にわかごしらえの婚約者は冷徹公爵子息の溺愛を求めていない

 マクミリア公爵が病気であることを知っているのは、執事長のプレストと、代々マクミリア家の主治医をしている先生と、そして私だけなのだと言われた。公爵から緘口令を敷かれてるわけだから、当然、私もこの件を誰かに話すことはできない。けど……

「どうしたオリヴィア、気もそぞろだな?」
 ステファンに言われ、ハッとする。
「すみませんっ」
「疲れたなら少し休憩を」
「いえ、大丈夫ですので!」

 目下、夜会に向けてのダンス練習が大詰めを迎えていた。もはやアンディと組むことを許してはくれないステファンは、仕事が終わるとこうして練習に付き合ってくれるのだ。
 くるりとターンを決め、最後のポーズをとる。

「どうだアンディ、もう完璧だろう?」
 ステファンに言われ、アンディは声を上ずらせ
「ステファン様は完璧です! 文句のつけようもございませんっ! オリヴィア様は……まぁ、おまけ合格というところですかね」
 後半の声質の悪さよ!

 それでもやっと彼の口から「合格」を勝ち取ったのだから、良しとする。

「いよいよだな、オリヴィア」
「そうですね……」
 夜会は、明日に迫っていた。

「おっと、そうだ。これを渡さなければと思っていたんだ」
 ステファンがごそごそとポケットを探る。取り出したものは……指輪。
「それは?」
「オリヴィアのために用意したんだ。明日は、これを付けてほしい。……駄目か?」
 遠慮がちに訊ねるステファンに、私は答えた。
「いいえ、ありがとうございます、ステファン様」
「……オリヴィア!」
 歓喜に満ちたステファンが私の指にそれを嵌めた。使われている宝石は赤。私の髪が赤茶だからなのかな? とても美しい赤い石。

「この宝石はルクシアという、珍しい宝石なんだ。こんなに美しい輝きを持っているにも拘わらず、石言葉が面白くてね」
「石言葉?」
 永遠の愛、とかその手のやつか。
「ルクシアの石言葉は“日々の幸せ”なんだよ」
 意外な言葉が飛び出し、私は目を丸くする。

「俺は父のようにはならない。きっと、ずっとオリヴィアを想って毎日の何気ない幸せを守り抜くよ」
「ステファン様……」
 心が揺れる。私は男女間の愛が永遠に続くとは思っていない。けど、今目の前にいるこの人は、誠実でまっすぐな目を向けてくる。今の言葉に、きっと嘘偽りはないのだろう。

「一生をかけて証明するさ」
 無邪気に笑う顔を見て、少しだけ、信じてみたいと思えた。
 ステファンの後ろで悔しそうに唇を噛み締めるアンディの顔を見て、笑いそうになったけれどね。

◇

「……想像以上ですね」
 私は恐れ戦きながら、会場を見遣った。
「俺も、ここまでとは思ってなかったな」
 ステファンもまた、入り口から中を見て驚いている。

 夜会――。

 それはある一定以上の地位にある貴族たちが集う場所。王家に縁のある某邸宅で行われる社交パーティーであるわけだが……。

「これはこれはマクミリア公爵令息様、やっと夜会においでくださいましたか!」
 お髭の御仁と、隣にはごてごてしいドレスに身を包んだご婦人。ステファンはパッと余所行きの顔を作る。
「オマール伯爵、ご無沙汰しております」
「そちらは、もしや?」
「ええ、婚約者のオリヴィア嬢です」
 紹介され、私はカーテシーをする。
「まぁ、可愛らしいお嬢さんだこと! いつの間にご婚約を? うちにも年頃の娘がおりましたのに!」
 ご婦人が遠慮もなくそんなことを口走る。

 とまぁ、似たようなやり取りが延々と続く。なんとまぁ、ご苦労なことね。貴族社会ってのは、名刺がないってだけで会社と似てるな。名乗って、世間話して、仕事の話して……。

 いつも参加してる人たちはそうでもないのだろうけど、なにしろマクミリア家は十数年参加してなかったみたいだし、いろんな意味で注目の的って感じ。

「オリヴィア、大丈夫か?」
「ええ、問題ありません」
 元会社員である私、このくらいの対応ならば全く問題ない。ただ、好機の目で見られているのはちょっぴり迷惑だけどね。

「あれがステファン様の? 嘘でしょうっ?」
 そんな言葉を耳にしたのは一度や二度ではない。隣に並ぶには見劣りする。そう言いたいのだろうし、それに関しては私も大いに同意しますよ、ええ。

「ステファン様っ?」
 ひときわ大きな声で近付いてきたのは、なんとも派手な装いの美人。背も高くて、モデルみたいにスタイルがいい。ステファンの隣にいる私を見て、露骨に睨みつけてきた。

