろ」
「だって……」
「すごく、心配した」
また言葉を並べようとする伶市を遮り、俺はただ真っ直ぐに伶市を見つめて言った。
すると、伶市はやっと夢から覚めたような顔をした後、形のいい眉をへにゃりと情けなく下げた。
「……ごめん。最初は連絡しようと思ったんだけど、休むって言ったら、由都のことだから電話寄越すか家に来そうだと思って」
「それはそうだな。実際電話しようとしたし。でも返事はできただろ?」
伶市の傍に転がっているスマホを指差すと、伶市も俺の指先を辿るようにしてそれに視線を移した。
「それが……打ってる途中で高森が写真寄越して……」
「写真?」
それと返事ができないことの何が関係するんだ?
「休んだ俺が可哀想だと思ったんだと思う。だから逐一クラス会の様子を写真撮って送ってくれて……。でもそこに……さゆりと由都が楽しそうにしてるのもあって……つい、電源切った」
そういうことか……。
高森の善意が完全に裏目に出た結果の既読スルーか。
つい数時間前は高森にヨーグルトジュースを奢ろうと思っていたけど、それは無しだな。
……まあ、とりあえず、訊きたいことは、全部訊けたか。
俺は「よしっ」と声を出しながら、その場に勢いよく立ち上がった。
「伶市。本当に、風邪引いてないんだよな?」
「え……、うん」
俺を見上げる伶市が戸惑ったような顔で頷いた。
「なら、行くぞ」
伶市が抱きしめているエビフライの尻尾を掴んで引っ張り、取り上げた。代わりにトートバッグとコートを渡す。
伶市は目を白黒させ、手元の荷物と俺を交互に見た。
「え、ど……どこに?今更クラス会になんて行けないよ」
「俺だって戻れないっての。全然別のとこだよ」
「じゃあ……尚更どこに行くの?もう夕方だよ?」
「だから行くんだよ」
「だって由都、門限が……」
「そんなん、今からなんとかするっての!仮病を使った悪い子は、ほら!黙ってついて来る!」
俺はひとつ吠えると、デニムのポケットからスマホを取り出し、母親に電話をかけた。スマホを耳に当てたまま、大股で部屋の出入り口へと向かう。
部屋を出る直前、念のため振り返ると、慌ててコートを着込んでいる伶市が見えて俺は安心して部屋を出た。
——今度は、俺が話しをする番だ。
部屋の主である伶市はデニムと紺のセーター姿で、壁際に置かれたベッドの隅で小さくなっていた。
勉強机の上にはトートバッグが置かれ、椅子にはグレーのコートが掛けられている。その乱雑な掛け方は、コートを一回着てから脱ぎ捨てたように見えた。
……なんだ、クラス会に来るつもりあったんじゃん。
今日の仮病はあくまで突発的なことだとわかって、少し安心した。
「伶市、入るからな」
声をかけるも、伶市はこちらを見ようとしない。抱えた巨大なエビフライのぬいぐるみに顔を埋めて、じっとしている。まるで、母親に叱られるとわかって怯えている子供のようだ。
俺の着ているダウンジャケットが乾いた衣擦れの音を立てる。その音に反応するように、俺から少しでも遠ざかろうとするかのように、伶市は大きい身体をさらに縮こませた。
「おい、伶市、なんか言うことは?」
ベッドの側に腰を下ろし、出来る限り落ち着いた声音で訊いた。
俺は事情が訊きたいだけで、怒るつもりは毛頭ない。
……まあ、伶市の答え次第によっては変わるかもしれないから、とりあえず“今”は、だけど。
だが、声だけでは俺の気持ちは伝わらなかったらしい。
「……ないよ」
固く、くぐもった声が返ってきた。
まだ、顔を上げようとしない。
「あるだろ。仮病使ったこともだし、それから——笹田さんのことも」
伶市は”笹田さんのこと“に反応するように、さらにエビフライをきつく抱きしめた。しなしなのエビフライが力なく尻尾を揺らす。
俺がクレーンゲームで取った時は、もっと揚げたてみたいだったのにな……。
無駄なものも装飾の類も一切ないシンプルな部屋は、家具の全てが新品に見えるくらい綺麗だ。その中で、このエビフライだけ年季が入っていて、見事に浮いてしまっている。
また尻尾が小さく揺れ、伶市がエビフライに埋めていた顔を僅かに上げた。
「さゆり…………、なんて……?」
「伶市にクラス会で協力してほしいって頼んだって」
ため息混じりに告げると、伶市は驚いたように目を瞬かせた。
「えっと……それだけ……?」
「何が知りたいんだよ」
俺は咎めるように少しだけ目を眇める。
途端に伶市は視線を彷徨わせ、言葉を詰まらせた。
いつもなら待つところだが、俺はあえて待たずに続けた。
「伶市に謝っておいてほしいって言われた。自分が頼んだせいで仮病使ったんだろうって……。笹田さん、伶市に今日来るなって言ったのか?」
俺の問いかけに、伶市は何度も横に首を振った。
「それは違う……!さゆりは、ただ……」
言葉が不自然に途切れる。
伶市は俯く。少しの沈黙の後、呟くように話し始めた。
「……一番の協力は俺がいないことかなって。だから休んだ。……俺が勝手にしたことだよ」
「なるほどな」
笹田さん曰く、伶市に頼んだのは“話せる時間をつくってほしい”ということだけだったそうだ。
