にわかごしらえの婚約者は冷徹公爵子息の溺愛を求めていない

 昔から、流されやすいタイプではあったと思う。

 だけど、私に向かってくる流れなんて、せいぜい小川程度の小さなものばかりで、だからいつだって「まぁ、いいか」って、流れに身を任せてたんだ。

 でも今回のは違う。想像もつかないような大きなうねりの中に私は巻き込まれ、今もなお、流されている……。
 私が考えてたのはこういう未来じゃない。もっと普通で、平坦で、特に大きな事件もなく、少し退屈なくらいの毎日。気が付いたら今日が終わってて、特別なにもしてないな、って思っちゃうような、そんな毎日。

 大体、なんでこんなことになったのか、本当に訳が分からない。

「ではオリヴィア嬢、こちらの同意書にサインを」
 促され、書類の前に立つ。
 傍らには嬉々とした顔で書類を眺めている公爵令息……ステファン・マクミリア公爵令息がいる。
 私は言われるがまま、書類にサインをした。

 本当にいいんだろうか。私、オリヴィアじゃないのに。

「これを持って、ステファン・マクミリア並びにオリヴィア・ルナールの婚約証書記名の儀を終了いたします」
 司祭様が高らかに宣言し、私はにわかごしらえの婚約者となったのである。

◇

 事の発端は数日前に遡る。

 私はオリヴィア様の婚約にあたり輿添《こしぞい》することになっていた、ルナール家の侍女だ。
 護衛の近衛隊長と共に、ここ、マクミリア公爵家に出向くことになった。お世話係に私が選ばれた時は驚きだったけど、嬉しくもあった。オリヴィア様付きの侍女の中では私は古株だったし、年も近い。新しい場所でのお仕事は少しドキドキするけど、オリヴィア様を支えたいって気持ちは大いにあるもの!

「あと数刻で到着です」
 何度目かの休憩の際、近衛隊長であるハンスがオリヴィアに告げる。オリヴィアは始終浮かない顔で遠くを見つめていた。

「オリヴィア様、お疲れですか?」
 私が声を掛けると、苦しそうな顔で無理に笑顔を作り、小さな声で、
「大丈夫よ、セレナ」
 と答える。

 彼女がこの婚約に乗り気でないことは誰しもが知っていた。まず、お相手のステファン・マクミリア公爵令息が問題だ。お顔はすこぶるいいらしいのだが、性格に問題がある。どうやら女嫌いらしいという、もっぱらの噂。更に、冷徹でなにを考えているかわからない偏屈男だという話もあった。そんな相手に嫁ぐことになったのだから、乗り気になれるはずもない。

 今回の婚約は、勿論、オリヴィアに気があってのことではない。互いの家に利点があるというだけの契約的な縁談で、愛などないと聞いた。それどころか、先方は形だけの夫婦を求めているらしいのだから、質が悪い。
 更に言えば、こっちの理由が主なのだが、オリヴィアは恋をしている。相手は近衛隊長の、ハンスである。もちろん、身分違いであるし、結ばれることのない相手だ。今日の同行は、これが最後だという別れの意味もあってのことなのだろう。

「……ねぇ、セレナ」
 名を呼ばれ、顔を上げる。
「なんですか?」
「あなた、年はいくつだったかしら?」
「オリヴィア様の一つ上ですが……」
 なんで急に年齢を聞かれたのかわからず、首を捻る。

「一生に一度のお願いがあるのだけど」
「なんですか、急にそのような」
「少しの間でいい。私とハンスを二人だけにしてはもらえないかしら?」
 涙目で懇願してくるオリヴィア。
「それは……」
「ねぇ、お願い!」

 ぎゅっと手を握られ、私は同情してしまう。そうよね、もう一緒にいられなくなるんだものね。お別れする時間くらいあっても、きっと罰は当たらないはず……。

「わかりました。いいですよ」
 同情した私はつい、そう言ってしまったのだ。
「ありがとう! では半刻ほどここで待っていてちょうだい!」
 そう言うと、馬車から小さな荷物を手に取り、ハンスの元へ駆け寄るオリヴィア。ハンスは馬車から馬を外すと鞍を付け直し、オリヴィアを乗せ颯爽と駆けて行った。

