にわかごしらえの婚約者は冷徹公爵子息の溺愛を求めていない

「うっわ……頭痛い」
 最悪の目覚めだ。

 私はベッドを降り、カーテンを開けた。眩しい光が部屋を暖かく染める。窓を開け、新鮮な空気を吸い込む。部屋に置かれていた水を飲み、大きく息を吐き出す。頭痛はそのうち消えるだろう。

「さて、と」
 とっとと着替えて仕事に取り掛からなきゃ! と思ったところで、気付く。
「あ、違う。私、オリヴィア様なんだった」
 呟いて、呆ける。

 見渡せば天蓋付きの大きなベッド。広い部屋の中にはテーブルとソファもある。きっとこんな時間に起きる必要もなかった。でも、もう起きてしまったし……
 クローゼットの中もすごいことになってる。一体何着入ってるのよ?

 私はクローゼットを開けると適当な服をチョイスし、着替える。慣れた手つきで髪を結い上げると、考える。

「どうすりゃよかんべなぁ」
 わざと訛ってみる。どうせ誰も聞いてないしね。

 いっそこのまま屋敷を抜け出して、本物のオリヴィアを探しに行きたい気分だった。結婚するのしないので揉めるのは構わないけど、私を巻き込まないでほしい。大体、その場しのぎの嘘がいけない! 私は執事長であるプレストの危機管理能力の薄さを恨んだ。

「オリヴィア様、お目覚めですか?」
 ドアの外から侍女の声が聞こえる。ドアを開けると、すっかり支度を終えた私を見て、侍女たちが目を丸くしていた。

 部屋に運ばれてきた朝食を食べ終えると、侍女たちが私の髪を結い直す。そんなに編み込まなくてもよくない? ってくらい手の込んだ髪型にされる。支度を整えたところで、仕事に出る前のステファンに挨拶をするため玄関へ向かった。ちょうど部屋から出てきたステファンを見つけ挨拶をする私を、彼はものすごい顔で見返した。怒っているような、困っているような、とにかく変な顔。

「おはようございます、ステファン様」
「……ああ、おはよう」
 それでもきちんと挨拶を返してくれたので、よしとする。

「……大丈夫なのか?」
 眉をひそめ、そう訊ねてくるステファンに、私の頭は「?」になる。
 そう。私はこの時、昨夜の失態をまったく記憶していなかったのだ。
「はい?」
「あ、いや。なんでもない」

 手にしたタイを首に掛けるステファンを見て、つい咄嗟に体が反応してしまった。
「私が」
 さっと手を出し、ステファンの首のタイを結ぶ。無意識ってすごい! だってつい昨日まで、こういう仕事してたわけだしね?

 でもステファンは違う。何故、公爵家の令嬢がタイを結べるのか不思議に思っていた。自分のことすら儘ならないのが令嬢という生き物ではないのか? と。

「はい、これで大丈夫です!」
 にこやかに笑う私を前に、ステファンが困惑した口調で言う。
「昨日の罵詈雑言が嘘のような献身っぷりだな……」
 ピク
 私、笑顔に亀裂が入る。
「……罵詈……雑言?」
 引きつった笑顔のまま、聞き返す。

「……もしかして、覚えていないのか?」
 うわ……。私、なに言ったっ? なんかとんでもないことしたっ? 酒は飲んでも飲まれるな、って感じ~!?
「えっと、あの、私……もしかしてとんでもないことを口に?」
 焦る私を見て、一瞬の間を置きステファンが「ぷっ」と吹き出す。あら、柔らかい笑顔。こんな顔も出来るんだ。

「覚えていないのか。だから普通に話し掛けてきたのだな。昨日……ふふ、あんなにっ」
 ステファンって、こんな風に笑うのね。可愛いじゃない。……じゃない!
「申し訳ございません! なにも覚えてなくてっ、その、私は一体なにを?」
 そういう私の言葉を聞き、更にステファンが顔を歪める。
「いや、いい。くくっ、気にするな。あれはあれでよい余興だった。では、行ってくる」
「……はぁ、行ってらっしゃいませ」
 私は侍女だったころの癖で、深々と頭を下げたのである。

◇

 執事長であるプレストの前で、私はひたすらに頭を下げていた。

「申し訳ございませんっ!」
 つい先日まで侍女として生きてきた私だ。目の前に公爵家の執事長がいる。それだけでも背筋が伸びてしかるべき場面。そこに、昨日の自分がやらかしたあれこれを聞かされ、血の気が引きまくったところである。

「頭をお上げください、オリヴィア様!」
 プレストが慌てた様子でそう言った。私はただの侍女だけど、今はオリヴィア・ルナール公爵令嬢としてここにいるわけで……。プレストからしたら私の存在って“オリヴィア付き侍女”なのに”オリヴィア”なんだから、やりずらい感じなんだろうな。それはわかる。わかるけど、昨日の失態を聞いた今、私にできるのはお詫び。それだけなの!