「ほんと、たしかに勝手だな……それに矛盾しすぎ。俺に告白したと思えば、笹田さんに協力したり……いったい何がしたいんだよ」
瞬間、伶市の肩が微かに揺れた。
顔を僅かに上げ、諦めを含んだようなため息を吐く。その唇は少し血色を失っていた。部屋は夏のように暑いというのに。
「……さゆり、言ったんだ」
「おう。言われたよ。『好き』だって」
伶市の仮病の件で謝られた時に、伝えられた笹田さんの気持ち。
俺のことが好きで、ゆっくり話す時間がほしかった。だけど、俺の側にはいつも伶市がいるから。だから、あらかじめ伶市に自分の気持ち伝えて、協力を頼んだのだと。
それを聞いた時、俺はすごく安心したんだ。
——笹田さんが好きなのは、伶市じゃないんだって。だから、ふたりが付き合うことはないんだって。
だけど……。
だけど、それと同時にすごく腹も立った。
「……なんで引き受けたんだよ」
イライラが蘇り、語尾が強くなる。
伶市が俺と笹田さんを付き合わせようとしてたんだとわかって、正直ムカついた。
それに、俺に伝えてくれた気持ちと裏腹の行動が伶市に嘘をつかれような気にもなって、落ち込みもした。
だから、直接伶市と話しをするしかないと思って、俺はクラス会の途中で帰ってきた。
俺の質問に答えようとしない伶市をじっと睨みつけ、早く正直に話せという無言の圧をかける。
しばらくして、根負けした伶市が重い口を開いた。
「今ならまだやり直しがきくかもって……」
「やり直し?」
「俺が作った余計な分岐点の抹消を……」
「なんだよそれ」
伶市だけがわかる説明に俺は不満を漏らした。
俺が訊いてるんだから、俺にもわかるように説明してくれ。でなければ、話が進まない。
伶市はぐっと息を飲み込んだ後、苦しそうに顔を歪めた。
「……だって俺、由都の人生に余計なことしちゃったって思って。俺が告白なんてしなければ、由都は男から恋愛対象に見られているなんて気づかなくてよかったんだ。それを俺は勝手な独占欲で……」
伶市は矢継ぎ早に言葉を紡ぐと、不意に言葉を途切れさせ、続く言葉の代わりに大きく息を吐き出した。
そうしてから、今度はゆっくり話し始めた。
「……テスト終わりに、さゆりから由都を好きだって聞いて、俺焦ったんだ。このまま傍観してたら由都が取られちゃうって……——だから、由都に告白した」
それで、あのフードコートでの突然の告白に至ったわけか。
「さゆりが告白する前に由都に気持ちを伝えれば、由都がすぐにさゆりの気持ちを受け入れることはないだろうって……由都が悩むのはわかってたし。でも、言ってからすぐに卑怯なことをしたって反省して……それでさゆりに協力した」
……あの時の『遅い』とか『卑怯でごめん』は、そういうことか。
当時の謎が解け、少しスッキリした。
伶市の焦りも迷いも、後悔だって理解できる。だけど……やっぱり納得は、できない。
「伶市の考えはわかった。でも、別に仮病まで使うことなかっただろ」
「だって……」
「すごく、心配した」
また言葉を並べようとする伶市を遮り、俺はただ真っ直ぐに伶市を見つめて言った。
すると、伶市はやっと夢から覚めたような顔をした後、形のいい眉をへにゃりと情けなく下げた。
「……ごめん。最初は連絡しようと思ったんだけど、休むって言ったら、由都のことだから電話寄越すか家に来そうだと思って」
「それはそうだな。実際電話しようとしたし。でも返事はできただろ?」
伶市の傍に転がっているスマホを指差すと、伶市も俺の指先を辿るようにしてそれに視線を移した。
「それが……打ってる途中で高森が写真寄越して……」
「写真?」
それと返事ができないことの何が関係するんだ?
「休んだ俺が可哀想だと思ったんだと思う。だから逐一クラス会の様子を写真撮って送ってくれて……。でもそこに……さゆりと由都が楽しそうにしてるのもあって……つい、電源切った」
そういうことか……。
高森の善意が完全に裏目に出た結果の既読スルーか。
つい数時間前は高森にヨーグルトジュースを奢ろうと思っていたけど、それは無しだな。
……まあ、とりあえず、訊きたいことは、全部訊けたか。
俺は「よしっ」と声を出しながら、その場に勢いよく立ち上がった。
「伶市。本当に、風邪引いてないんだよな?」
「え……、うん」
俺を見上げる伶市が戸惑ったような顔で頷いた。
「なら、行くぞ」
伶市が抱きしめているエビフライの尻尾を掴んで引っ張り、取り上げた。代わりにトートバッグとコートを渡す。
伶市は目を白黒させ、手元の荷物と俺を交互に見た。
「え、ど……どこに?今更クラス会になんて行けないよ」
「俺だって戻れないっての。全然別のとこだよ」
「じゃあ……尚更どこに行くの?もう夕方だよ?」
「だから行くんだよ」
「だって由都、門限が……」
「そんなん、今からなんとかするっての!仮病を使った悪い子は、ほら!黙ってついて来る!」
俺はひとつ吠えると、デニムのポケットからスマホを取り出し、母親に電話をかけた。スマホを耳に当てたまま、大股で部屋の出入り口へと向かう。
部屋を出る直前、念のため振り返ると、慌ててコートを着込んでいる伶市が見えて俺は安心して部屋を出た。
——今度は、俺が話しをする番だ。

