にわかごしらえの婚約者は冷徹公爵子息の溺愛を求めていない

 夜会は順調だった。挨拶はつつがなくこなし、ステファンも“冷徹公爵令息”の顔はどこへやら、男女問わず物腰柔らかく対応していた。まぁ、ここにいるのはみんな相手のある人ばかり。ステファンに絡みつき、色目を使ってくる“女”はいない。それがよかったのだろう。真面目に外交に勤しんでいた。

 そしていよいよ、時は満ちる。ダンスタイムだ。

「大丈夫、問題はないよ」
 ステファンに手を取られ、私は緊張の面持ちでホール中央へと向かう。ここまで来たらあとはもう、今までの練習の成果を出すだけ!
 スポコン漫画の主人公よろしく、瞳に炎を宿し、挑む。

 見られてる。すごく、見られてる気がする……。

 ターンするたび視界の端に映る、好機の眼差しが刺さる。しかし、目の前のステファンはそんなことを気にする様子もなく、楽しそうだった。そんなステファンを見ていると、だんだん私も楽しくなってくる。そうよね、楽しんじゃえばいいわよね?

「今までで一番自然だな」
「ええ、煩い鬼コーチがおりませんので」
「それは言えてる」
 私たちは笑いながら踊った。とても柔らかな、優しい時間だった。

 ひとしきり踊ると、お互いに礼をし、ホールを出る。
 ふぅ、さすがに体が火照るわね。

「少し暑いな。テラスに出ようか」
「そうですね」
 中庭のテラスにも席が用意されている。熱を冷ますにはちょうどよさそうだ。

「俺は飲み物を取ってくるから、オリヴィアは先に行っててくれるか?」
「わかりました」
 私はひとり、テラス席へ向かう。

 窓の向こう側は、心地よい風が吹いていた。

「ああ、涼しい……」
 全身に風を浴びていると、向こうから女性がやってくるのが見えた。何故かその女性は、私を見ると息を飲んで足を止めた。私が誰かを知っているかのような反応だけど、ご挨拶をした中にはいなかったはず……。

「……あなた、マクミリア公爵家の……」
 そう言われ、私はカーテシーを返す。
「ステファン・マクミリア公爵様の婚約者、オリヴィアと申します」
 何十回も繰り返した挨拶なので、すんなり出てきた。慣れってすごい。
「……そう」
 女性はそれだけ言うと、何故か俯いた。顔色が悪い。もしかしたら、酔ってしまって外に出てきたのだろうか? だとしたら、

「あの、大丈夫ですか? もし御気分が優れないようでしたら、お水をお持ちしますしょうか? それとも何か召し上がりますか? もしかして、ドレスの締め付けがきついのでしょうか?」
 座らせた方がいいだろうか。それとも誰かを呼んできた方がいい? などと頭を巡らせていると、女性が驚いた顔をした。
「あなた……」
 しまった! またしても侍女モードだった? いや、このくらいのことはどこぞの令嬢だってするわよね? え? するでしょ? ……やりすぎた?

「……優しいのね」
 ふっと顔をほころばせる。その顔に、既視感。ん?

「大丈夫よ、なんでもないの。ただ、少し驚いてしまって」
「驚いて?」
 聞き返すと、女性は近くの椅子に座るよう促す。促されるまま二人で椅子に座ったところで、改めて相手を見る。年齢はだいぶ上だろう。しかし、凛とした美しさを持つ美女で、亜麻色の髪は艶やかで美しい。

「マクミリア公爵家は、もうずっと夜会に参加していなかったでしょう?」
「あ、ええ、そうみたいですね」
「公爵はご健在なのよね?」
「はい」
 元気……とは言い難いけれど。
「あなたはご子息の、婚約者」
「そうです」
「……公爵は、ご病気?」
 ぽそっと呟いた言葉に、私はつい彼女の顔を見てしまう。
「あのっ」
 口を出した私を、手で制される。この人……誰?

「詮索するような真似をしてごめんなさいね。あの人のこと……少し気になって」
「あの人?」
「私はジェナ・リングルス。以前の名前はジェナ・マクミリアよ」
「へっ?」
 こっ、これは……元マクミリア公爵夫人!
「あっ、えっ? そのっ」
 パニック! まさかこんなところで義母さん登場なんて思ってないし!

「驚くわよね。……私も驚いたのよ。まさか夜会に……ステファンが婚約者を連れて来ているなんて、知らなかったから」
 ああ、きっと彼女はさっきのダンスを見て知ったんだ。それで驚いて、外へ……。

「幼いあの子を残して、屋敷を出てしまったものだから」
 負い目がある、ということなのだろう。
 ……ん? マクミリア公爵はここに元奥様がいるって、知ってた? もしかして、会わせたかったのかな。

「屋敷を出て以来、あの人とは連絡を取っていないの。でも私が再婚をしたことは知っていたのでしょう。私はてっきり、向こうもすぐ再婚するとばかり思っていたのだけど、ずっと夜会に顔を出していないと聞いて……。何故再婚しなかったのかしらね」
 最後の一言は自問自答のようだった。

「で、悪いのかしら、彼?」
「……どうしてそう思われるんです?」
 ここで公爵の病気を、私の口から告げることはできない。誤魔化してしまいたいけど、見透かされそうだ。

「わかるわよ。冷徹公爵令息、なんてレッテルを張られた息子を、どうやったか知らないけど、うまいこと焚きつけて婚約させ、夜会に出すなんて。老い先短いと知って、慌てたってことでしょ?」
 呆れたように物を言うジェナは、その表情の端々がステファンに似ていてドキッとする。ああ、親子なんだなぁ。父親より、母親に似ているんだ。

「自分が死ねば、ステファンの後ろ盾になる人物がいなくなってしまうから、夜会で人脈を築いてほしかった。そんなところなんじゃないのかしら?」
 くすくすと、すべてを見通しているような顔で笑って見せるジェナ。私は頷くわけにもいかず、ただ困惑する。と、そんな私を見て、ジェナは優しく言った。

「あなたを困らせるつもりはないの。これだけ教えて。このことをステファンは知っているのかしら?」
 その質問に、私は首を横に振る。
「……そう。ごめんなさいね、迷惑をかけて」
 ジェナが私の手に触れた。温かい、優しいぬくもり。
「……いえ、私の方こそ……私なんかで申し訳ありません」
 つい、本心がこぼれてしまう。離縁したとしても、ジェナにとってステファンは可愛い息子であることに違いないのだ。その息子の婚約者は、平民の、侍女。これこそ裏切り行為じゃない。

「さっきのダンス、見せていただいたわ。ステファンがとても楽しそうだった。あの顔を見て、思ったの。ああ、あの子はきっと幸せなんだ、って。……違うの?」
「それは……」
「オリヴィア、待たせてしまったね」
 後ろから声を掛けてきたステファンは、私の横に座るジェナの顔を見て、目を見開いた。
「……は……母上?」
 ステファンに呼ばれ、ジェナが切なそうに目を細める。
「立派になったのね、ステファン」

 それは感動的な親子の再会でもあり、きっととても複雑な気持ちが絡み合う再会でもあったに違いない。

 私には、マクミリア公爵の狙いが、ただの親子の再会だったのかどうかわからない。けれど、願わくば、血の繋がったこの親子が、離れていた時間を溝としてではなく、なにか別のものとして捉えてくれたらいいと思わずにはいられなかった。