「まさかそんなことをしでかしていたなんて……私、処刑されますかね?」
 両手を胸の前で組み、涙ぐむ。相手は王様じゃないんだから、処刑はしないでほしいけど……冷徹公爵令息って言われてるくらいだもん、なにされるかなんてわかったもんじゃない!

 怯える私に、何故かプレストは心底困った顔でもっと怖いことを言ったのだ。

「処刑どころか、正式に婚約の儀を行う話になっております」
 ……は?
「ちょ、どういうことですかっ? 私はオリヴィア様ではなく、ただの侍女ですよ、って言いましたよね? どうしてそんなことになるんですかっ?」
 しかも昨日の失態を考えれば、愛想を尽かして即刻返品で構わない案件だ。そうだ。いっそ返品してくれればいいじゃないか!
「返品しましょ? ね? 酒乱女なんか屋敷に迎え入れられるか! とかなんとか言って、返品しましょ?」
 私は必死にプレストに縋り付いた。この屋敷で私の正体知ってる人、このおっちゃんしかいないんだもん!

「……私もそう思って、ステファン様にお話しさせていただいたのです。が、首を縦に振るどころか、どうやら受け入れてしまわれたようです」
「え? なんでっ? 受け入れてるって、どういうことっ? もしかして、罵詈雑言浴びて喜んでるの? あんな綺麗な顔してるのに、あの人そっち系? 変態っ?」
 思わずそう口にしてしまう。
「ステファン様を変態呼ばわりとは、なんたる無礼!」
 バシッとお叱りを受け、私はピッと背筋を伸ばす。
「失礼いたしましたっ!」
 言い過ぎたのは悪かったわよ? でも、実際そうじゃないっ。

「……こうなったら、やり切るしかありませんな」
 低い声でそう言ったプレスト。なにか作戦があると見た!
「なんですかっ? どうすればいいです? 私、なんでもします!」
 このままオリヴィアを続けることなんかできるわけないのだから、一刻も早くここを出ていかなければなのよ! 正式に返品されたい! ただそれだけ!

「……嫌われてください」
「……は?」
 プレストの放った簡素で明確な言葉に、私、拍子抜けする。

「ステファン様に確実に嫌われていただければ、すぐに屋敷から出ていけるはずです」
 簡単に言ってくれるじゃないっ。……でも、確かにそれしか道はないような気もする。
「……えっと、プレスト様、私はなにをどうすればステファン様に嫌われると思いますか?」
 私、真剣な顔でプレストを見つめた。プレストもまた、私をじっと見つめる。見つめ合ってるのか睨み合ってるのか、なんだかわからないおかしな“間”が流れる。

「……そもそもステファン様は、女性がお好きではないようですから……そのままでよいのでは?」
 え、なにそれ。なにもしなくていいってこと?
「下手に手を出してボロが出ても困ります。まずは普段通りに。それと、このことは他の者には決して言わないこと。よいですな?」
「わかっております。私だって、なるべく穏便に済ませたいんですから」

 追い出されて、屋敷に帰りたい。オリヴィア様のことは、ルナール公爵にとってはショックかもしれないけど、侍女がオリヴィアの代わりをしてるなんてことがバレたら、そっちの方が問題は大きいに違いないんだからっ。

 とにかく、頑張って嫌われよう。方法はわからないけど。

◇

 ――その日は朝から、大忙しだった。

 ステファンは、領主庁の執務室で帳簿とにらめっこをしていたのだ。昨夜父が口にした恐ろしい言葉の真意を確かめるため、目を皿のようにして資料を広げた。
「あのクソ親父っ」
 そこには、確かに借金の詳細が隠されている。一見するとわかりづらい数字が少しずつ積み重なっている。何年もこれが続いているとするならば、膨大な額となっているはずだ。

「これを俺にどうにかしろと?」
 ルナール家は確かに王宮と繋がっている。しかしそれだけだ。そこから先、どうやって金を作れというのか?

「それにしても……」
 と、今朝の出来事を思い出す。オリヴィアは自ら、なんの躊躇いもなくタイを結んでくれた。そのことが衝撃だった。
「もう少し、歩み寄ってみるべきだろうか……」
 柄にもなく、そんなことを考え始めた時、部下の一人が執務室を訪れた。

「ステファン様、今朝頼まれていた件なのですが……」
 座っているステファンに近づくと、耳元で詳細を報告する。それを聞いたステファンが眉間に皺を寄せた。
「それは……本当か?」
「はい、こちらがその一部の品です」
 コト、と小さな袋に入ったなにかを机の上に置く。ステファンはその中身を確認すると、
「……これは」
 と呟いた。

「ご苦労だった」
「では、私はこれで」
 部屋を出ていく部下の姿を確認すると、ステファンは遠くを見つめ、なにかを理解したかのようにハッと息を飲み、深い溜息をついたのである。