にわかごしらえの婚約者は冷徹公爵子息の溺愛を求めていない

 身分違いの恋は、ただの思い込みであり本当の恋愛ではない。

 ステファンはそう言いたいようだ。その意見には、私も賛成しないでもない。近衛隊長であるハンスとどこかに行方を晦ましたオリヴィアが、現実を目の当たりにし、急に熱が冷めてしまうことだって大いにあり得る。なにしろずっと、公爵家の令嬢として蝶よ花よと育てられてきたのだ。侍女もいない、狭いアパート暮らしなどできるはずもない。

 ……ちょっと待って。もし、オリヴィアが百年の恋に終止符を打ったとしたら、どうするだろう? それ、間違いなくルナール家に帰るわよね? え? それ、まずくない? オリヴィアが屋敷に戻ったら、マクミリア公爵家に行ってないことがバレる。そうしたらここに使いの者が来るだろう。いや、もしかしたらルナール公爵自ら、謝罪のために足を運ぶかもしれない。そうなったとき私がここにいたら……どうなる? よく今まで代わりを務めてくれた、ありがとう! ってことに……なるかな? なるかなぁっ?

 血の気が引く。

「オリヴィア、どうした?」
 黙り込み、顔面蒼白になった私を見て、ステファンが慌てたように私の顔を覗き込む。美しいアンバーの瞳が目の前にある。
「ちょっと、どうすればいいかわからなくなってきました……」
 思わず素で答えてしまう。しかしその返答を何故か前向きに捉えるステファン。
「そうか、それでいいんだオリヴィア。早く気持ちに整理を付けた方がいい」
 私の肩をポンポンと叩き、頷く。

 なんだろう、今日のステファンは少し、変だ。

「ステファン様……なにかありましたか?」
 私は思わずそう訊ねてしまう。と、あからさまに視線を逸らし「別に」と話を誤魔化そうとしたのだ。
「あの、なんですかっ? おっしゃってください!」
 私の正体がバレた? でも、だったらとっくに追い出されてるはず。どちらかというと、怒られているのではなく、優しくされている。ツンケンしてた昨日と、態度が違いすぎる。

「……オリヴィア、君は……」
 険しい顔で言葉を紡ぐステファンを前に、私は身構える。どうしよう、なにを言われるんだろうっ。
「君は大きな裏切りにあったんだ」
「……はぃ?」

 とても深刻そうな顔で告げられたが、心当たりがない。いや、確かに裏切りにはあってるけど、なにか違う感じ。

「どういうことです?」
 問い詰める私に、ステファンは小さく息を吐きだし、なぜか私の手を握る。
「賊に遭って逃げた」
 ギクリ、と私の方が震える。
「ここに来た日、君はそう言っていた。そうだね?」
「あ……ハイ」
 それ、嘘だけどね?
「それは多分……自作自演だ」
 ギクギクッ
 ……正解です。

「あのっ……」
 声が震える。やっぱりバレたんだ。どうしようっ。
「君のお付きだった侍女は、男と逃げた」

 ……ん?

「は?」
「朝から部下に調べさせていたんだ。この辺りで賊に襲われた者がいなかったか。マクミリア領は、辺境ではあるが治安は悪くない。賊がいれば、とっくに俺の耳に入ってきているはずなのに、そんな報告はなかった」
 確かに、この辺りは治安がいいことで有名だ。町は活気もあり、流通も栄えている。街道は整えられ、道も悪くはない。

「町の質屋にあたったら、すぐにわかったそうだ。美しいドレスと装飾品を売りに来た二人組がいた、とね」
「あっ」
 それって、オリヴィアとハンスじゃん!

「侍女は男と結託し、君のドレスや装飾品を奪ったようだね」
 あ~……それ違うなぁ。
「これに見覚えは?」
 ポケットから取り出した小さな布。中から出てきたのは、美しい青のルースが光る、ペンダントだ。オリヴィアのもので、間違いなかった。
「……」
 私は無言でそれを手にした。そっかぁ、身ぐるみ全部換金したんだ。本気なんだなぁ、オリヴィア様。何年も彼女のお世話してきたから、幸せになってほしいとは思う。思うけどさ……。

 私が黙ってしまったのを、ステファンはまたも、誤解したようだ。

「つらい気持ちにさせて、すまない」
 何故か謝ってきた。
「あ、いえそういうことではなく」
 言いかけた時に、ドアが開く。
「お食事の準備ができました」

 話は一旦、打ち切られた。

◇

 食事を終えた私は、自室へと戻った。プレストは「嫌われて来い」なんて簡単に言ってたけど、そう簡単な話じゃなくなってないか、これ。

 ソファに寝転がり、天井を見上げる。

 ルナール公爵に手紙でも出してみる? お宅の娘さん、近衛隊長と逃げちゃいましたよ! ……なんて書けないよなぁ。
 そんなことを考えていると、部屋をノックする音。私はドアに近づくと、
「誰?」
 と声に出す。

「プレスト・クロフォードでございます」
「どうぞ」
 私の返事を待ち、プレストが部屋に滑り込む。私は小さくかぶりを振ると、
「プレスト様、もう、本当のことを話した方がよくないですか?」
 大真面目にそう進言した……のだが、
「旦那様が、大層喜んでおられるのです」
 プレストは斜め上からの発言を投げかけてきた。

「はい?」
「ステファン様が、旦那様に『夜会に出てみようかと思う』とおっしゃった、と」
「……夜会?」
 それがなんであるか、私は知っている。これでも公爵家で侍女をしていたのだから。

 夜会、というのはつまり、社交界の一種で、上級貴族たちが集うパーティーの総称。主に上流階級の交流を目的としたものであり、通常のパーティーと違うのは、夫婦での参加、もしくは婚約者を伴ってのお披露目などが必須ということ。

「夜会はダメでしょ!」
 私、大慌てで否定する。夜会に一緒に行くってことは、もう結婚したも同然の行為!

「ええ、私も旦那様にはよく言っておきました。まだ正式な婚約者でもないのに、夜会に同席させるのは早いのでは、と」
 ナイスアシスト!
「しかし……」
「なにっ?」
「五日後に婚約証書記名の儀を済ませれば、正式な婚約者となるので問題ないだろう、と」
「……つまり、それって」
「あと五日のうちに婚約破棄を果たす必要があるということです」

 時間、なさすぎる!

「うええええ、そんな無茶な!」
 私、プレストの服を掴んで揺さぶる。あと五日! 正式にはもう、四日しかない感じじゃないの!
「やるしかありません。ステファン様が嫌う女性たちのように、なりきっていただきます!」
「……つまり?」
「ステファン様の容姿を誉め、地位を誉め、結婚したいと目を輝かせるのですよ!」
「えええ……」

 やりたくねぇぇぇ。私、顔だけの男って好きじゃないもんっ。演技だとしてもそんなこと言いたくないんだけどぉ。

 あからさまに嫌な顔をする私に、プレストが畳みかける。
「嫌われることができなければ、このまま婚約証書記名の儀が執り行われることになりますぞっ?」
「それはダメぇぇぇ!」

 腹を括るしかないのだ。無事に婚約破棄を手にし、ルナール家に戻り、侍女に戻り、平凡ライフをこの手に掴むまで!

「明日はステファン様の公休日。お屋敷にいるはずですので、嫌われるための時間はたんとございます。どうぞ、ご武運を」
 プレストの言葉を耳に、私は頭を抱えながら明日の決戦に向け、作戦を練ることにしたのである。