それからしばらく、夜は決まって一緒だった。
講義が終わって、寮に戻って、柊先輩の部屋に寄る。
床に座って、買ってきたものを広げて、同じものを食べる。
最初は、どうでもいい話ばかりだった。
天気とか、講義の愚痴とか。でも、日が重なるにつれて、少しずつ話題が変わっていく。
お互いの夢の話。
何が得意で、何が苦手か。
何を考えて、何を考えないようにしているか。
無理に話している訳ではない。無理に話を聞いてる訳でもない。ただ、もっと話したいという気持ちが、そこにあった。
おれは、その時間が好きだった。
柊先輩をもっと知りたい。役に立ちたい。
笑っているところを、もっと見ていたい。
ある夜、柊先輩が箸を止めて何気なく言った。
「やりたいことは、結構あるんだよな」
天井を見ながら、淡々と続ける。
「海外はもちろんいってみたいし、富士山も、一回くらいは登ってみたい。あと時間気にせず、本読むとか」
どれも派手じゃない。
でも、ちゃんとその人の言葉だった。
おれは少し身を乗り出して、
軽い気持ちで言った。
「じゃあ、やりたいこと、全部書き出して一個ずつ、やっていきません?」
柊先輩が、こちらを見る。
「その……」
一瞬だけ考えてから、
「”死ぬまでに”、一回はやっておきたいこと、みたいな」
場を明るくしたかった。
未来の話を、楽しい形で共有したかった。
でも、柊先輩の表情が、そこで止まった。
怒っているわけじゃない。
ただ、考えている顔だった。
「……悪い意味で言ったんじゃないのは、分かる」
そう前置きしてから、
静かに言う。
「でもな、そういう言葉を聞いて、少し、きつく感じる人もいる」
責める調子じゃない。
言い聞かせるでもない。
「病気してると先の話を、勝手に区切られた気がすることがある。前向きなつもりでも、そう受け取れないときがある」
箸を持ったまま、手を止める。
「言った側がどう思ってるかより言われた側が、どう感じるかの方が大事になる場面もあるって話だ」
視線が合う。
「お前が悪いって言いたいわけじゃない。むしろ考えてくれてるから、出た言葉だと思う」
優しい声。
「でも、井ノ原は保健学科だし、これから、そういう仕事に関わるなら言葉の先を一回、想像してみてほしい」
そこまで言ってから、柊先輩は一度口を閉じた。
そして、少し遅れて、眉をわずかに寄せる。
「……言い方、きつかったな、悪い」
短く、でもはっきり。
「傷つけるつもりはなかった。ただ、大事な話だから、ちゃんと伝えたかった」
それだけだった。
なのに、喉の奥が詰まる。
何か返そうとしても、声が出ない。
視界が滲んで、服の胸元を引っ張って顔を拭く。
涙が、止まらない。
「……違います」
ようやく出た声は、
震えていた。
「悲しかったんじゃなくて嬉しかったんです」
柊先輩が、
少し戸惑った顔をする。
「ちゃんとそういう話を真正面からしてもらえたのが」
息を整えながら、続ける。
「おれが小さい時、父親がいて、すごく、仲が良かったんです。でも、親が離婚して、それっきりで。高校のときたまたまSNSで新しい家族と、楽しそうにしてるのを見て、それ見たとき自分には、もう父親みたいに叱ってくれる人も、大事なことをちゃんと言ってくれる人もいないんだなって」
目を伏せる。
「だから今日みたいに言われて……すごく、うれしくて。おれにもちゃんと向き合ってくれる人がいるって、そう思えて」
言い終わる前に、距離が詰まった。柊先輩の腕が、少し迷うように伸びて、それでも、おれを引き寄せる。
抱き方は、不器用だった。
強くもない。でも、離れない。
肩に額が触れる。
息が近い。柊先輩の服がおれの涙で濡れていく。
「……お前を泣かせるつもりはなかった」
低い声が、耳元で響く。
「でも、そう受け取ってくれたなら……うれしい」
背中に回された手が、ぎこちなく動く。
撫でるでも、押さえるでもない。
ただ、そこに置かれている。
その距離が、妙に落ち着いた。
