恋のエンギ指導が本気(ガチ)すぎます!



「こっ、骨折ぅっ!?」

 おれ、唯木(ゆいき)あらたは、いつもごちゃついている演劇部の部室で大声を上げた。
 高校2年の夏。夏休みを10日ほど後に控えた、7月中旬のある日のことだ。
「昨日チャリで走行中に、飛び出してきた子供を避けようとして転んだらしい。左腕だと」
 沈痛な面持ちで答えたのは3年の岩倉慎吾(いわくらしんご)先輩。部の後輩はくら先輩と呼んでいる。
 身長185㎝。中学では柔道をやっていた、いかつい熊みたいな体の持ち主だ。
 でもその体は、心労のせいか一回り小さく見えた。
「……軽度だとしても完治まで数カ月はかかるな」
 ぼそっと言ったのは同じく3年の長瀬秀(ながせしゅう)、通称ながやん先輩。
 こちらはさらに高身長の187㎝。
 でもかなり痩せ型で、くら先輩とはイメージが正反対の人だ。
 あまり表情を変えない、大声なんかも出さない淡々とした人なんだけれど……さすがの彼も、今は眉間に深いしわを刻んでいる。
 部室内にはおれを含めこの3人しかいない。
 昨日の夜、くら先輩から『大事な話があるから朝に部室へ来てくれ』とメッセージがあった。
 それで、いつもより15分早く登校して来たらながやん先輩もいて、さっきの話を聞いたのだ。
 我が演劇部で、次の地区大会用の舞台に主演する看板役者、3年の浅見流音(あさみるおん)先輩──通称るー先輩が、骨折で入院したと。
「昨日の夜、俺にだけ連絡があった。グループチャットに流してもみんなを混乱させるだけだから、まずは朝、おまえたちに伝えてくれってな」
「そう、ですか……」
(骨折って……全治数カ月って……)
 東京都高校演劇の大会は、地区大会→都大会→全国大会と選抜されていき、最初の地区大会は9月~10月に開催される。
 つまり、その地区大会にはほぼ出場できないわけで。
(ど、どうしたらいいんだ……!)
 おれは屈み込んで頭を抱えた。情けないけど、足から力が抜けてしまった。
 かけている黒縁メガネが少しずれる。
 地味男の象徴ともいうべき愛用アイテム。これをかけていないとろくに見えないけれど、今はそれどころじゃない。小心者の心臓は動揺でバクバクいっている。
 こんなふうになるってわかっていたから、るー先輩もくら先輩に連絡したのかもしれない。
 でも、部長はおれだ。
 多摩地区某市にある男子校、都立犀堂(せいどう)高校。
 演劇部も当然男子しかいないわけだけど、それでも昔から精力的に活動してきた。
 おれは今年から部長に就任して、それ以外にも脚本、演出、舞台監督兼務──要するに、舞台を作るうえでの総指揮はおれに一任されているのだ。
(落ち着け、しっかりしないと……)
「今年は入賞……いや、都大会だって夢じゃないと話してたとこなのにな……」
 ため息とともに落ちるながやん先輩の声。くら先輩は「むぅ……」と唸るのみ。
(だっ、だめだ。落ち着けない~っ!)
「とりあえず、面会はできるらしいから今日見舞いに行こう」
「わ、わかりました……」
 もうすぐHRが始まる。なんの解決もないまま、いったんは解散になった。



 放課後。
 部員たちには事情を説明し、基礎トレと自主練を課して、るー先輩のお見舞いに向かった。
 メンバーは朝の3人に、2年の穂村(ほむら)麻青(まお)が加わった。
 おれの親友かつクラスメートで、他でもない演劇部に誘ってくれた男で、次の舞台では準主役──るー先輩の相手役をやる。舞台の話になるならいたほうがいいかもしれない、と連れてきた。
 相手、つまり恋人。女役だ。
 麻青は身長164㎝。きゃしゃで、髪はツヤツヤサラサラのまっすぐな黒髪で、つぶらな瞳に小さな口。日本人形を男の子にしたようなかわいい系男子だ。声も高めなので、いつも女役か子供役をやってくれている。
「るー先輩……骨折って、どれくらいなのかなぁ……」
 そんな麻青も、長いまつ毛を伏せて不安げな顔をしていた。
 今日の昼間が手術だったらしくて、メッセージには既読がついていない。
「夕方には話せるはずだと昨日言ってたから、行ってみるしかないな」
 くら先輩の声に、全員がのろのろとうなずいた。



