「ばあちゃん、腹減った!!」
「フ・ジ・コ・さ・ん!
じゃなきゃ、おやつは抜き!!」
「はぁ!?………ったく、しょうがねぇなぁ。
フジコさん、おやつー!!」
「素直でよろしい。
手、洗っといで。今日は、プリンだよ。」
祖母と孫の、なんだか可笑しな会話に、あたしは笑っていた。
心がすぅーっと、軽くなっていく。
何が変わったわけでも、何が解決したわけでもない。
それでも、あたしの中で、何かが変わっていく気がした。
いつの間にか、外は夕暮れ。
いつの間にか、聞き慣れていなかった歌謡曲が耳に馴染んでいた。
― あたしがモモに願う事、
モモがあたしに願う事。 ―
「遠距離!?」
放課後の教室で、あたしは素っ頓狂な声を上げた。
「うん。」
美帆は、そんなあたしに対して何でもない事のように返事をする。
「……決めたんだ?」
「決めた。
卒業してからどうするかって、何度も話して、ケンカしてね。」
「うん…。」
「遠距離もヤダ、別れんのもヤダって言い続けてたんだけど。」
「うん…。」
「……だんだん…バカらしくなってさ。
不安だし、実際やってみたらどうなるか分かんないけど……信じたいんだよね、立花くんの事。」
………信じたい、か…。
卒業後、立花くんと別々の道を歩む美帆は、遠距離恋愛を決意した。
立花くんを信じたい、と言った美帆の表情は思い詰めても、塞ぎ込んでもいない。
むしろ、清々しい笑顔で。
あたしは、また、置き去りにされてしまったような孤独を感じる。
誰もが前へ進んでいるのに、あたしは立ち止まったまま…………。
モモと話さなくなって、会わなくなって、何日が経ってしまっただろう。
美帆はきっと、あたしとモモの関係が可笑しくなっている事に気づいている。
この教室に頻繁にやって来ていたモモが、ぱったりと来なくなったのだから。
それでも、気づいていて何も聞かない美帆。
ほんの少し前なら、美帆は何の躊躇いもなく尋ねたはずだ。
いつの間に、こんなに大人になっていたんだろう。
いつも一緒にいたっていうのに気づかなかったなんて。
あたしは、自分の心が萎んでいくのを感じた。
美帆に手を振って、教室を出る。
廊下を歩きながら、暗く沈んでいきそうになる気持ちに、何とか気合いを入れる。
階段に差しかかった時、丁度上ってくるモモと鉢合わせになった。
瞬間、逃げだしたい、という思いが頭を過ったものの、あたしは一歩踏み出した。
階段を下りるあたしと、上ってくるモモ。
擦れ違う時に、モモはあたしを見つめたけど、あたしは目を合わせられなかった。
モモの顔を見れない。
今のあたしに、そんな事できるわけがない。
モモが好き。
でも、好きだけじゃダメなんだよ。
あたしが、あたしの答えを自分で見つけない限り、モモと一緒にはいられない。
ほろ苦い痛みが胸に広がる。
ざわざわと落ち着かない心。
下駄箱まで辿り着いて、あたしはやっと一息ついた。
モモと一緒に帰っていた、夕暮れの帰り道。
アスファルトの道路がオレンジ色に染まっていた。
モモの自転車の後ろで、見上げていた空をあたしは今、一人見上げている。
夕方は、嫌いだ。
途方もなく、寂しくなる。
いつもの帰り道を外れて、あたしは歩きだした。
最近、放課後は、あの奇妙な喫茶店に入り浸っている。
駅近くの古びた小さな喫茶店『ジロー』。
カラフルなアロハシャツを好んで着ているフジコさんと、子供らしくない小学3年生・太一がいる。
店内で流れている聞いた事もなかった歌謡曲を、あたしは、もうすっかり覚えてしまった。
「こんにちは。」
言いながら、あたしは店内へ入った。
今日も、客は一人もいない。
フジコさんは、煙草を片手に微笑んだ。
「アイスティーでいいかい?」
「はい。」
半分ほど短くなっていた煙草を、銀色の小さな灰皿の中で消すフジコさん。
バタバタと走ってくる足音がして、奥から太一が顔を出した。
「エリ!おせぇぞ!」
「……まさか、今日も?」
「当たり前だろ!早く、早く!!」
「ちょ、太一っ!」
あたしの手を引いて、外へ連れ出そうとする太一。
空いている方の手には、太一の身長に合っていない虫取り網。
そんな様子を見ていたフジコさんは、笑いながら言った。
「アイスティーは、戻ってきてからだね。」
強引に、太一に引っ張りだされて、あたしは外へ飛びだした。
ほとんど毎日のように『ジロー』に顔を出すあたしに太一はすっかり懐いて、
ほとんど毎日のように河原へ虫取りに付き合わされる。
大人びてはいても、やっぱり小学3年生。
両親が共働きで忙しいうえに、一人っ子の太一。
遊び相手がほしいのだろう、とフジコさんが言っていた。
「さっさとしろよ!オバさん!!」
「オバっ!?」
……ったく生意気な…。
「そんなんだから、モモ兄ちゃんにフラれるんだよ。」
………んの、ガキ……。
「あのねぇ、フラれてないから!」
「ふ〜ん。どうでもいいけど。」
………どうでもいいのかよ。