何も言わないまま、しばらくそうしていた。
講義が終わって、寮に戻って、柊先輩の部屋に寄る。
床に座って、買ってきたものを広げて、同じものを食べる。
最初は、どうでもいい話ばかりだった。
天気とか、講義の愚痴とか。でも、日が重なるにつれて、少しずつ話題が変わっていく。
お互いの夢の話。
何が得意で、何が苦手か。
何を考えて、何を考えないようにしているか。
無理に話している訳ではない。無理に話を聞いてる訳でもない。ただ、もっと話したいという気持ちが、そこにあった。
おれは、その時間が好きだった。
柊先輩をもっと知りたい。役に立ちたい。
笑っているところを、もっと見ていたい。
ある夜、柊先輩が箸を止めて何気なく言った。
「やりたいことは、結構あるんだよな」
天井を見ながら、淡々と続ける。
「海外はもちろんいってみたいし、富士山も、一回くらいは登ってみたい。あと時間気にせず、本読むとか」
どれも派手じゃない。
でも、ちゃんとその人の言葉だった。
おれは少し身を乗り出して、
軽い気持ちで言った。
「じゃあ、やりたいこと、全部書き出して一個ずつ、やっていきません?」
柊先輩が、こちらを見る。
「その……」
一瞬だけ考えてから、
「”死ぬまでに”、一回はやっておきたいこと、みたいな」
場を明るくしたかった。
未来の話を、楽しい形で共有したかった。
でも、柊先輩の表情が、そこで止まった。
怒っているわけじゃない。
ただ、考えている顔だった。
「……悪い意味で言ったんじゃないのは、分かる」
そう前置きしてから、
静かに言う。
「でもな、そういう言葉を聞いて、少し、きつく感じる人もいる」
責める調子じゃない。
言い聞かせるでもない。
「病気してると先の話を、勝手に区切られた気がすることがある。前向きなつもりでも、そう受け取れないときがある」
箸を持ったまま、手を止める。
「言った側がどう思ってるかより言われた側が、どう感じるかの方が大事になる場面もあるって話だ」
視線が合う。
「お前が悪いって言いたいわけじゃない。むしろ考えてくれてるから、出た言葉だと思う」
優しい声。
「でも、井ノ原は保健学科だし、これから、そういう仕事に関わるなら言葉の先を一回、想像してみてほしい」
そこまで言ってから、柊先輩は一度口を閉じた。
そして、少し遅れて、眉をわずかに寄せる。
「……言い方、きつかったな、悪い」
短く、でもはっきり。
「傷つけるつもりはなかった。ただ、大事な話だから、ちゃんと伝えたかった」
それだけだった。
なのに、喉の奥が詰まる。
何か返そうとしても、声が出ない。
視界が滲んで、服の胸元を引っ張って顔を拭く。
涙が、止まらない。
「……違います」
ようやく出た声は、
震えていた。
「悲しかったんじゃなくて嬉しかったんです」
柊先輩が、
少し戸惑った顔をする。
「ちゃんとそういう話を真正面からしてもらえたのが」
息を整えながら、続ける。
「おれが小さい時、父親がいて、すごく、仲が良かったんです。でも、親が離婚して、それっきりで。高校のときたまたまSNSで新しい家族と、楽しそうにしてるのを見て、それ見たとき自分には、もう父親みたいに叱ってくれる人も、大事なことをちゃんと言ってくれる人もいないんだなって」
目を伏せる。
「だから今日みたいに言われて……すごく、うれしくて。おれにもちゃんと向き合ってくれる人がいるって、そう思えて」
言い終わる前に、距離が詰まった。柊先輩の腕が、少し迷うように伸びて、それでも、おれを引き寄せる。
抱き方は、不器用だった。
強くもない。でも、離れない。
肩に額が触れる。
息が近い。柊先輩の服がおれの涙で濡れていく。
「……お前を泣かせるつもりはなかった」
低い声が、耳元で響く。
「でも、そう受け取ってくれたなら……うれしい」
背中に回された手が、ぎこちなく動く。
撫でるでも、押さえるでもない。
ただ、そこに置かれている。
その距離が、妙に落ち着いた。
何も言わないまま、しばらくそうしていた。
