にわかごしらえの婚約者は冷徹公爵子息の溺愛を求めていない

「……本当に、ここにいてもいいのでしょうか?」
 翌日、ステファンが言い出したのは「同伴出勤」だった。
「ちゃんと仕事をしろと言ったのは君だろ? オリヴィア」
 満足そうにそう言いながら、私を領主庁まで連れてきたステファンは、庁内で働く職員たちに私を紹介しまくり、ご満悦だ。職員たちは、冷徹公爵令息のふやけた顔を見て、とても驚いていたけど。

「お仕事をする場に、私がいる必要ってありますか?」
 ステファンの執務室に通された私は、出されたお茶を前に戸惑う。
「アンディと君が気になって仕事が捗らないのなら、俺の目の届くところに君がいてくれればいい。だろ?」
 だろ? って……。これって他の職員から見たら、色ボケカップルが職場にやってきました、でしかないような気がするけどねぇ。

「本でも読んで、好きに過ごしてくれればいい。町に出たかったら案内もするぞ?」
 嬉々とした顔で言われ、速攻制止する。
「お仕事してください」
「ちぇ」
 ステファンは口を尖らせ、渋々仕事を始めた。

 私はというと、テーブルに置かれたステファンの私物であろう本を手に取る。ぺらぺらと数ページめくるも、この雰囲気……何故だか昔の血が騒ぐ。職場というのは、仕事をする場所のこと。その中に一歩足を踏み入れた途端、私の頭が仕事モードに切り替わったのだ。ああ、無性に仕事がしたい!

「ステファン様、お聞きしてもよろしいですか?」
 ソファから立ち上がると、ステファンのデスクへと近付く。ステファンが嬉しそうな顔で「なんだっ?」と聞いてきた。
「マクミリア公爵様が使い込みをなさっていたというお話は伺いましたが、その……帳簿を見せていただくことはできますか?」
「帳簿を……? 君が?」
「はい」

 そりゃ驚くか。女性が仕事をしないということはないが、商家ならまだしも、良家の令嬢は帳簿を見ないだろう。見たところで、見方を知らなければただの数字の羅列に過ぎないわけだし。

「……構わないが……わかるのか?」
 ステファンも不思議そうに首を傾げた。
「ええ、少しは」
 私はずいと身を乗り出し、帳簿を覗き込む。
「おかしな数字は、いつからです?」
「……五年前くらいから始まって、一年前までだな」
「四年間だけ……ですか」
「ちょうど、俺が父の跡を継いで領主庁で仕事を始めたころには終わっていたよ。あいつ、俺に仕事を押し付けただけじゃなく、厄介ごとまで押し付けやがってっ」
 拳を握り締めるステファンに、私はさらなる質問をぶつける。

「公爵様はまだお若いのに、どうしてステファン様に仕事を任せたのでしょう?」
「それはっ、もう引退したいと言い出したからだ。きっとまじめに仕事をするより、遊んで暮らしたくなったんだろ」

 そうだろうか。私の中で疑問が湧く。マクミリア領の治安の良さや、町の活気は一年やそこらの業績で築き上げたものではないだろう。つまりマクミリア公爵は、最近まできちんと仕事をしていた。一年前に、なにかあったのだろうか?

「もしかしてステファン様、ルナール家以外の縁談を断ったことがおありですか?」
「え? ああ……そういや俺が仕事を押し付けられるようになってからというもの、縁談話は多かったな。引継ぎが終わるまでは無理だと言って、すべて断っていたが」
「なるほど」
 考え込む私を見て、ステファンが何故かソワソワしながら続けた。

「しかし、今となっては他の縁談など受けなくてよかったと思っているんだっ。いや、あの時縁談を断ったのはなにかの導きだったかもしれないなぁ? こうしてオリヴィアに会うためにきっとっ」
「ステファン様、大変申し訳ありませんが、私に自由時間をいただけますか?」
 ステファンの言葉を遮り、声を荒げる。もし、私が思っていることが当たっているなら、確かめなければ。

「自由時間……?」
 つい、侍女のつもりで口を突いた言葉。あ、そうか。別に時間を拘束されてるわけじゃないじゃん。
「あー、えっと、ちょっと出掛けてきてもよろしいですか?」
「どこへ?」
「お屋敷に」
「では、俺も」
「いえ、ステファン様はお仕事を続けてください!」
「しかしそれではオリヴィアとアンディがっ」