 先輩は別の市から電車で通学している人だ。病院も彼の地元だけれど、調べたら直通のバス便があった。
 同じ犀堂の制服、白シャツにダークグリーンのチェック柄スラックスを身に着けた生徒もちらほらいる。
 でも、病院前のバス停で降りたのはおれたち4人だけだ。
(病院って、お見舞いでもなんか緊張するよな……)
 そんなことを考えながら、場所を聞いて訪ねた病室は個室だった。
「ああ、来てくれたのか」
 るー先輩はネイビーのパジャマに、左腕をがっちりギプスと包帯で固定され、機械で吊った状態でベッドに上半身を起こしていた。
「るー先輩!」
「流音!」
 おれとくら先輩は思わず大きい声を出してしまって、慌てて口をつぐむ。
 4人とも足早にベッドまで進み、先輩を囲んだ。
「るー先輩……」
「ごめん、みんな。大会前の、こんな大事な時に」
 泣きそうな声の麻青をなぐさめるように苦笑しつつも、るー先輩は心底申し訳なさそうに謝った。
 彼は……一言で言うと、とてもかっこいい人だ。おれにとって、とてもかっこいい先輩だ。
 身長183㎝。程よく筋肉のついたモデルみたいな体形。顔立ちも整っていて、切れ長の二重の目に、スッと引いたような形のいい眉。
 髪はゆるいパーマをかけて、暗めのベージュカラーに染めていた(犀堂は校則が厳しくないので、これくらいは黙認される)。
 まさにモデルみたいな人だ。でも、そんな外見のかっこよさだけじゃなくて。
 明るくて、さわやかで。ちょっとナンパでチャラいことを言ったりもするんだけど、本当に軽薄なわけじゃない。
 優しくて、お芝居も心から好きで、みんなに慕われてて。
 去年は部長だった。おれに総指揮者のイロハを教えてくれたのもこの人だ。
 おれはるー先輩を尊敬していて、彼が「おまえに任せたい」と言ってくれたから部長を引き受けた。
 そんな人の痛々しい姿に、おれも胸をわしづかみされたように苦しくなる。
「……ケガの具合は、どうなんですか」
 おれが聞くと、先輩はまず「全治2カ月」と端的に答えた。
「骨折としては軽度で、入院は2週間程度で済むだろうって。まあ実際の予後は、経過を見ていかないと確実じゃないそうだけど」
「……そうですか」
 軽傷と聞いて少しだけほっとした。だけど、それでも……
「申し訳ないけど、地区大会には出れない。でも今年は、人員的にも本的にも、絶対に上位を狙える。オレ抜きで……配役を変えて、出場してほしい。ごめん」
 悔しさを言葉の端ににじませ、噛みしめるように先輩は言った。
「ケガはおまえのせいじゃない。それは一切気にするな、もう謝るな。一番つらいのはおまえだろう」
 くら先輩のいたわる声に、るー先輩は頬の強張りを解く。感謝のお辞儀をするように一度瞬きした。
 でも、どうあっても場の空気は重い。
「配役を変えると言ってもな……」
 と、その部分に切り込んだのはながやん先輩だ。
「正直、おまえの──タケル役は、おまえ以外には難しい役だったろう。そもそも当て書きだ」
「高身長、イケメン、モテモテで数々の女性を泣かせてるプレイボーイ……ほんと、るー先輩にぴったりの役でしたよね……」
「ああ。芝居とはいえ、ビジュアルの整合性は大事だそ。でないと観客が入り込めない。俺にも慎吾にも難しい」
「…………」
 全員沈黙。否定できないということだ。
 大柄の武道家みたいなくら先輩。ながやん先輩は高身長だけど撫で肩で、ひょろっというかぬぼーっとした印象がある。彫の浅い顔のせいもあって、中学の時のあだ名は『カ○ナシ』だったらしい。
祥太(しょうた)剣斗(けんと)はどうだ」
「祥太は……力量的にはいけるかもしれないが、声が高いし……典型的な元気ヤンチャ系だからな。あの本のままじゃ違和感が出るんじゃないか、あらた?」
「はい。祥太がやるなら、調整は必要だと思います。あと、剣斗には負担が大きいかも……」
「中学演劇経験者とはいえ、1年だからな。兼ねの二役分、今熱心にセリフを入れているようだし。たしかにここで役変更、主演というのは負担が大きいか……」
「大人っぽさもまだあんまりないし、プレイボーイっていう役どころの説得力も……僕との身長差ももう少しあったほうがいいし……」
「今回の本はとにかくタケルのキャラがいい。あの設定だからこそ、途中からの変貌が活きてくるからな。極力キャラ性は変えずにいったほうが……」
 くら先輩の意見に、おれも黙ってうなずく。
(おれだって、タケルはあのタケルのままでいきたい。それに……祥太とかに合わせてキャラを変えたら、もし都大会に行けて、その時るー先輩が治ってたとしても、今度は先輩に役を返すのが難しくなる)
 犀堂高校演劇部はちっとも強豪じゃない。これまでの歴史で都大会に進んだのは3回、最後は10年前だそうだ。
 でも、都大会進出は逃したものの力作だった学校に与えられる奨励賞というのがあって、それは何度か受賞している。
 残念ながら去年は獲れなかったけれど、今年は演劇経験者の1年生が2人入った。本もいいものができて、「今年はいけるかも!」と部全体が盛り上がっていたのだ。
 そしておれにとって、えこひいきかもしれないけど、これは3年の──その中でも特に、るー先輩のために作り上げる舞台だった。


