S.S:Silent Society

春休みの終わりは、思っていたより静かだった。
 南禅寺の境内を抜けて、疎水沿いの道に出ると、桜はもう満開を少し過ぎている。
 花びらが水面に落ちて、流れに乗ってゆっくり進んでいく。
 智輝は、その流れを目で追いながら、何も考えないようにしていた。

 「今年、開花早かったな」
 「うん。でも、まだ残っててよかった」

 人は多いけれど、歩けないほどではない。肩が触れそうで触れない距離を保ったまま、二人は並んで歩く。
 春休みに入ってから、こうしてゆっくり会えるのは週に一度だけだった。
 だから今日は、その「約束の日」だ。
 智輝は、時々立ち止まって桜を見上げる。
 写真を撮るわけでもなく、ただ眺めるだけ。
 写真に残すほどの余裕はないくせに、見逃すのは惜しいと思ってしまう。
 「来年も一緒に見られる」とは、まだ言えないから。
 その横顔を、悠誠は何度も盗み見る。
 話しかけたら、この時間が壊れる気がして、何も言わずに歩いた。

(こういう時間、減るんやろな)

 新学期。三回生。
 講義はほとんど専門になる。空きコマも読みづらくなる。
 部室があった頃みたいに、「行けば会える」場所はもうない。
 でも、そのことを、智輝からは言い出さない。
 邪魔したくない。負担になりたくない。
 そう思ってるのが分かるから、悠誠は、先に動くと決めていた。
 先に言わなかったら、智輝はきっと「我慢できる方」を選ぶ。
 会えなくなるわけではない。ただ、今までより機会が減るだけだ。
 それが、悠誠は少し気に入らなかった。

 疎水を抜けて、岡崎公園を横切り、旧京都会館――今はロームシアターになった建物に入る。
 スタバは思ったより空いていて、窓際の席が取れた。
 コーヒーと、季節限定のラテ。
 紙カップを手にして向かい合うと、歩いていたときとは少し空気が変わる。
 歩きながらだと流せた話が、ここでは流せない気がした。

 「歩いたな」
 「桜、ちょうどよかった」
 「うん」

 頷いた智輝がカップを両手で包んだまま、視線を落とす。

 「……新学期から、忙しくなるよな」
 「なるな」

 悠誠は即答して、それから続ける。
 どうせ決める話なら、先にしてしまったほうが安心できると思った。

 「せやからな」
 スマホを取り出して、テーブルの上に置く。
 「時間、ちゃんと決めよ」

 智輝が、少し驚いた顔をした。

 「え?」
 「会う時間」

 言い切る。
 迷いはない。

 「短い時間でも会えるなら、毎日会うのは当然として」
 画面を操作しながら、さらっと言う。
 「週に一回は、ゆっくり会いたいな」

 智輝が、瞬きをする。

 「……悠誠」
 「なに」

 智輝は一度、言葉を飲み込んだ。

 「邪魔にならん?」
 「ならん」

 即答だった。

 「俺も、会いたいねん」

 それだけ。
 余計な説明はしない。
 智輝の肩から、目に見えない力がふっと抜けたのが分かった。

 「……そっか」

 小さく笑って、智輝もスマホを出す。

 「俺の時間割、これ」
 「見せて」

 二つの画面を並べて、指でスクロールする。
 専門講義。ゼミ。必修。
 悠誠の方は、バイトのシフトと勉強時間がぎっしりだ。

 「ここ、被ってるな」
 「うん。でも、この空き」
 「短いけど、いける」
 「改札前でも」
 「五分でもな」

 自然に、言葉が重なっていく。

 「週一は、ゆっくり話せるところがええ。」
 「どこ?」
 「今日みたいなとこ」
 「……ええな」

 智輝が、少し照れたように視線を逸らす。

 「俺、忙しいの分かってるし」
 「分かってる」
 「無理せんでええし」
 「無理してへん」

 悠誠は、カップを置いて、智輝の手にそっと触れた。

 「選んでるだけや」

 その言い方が、無理してないってことだけは、
 ちゃんと伝わってきて、智輝はやっと息をついた。

 「……うん」

 その一言で、全部伝わった。

 窓の外では、桜の花びらが風に舞っている。
 春はきれいで、現実は忙しい。
 でも、二人はちゃんと話して、ちゃんと決めた。

 「新学期、頑張ろな」
 「うん」

 智輝が、指を絡める。
 その動きに、もう迷いはなかった。
 二人は、次に会う日の話をしながら席を立った。

 春は、もう始まっている。