【裸足とエレベーター】

 もうその紙パックのジュースのストローを吸ったところで、何も出てこないだろうに、彼はまだストローを色んな角度に変え不快な音を立てながら、動画で見た酔っ払いみたいに語りだした。
「所詮、人間も生きる意志があろうとなかろうと消耗品だよ」
談話室の窓際で黄昏、自分に酔う様な口振りで、西日に向かって言って話しかけているけど、多分、僕しか周りにいないから、彼は僕に話しかけ始めたんだと思う。
医学が日々進化したのが大きな原因なのだろうけど、だからなのか人は死にたければ死ねばいい。
―――……そんな時代に僕はたまたま生まれてきた。
 本当に死にたければ死んでいいのか。もう二年くらい前から僕はこの希死念慮者待機施設でそう自問自答するようになった。
 それにしても、いつから人間は消耗品になったっていうのだろう。
 時代も、性別も、親も、体も、自分で選んだわけじゃない。
 けれど、それを嘆いてどうなる。僕は僕でしかない。
「人が消耗品だっていうなら、その恩恵を受けて僕らは生まれて死んで歴史を作っていくべきなんじゃないですか?だからこの施設にいるんでしょう?」
「その通りだ。俺らみたいな生きたがりやは、少なくともアイツ等よりましな未来を創ろうとする意志があるはずなんだ」
「アイツ等?」
 僕は彼が言うアイツ等の意味を知っていてわざと言った。
「なぁにいい子ぶってんだよ。アイツ等って言ったら希死念慮者に決まってんだろ。ま。自殺してくれた人って解釈でもいいよ。アイツ等は消耗品みたいなもんだろ。好き好んで死にたがって、お人よしで臓器までくれるなんて、気前のいい部品だよ」
 施設の談話室で、僕は彼と話していて、そんな考え方もあるのかと思ったのと同時に彼をずっと心のどこかで軽蔑していたんだと気が付いた。名前はなんだったっけ?何回か会ったことがあるけど、毎回良い印象がなかったのは確かだ。この話も何度目だろう。
「さっさと死にたきゃ死んでくれって感じだよな。臓器が適合すりゃ俺は健康になる。そんで、この施設を出て社会に出たらきっとアイツ等は俺に提供出来たことをあの世で感謝するぜ?それくらい俺は大物になる逸材なんだ。健康さえ手に入ればな」
 彼は手に持っていたパックのジュースをやっと、ゴミ箱に投げた。
けど、失敗し床にパックは落っこちた。でも、それを拾いもしないでそのまま談話室を出て行った。
多分、二十代後半くらいの人だ。施設には最近入って来たのだと思う。僕はココにもう七歳からだから十年もココいるけど、こんなに不愉快な入居者ははじめてだ。
 僕は彼が床に落としたままだった空のジュースパックを拾ってゴミ箱に捨てた。
特別じゃなくてもいい。大物になれなくてもいい。でも、生きていたい。それだけじゃダメなのかな。何か手柄や名声を手に入れないと生きていちゃいけないのか?
理想の普通を望んじゃいけないのかな。
それから一週間もしないうちに、名前も覚えなかった彼の名前を談話室で初めて知った。
「談話室マナーの悪かったアイツ知ってるか?」
「名前は知りませんけど、大物になるってよく言ってた人ですか?」
「そう、アイツ。一昨日から容体急変して死んだんだってさ」
 僕は名前も知らない施設の入居者達が教えてくれた何人かの入居者からその事を知らされ「それは、残念です」と言った。
 特別、親しかったわけじゃないのに自分の部屋に着いた途端。たまらなくなった。僕には彼みたいに、自分が健康になったらこうなるとか、そう言う夢とか野望のようなものはない。
もちろん使命みたいなものもない。気がついたら部屋のベランダに出て西日を眺めていた。
人が死んだと知るたびに、こうしてきた。僕は何人の死の知らせを知ればいいんだろう。そのうち僕もあんな感じで誰かに僕が死んだことを噂話にされて、忘れられていくの
だろうか。
 誰だっていつかは死ぬ。わかっている。わかっているけど、僕はこの施設で待つことしかできないんだ。待っているだけで、何かが変わるのを心待ちにしている。
 だけど、それは代わりに誰かが死ぬことをなんだ。そうじゃなきゃ、僕は死ぬ。
自殺者や希死念慮者の臓器提供が法で合法だろうと、僕は、何のために生きたいのか見つからないままだ。
その答えを僕はずっと出せないでいる。一体誰がその答えを知っているんだろう。
生きたい。
 僕は無意識にそう思うことしか出来なかった。声に出して生きたいと言ったことはない。じゃないとなんだか我儘を言っているような気がするからだ。
 でも、それだけが理由じゃダメなんだろうか。