 昔から気弱で、内向的で。小学生時代にラノベにハマって、本の虫になった。やがて自分でも小説を書くようになって、投稿サイトに熱心に作品をアップしていた。
 あっという間に視力が悪くなって、オタクメガネキャラの完成。変わり者扱いされることもある。人見知りが激しいので打ち解けるまでに時間がかかるし、友達も多くはできない。
 そんなおれを「脚本家も募集してるよ。お話を書くのが好きならどうかな」と演劇部に誘ってくれたのは、1年の時唯一の友達だった麻青だけど。
 入部してからのおれに手取り足取りいろんなことを教え、脚本を褒めてくれ、本を任せてくれて。
 演劇の──舞台を創る裏方の楽しさを教えてくれて、おれをここまで育ててくれたのは、るー先輩なんだ。
 そんな先輩の最後の大会を、いい結果で終わらせて送り出したい。それがおれの願いだった。


「──タケルのキャラを変えずに、誰かを代役に立てるとしたら……」
 おれが思いにふけっている間にも、話は進んでいた。
 全員が思案顔をしている中、ふと、ながやん先輩が何かを思いついたようにあごを上げる。
「……香納(かのう)は?」
「かのう……? あ、香納(かのう)詩希(しき)か」
 最初は怪訝な顔をしたるー先輩も、一拍おいて思い当たったようだ。
 おれもそいつの顔を思い出す。話したことは数回しかないけど、忘れようのないイケメンだからすぐ思い浮かんだ。
 香納詩希。おれや麻青と同じ2年だけど、去年も今もクラスは違う。
 犀堂高校は一人ひとつは部活に所属するのが決まりで、どの部にも大体、名前を登録しただけの幽霊部員がいるのだ。
 学校全体での暗黙の了解で、そういう生徒には活動を強要しない。まぁ、程度は部活によるけど。
 演劇部にも各学年に複数人いて、大会直前だけ裏方として参加してくれる生徒と、まったく参加しない生徒に分かれる。
 香納詩希はその後者。名前だけの、100%幽霊演劇部員だ。
 それでも去年、おれたちが注目したのは、彼のそのビジュアル。るー先輩のように、高身長&スタイル抜群の、超イケメンなのだ。
 しかも、たしか去年の6月だった。
 香納は徒歩通学の地元民。ながやん先輩も同じで、ある日、近所の公園でたまたま香納を見かけたらしい。
 香納は歳の離れた妹らしい女の子と一緒にいて、ベンチで絵本を読んであげていた。その読み聞かせが、時にコミカルで時に情感たっぷりで、めちゃくちゃうまかったらしい。あまりのうまさに、周りの子供たちも集まってくるくらい。
 そんな話を聞いた先輩たちは、有望な人材じゃないかと、活動に参加しないかと声をかけに行った。あえなく断られたと聞いて、同学年のおれたちも会いに行ったことがある。
 1回だけじゃない。大会や文化祭の前なんかに、何度かチャレンジした。
 でも結局、誰がどう頼んでも「やる気はない」と断られ、今年はもう声をかけることもなかった。そういう男だ。
(でも……たしかに、香納なら……)
 香納のクールな顔に、タケルというキャラを当てはめてみる。……合う。かなり。
「外見は適任だな。演技力に関しては秀の話を信じるしかないけど、一案として、頼んでみる価値はあると思う」
 そう話するー先輩に、おれも、隣の麻青もうなずいた。くら先輩だけは、
「いけるか? 舞台経験があるかどうかもわからない幽霊部員にいきなり主演なんて。本読みがうまくたって、実際に舞台で演じる技能とは別物だぞ」
 と心配そうだけれど、るー先輩の「ともかく話してみないとわからない」という言葉に、おとなしく引き下がった。
(うん、ダメ元かもしれないけど頼んでみたい。もし香納にやってもらえるなら、キャラはこのままでいける!)
「じゃあおれ、明日さっそく香納に話してみます」
「僕も行くよ、あらた」
「頼んだ、あらた、麻青。おまえたちに任せよう。俺や慎吾まで行くと圧になりそうだからな」
 ながやん先輩がおれの肩をぽんとたたいた。
「そうだな、押し付けは駄目だ。これまでを考えると期待もあまりできないけど……報告を待つよ、あらた」
「はいっ!」
 るー先輩に見上げられ、おれは力強く応える。
 ふっとほほ笑んだるー先輩は、自由な右手でおれを手招いた。
「あらた、こっち」
「……はい?」
 自分のすぐ傍まで来るよう促されて、おれは乞われた通りに近づく。先輩は腕を伸ばして、手のひらをぽふっとおれの頭に載せた。
「ごめんな。あらたがオレにくれた、最後の役なのに」
 ぽふ、ぽふ、と、優しく頭を撫でられる。お父さんみたいに大きな手のひら。
「……もう謝るなって、さっきくら先輩が言ってたじゃないですか」
 なんだか目頭がじわっと熱くなるのを感じながら、おれは言った。
「それに、都大会は10月下旬です」
(まだ完全に、終わったわけじゃない)
「行けたら……その時は受験ともちゃんと両立して、出てくれますよね」
 まっすぐ見つめながら聞くと、先輩は目を細めて嬉しそうに笑った。
「当たり前だ」