「ああ、マルウェル伯爵のご息女……ですよね?」
 名前までは思い出せないのか、ステファンがそう呼んだ。
「アミリアですわ。今はマルウェルではなく、アミリア・カデラですが」
「ああ、失礼いたしました。ご婚約なされたのでしたね」
「ええ……ステファン様にフラれてしまいましたから……」
 アミリアがそう言ってステファンの腕に触れる。おっと、これは宣戦布告ではないのかしら? ステファンが断った縁談の一つってことかしらね。

「そうでしたか。カデラ伯爵家に」
「そちら、もしかして」
 チラッと私を見遣る視線は明らかに見下すような目つき。でも、うちのオリヴィア様は公爵家なのでお宅より爵位は上ですよ? ま、私はただの侍女だけど。

「ああ、こちらはオリヴィア・ルナール公爵(・・)令嬢。私の婚約者だ」
「初めまして、オリヴィアです」
「……あら、ルナール家の……そうですの」
 ほ~ら、トーンが下がった! 階級社会ってわっかりやすい!
「公爵家のご令嬢にしては、随分地味ですのね?」
 あら失礼! でも認める!
「アミリア嬢にはそう見えるのか。私には光輝いて見えるのだけどね」
 うっとりする視線を向けてステファンが言う。うはぁ、やめてよこんなとこでっ。
「そんな……とんでもありません」
 謙遜、謙遜。バカップル誕生! アミリアもこのやり取りで、イライラマックス!

「ところで、カデラ伯爵は?」
 ステファンが辺りを見渡すと、アミリアはさも当然といった風に、
「私の飲み物を取りに行っております」
 と答えた。
「おっと、これはまずい。私もオリヴィアの飲み物を取りに行かなきゃいけないね」
 悪戯っぽく笑うステファンに、思わず私は
「いえ、飲み物なら私が取って参ります!」
 と答えてしまう。だって侍女だし。
「いいんだよオリヴィア、少しここで待ってて」
 ステファンはそう言うと、飲み物を探しに行ってしまった。お願い、アミリアと二人にしないでよぉぉ! と思ったけど、言えない。

「……ふぅん」
 アミリアは私を頭からつま先まで眺め回す。お行儀悪いぞ?
「ステファン様が婚約したという話は伺っておりましたが、ルナール家のご令嬢でしたか。うまいことおやりになったんですのね?」
 ああ、やっぱり突っ掛かってくるんだ。別にいいけど。

「親同士の決めたことですので、私はなにも」
「嘘! ステファン様の隣を狙っていた令嬢は沢山おりますのよっ? どうせあなただって、ステファン様のことが好きで、親に頼み込んだのでしょうっ?」
 あー、嫉妬。女の嫉妬、怖い。
「いえ、本当に私は……」
「なによ可愛い子ぶっちゃって! あんたなんかステファン様に釣り合ってないじゃない!」
「それはわかってます」
「……はぁ? 私のこと馬鹿にしてるのっ?」
「いえ、ですから……」

 面倒だな。これからもこういう令嬢がわんさか現れるのかな。そのたびに下手に出てたら、付け込まれるんだろうな。あんまりこういうのは好きじゃないけど、自分の身は自分で守るしかないんだよねぇ、きっと。

 私は覚悟を決め、アミリアにグイっと顔を近付け、囁いた。

「あまりピーチクパーチク思ったことを言葉にすべきではありませんよ? 伯爵家の(・・・・)ご令嬢様」
「っ!」
 アミリアの顔が引き攣るのがわかった。私は素知らぬ顔で、更に続ける。

「理由はどうあれ、私はステファン様の婚約者。私を馬鹿にするということは、ステファン様を馬鹿にするのと同じこと。黙って聞いていると思ったら大間違いです。この意味、お分かりですか?」
 あえて優しい声で、諭すようにそう口にする。この手の女は同じ土俵でぎゃんぎゃんやっても駄目なのだ。地位をひけらかすのは好きじゃないけど、この際仕方ない。
「しっ……失礼しましたっ」
 青い顔でそれだけを口にすると、アミリアはサーッとどこかに行ってしまった。
 悪評が立つかもしれないけど、ま、いっか。

「待たせたね、オリヴィア」
 ステファンがグラスを手に戻る。
「あれ? アミリア嬢は?」
「他の方のところへ行ったようですね」
 知らぬふりでグラスを受け取る。

「ああ、オリヴィアのはアルコール抜きにしておいたよ。ここで暴れられては困るのでね」
 クスクスと笑いながらグラスを差し出すステファン。

 初対面での失態を思い出し、今度は私が青ざめたのだった。