 ああ、クソ面倒だなぁ! 男のやきもちは大概にしてくれないと女々しく感じるんだけどねぇっ? 私、もう手段を選んでる場合じゃないな、って思ったので、ちょっぴりズルをしてみる。ステファンの頬にそっと手を伸ばすと、囁くような声で言った。

「ステファン様のために、差し入れを用意したいなって、思ってしまったのです。お仕事なさってるステファン様が、あまりにも素敵だったので……駄目でしょうか?」
 甘える仕草で上目遣いに見上げれば、見る見る間にステファンの顔が真っ赤に染まる。まるで夏の夕暮れのようにきれいな赤色。
「そっ、そうなのかっ?」
 上ずった声で返すステファンに、私は容赦なく“待て”を言い渡す。

「ほんの数刻お待ちください。必ず戻って参りますから」
 ツツツ、と人差し指でステファンの顔の輪郭を撫でつけると、悪女さながらの微笑みを浮かべ……てるつもりで部屋を後にした。心底恥ずかしいことをしたと思ってはいるけど、今はそんなことを気にしてる場合ではない!

◇

「プレスト様!」
 私は屋敷に着くなり、執事長であるプレストを呼びつける。ステファンと一緒に出掛けた私が、一人で帰宅したことに驚いているようだ。

「オリヴィア様、一体どういたしましたっ? ステファン様は」
「勿論、仕事をなさっております。それより、少し二人だけでお話を」
 私が真剣であるとわかったのか、プレストは困った顔で視線を泳がせる。

「私の部屋でいいですか?」
 誰にも邪魔されないよう、念入りに人払いをする。侍女長には、ステファン様への差し入れを持っていきたいからと、サンドイッチを注文することも忘れなかった。

 パタン、と後ろ手にドアを閉め、プレストの逃げ場を塞ぐ。

「お聞きしたいことがございます」
「……改まって、いかがしました?」
 警戒されている。うん、そうよね。私がそっち側だったら同じように警戒するし、聞かれたくない質問を投げかけられたときにどうすべきか、迷うと思う。だけど……

「口止めされているのはわかっているんです。だけど、本当のことを教えてください」
「……なんのことでしょう?」
「マクミリア公爵様は……ご病気ですか?」
 ひゅっとプレストが喉を鳴らした。
 やっぱりそうだ……。

「あまりよろしくはないのですね?」
「……何故そのようなことを?」
「色々とおかしなことがありました。その疑問を一つずつ紐解いた結果です」
 探偵を気取るわけじゃないけど、実際そうなんだもん。

 そもそも、私がここに来た時に、プレストが私を受け入れたこと自体、おかしいのよね。オリヴィアじゃない人間をその場しのぎでオリヴィアに仕立て上げるなんて、普通にあり得ないじゃない? だけど、そんなことを言っている場合ではなかったんだ。

「公爵様は、一刻も早くステファン様に結婚をさせたかったんですね」
「……そうです」
「帳簿の不正を捏造してまで……」
「っ! 何故それをっ」
 驚くプレストを前に、私は息を吐き出す。

「帳簿は二種類ある。……ですよね? すり替えたのはプレスト様ですか?」
 不正を行っていたとされる数冊の帳簿。あれは故意的に作られた偽物だ。マクミリア公爵は不正などしていないし、借金もない。至極真っ当に、きっちり公務をこなしていたんだわ。

「借金がある話は嘘。ルナール家との縁談は、マクミリア家にとって必須、という話も半分は嘘ですね。公爵様はステファン様を結婚させたかっただけなのでしょう?」
 私の言葉に、プレストが小さく首を振った。

「旦那様は……ステファン様を一人にさせてしまうことを恐れておりました」
 ポツリ、と話し始める。

「巷では“冷徹公爵令息”などと呼ばれ、結婚はおろか、女性に興味すら示さないお方です。このままでは結婚もせず、ずっと一人で生きていくことになってしまうのではないかと、本当に心配なさっていたのです」
「だから借金をしているなんて芝居までして、婚約させて夜会へ?」
「そうです。婚約者を連れ夜会にご出席なされば、否が応でも注目を浴び、マクミリア家の安泰を皆に知らしめることになると。ご自身は独り身となり、夜会には長く出席しておりませんでしたから、ステファン様をあの場に押し上げたかったのでしょう」

 そういう貴族間のほにゃららは私にはわからないけど……でも、公爵がステファンの将来を案じていたことはよくわかった。可愛い息子なんだよね、うん。

 そんな人から、私はステファンを託されたのか……。