 ――そしてそれきり、戻ってこなかった。

◇

「嘘っ? なんで? すぐ戻るって言ったの嘘なんけ? どうすんべこれ!」
 私は頭を抱え、悩んでいた。感情が高ぶると、訛る。前世の名残(・・・・・)だ。

 このまま屋敷に戻るべきか、マクミリア公爵にこのことを伝えるべきか……。どっちにしても馬車には馬が一頭だけ。休ませながら向かわなければならず、時間が掛かる。

「どっちにしたって修羅場だんべな~、これ」
 眉間に皺が寄る。
「なんでこんなについてないんかな。はー、やんなっちゃ~ね」

 これまでの人生を振り返る。

 私は、こう見えて転生者だ。
 界隈ではよくある話なのかもしれないが、私にとっては初の輪廻転生。そして、大分地味な転生であった。

 そもそも、元日本人、恋人なしのアラサー女。しかも北関東出身で小さな会社の経理事務をやっていたという、華のなさ。虐げられてたわけでも、幸せの絶頂だったわけでもない、ごく普通の毎日を過ごしていただけの前世。
 そして転生後も、ヒロインでもなければ悪役令嬢でもない一般人だった。父を早くに亡くしたあとは母と二人、住み込みで公爵家の侍女をしてきた。だが、二年ほど前に母も亡くなってしまい、今はひとりだ。

 前世も現世もと~っても地味。普通、前世の記憶を持つ輪廻転生って、どこぞの令嬢に生まれ変わるもんなんじゃないの? 勇者と恋に落ちたり、聖女として世界を救ったり? ……なんてことも考えたけど、特に派手な人生に憧れているわけではないんだ。いいじゃない、平凡で! ボーッとしながら、平坦な道をダラダラと進む人生こそ、贅沢ってものよね? 前世からずっと、私はやる気のない人生なのだ。

 そんな私にとっては、ある意味“今”が、人生において最大のイベントであり、見せ場なのかもしれなかった。

「しゃーない。こうなったら近い方へ進むしかなかんべな!」
 なんとなく前向きに……あるいはそれを自暴自棄と言うのかもしれないが、とにかく、私の人生には起こり得ないような盛大なハプニングが勃発したので、この流れに乗ってみることにした。

 私は馬車を走らせ、マクミリア公爵家へと向かったのである。

◇

 出迎えてくれたのは公爵家の執事長、プレスト・クロフォード。厳しそうな雰囲気の髭の御仁だ。
 しかし、私の話を聞くや、その顔がみるみる間に青くなっていく。手がわなわなと震え出し、ついにはその場に膝をついてしまう。

「な、ななななんということっ。それじゃなくとも到着が遅いとステファン様はお怒りなのに、オリヴィア様がいないなどと、どうしてお伝え出来ようかっ」
「申し訳ありませんっ」
 私が悪いわけじゃないんだけど、とりあえず謝る。前世で通販会社のクレーム担当をしてたこともある私に言わせれば、中身なんかなくていいのよ。とりあえずごめんなさい、で。

「申し訳ないでは済まされん!」
 あらやだ、これもなんだか懐かしい返答だわ! そう、こんな時の返し方は確か……

「やっと来たか」
 私の返しを聞く前に口を挟んできたのは、
「うっわ、マジでっ? すっご!」
 思わず素で言っちゃった。
 なにこの人。めちゃくちゃカッコいいんですけどぉぉぉ!

 亜麻色の髪に茶色の瞳。整った顔立ちにシュッと高い身長と、とどめにイケボときたもんだ!

「遅かったではないか、オリヴィア嬢」
 めっちゃいい男がめっちゃいい声でなんか言ってる……。
「聞いているのか、オリヴィア嬢!」
 強めに声を掛けられ、やっと理解する。あ、私がオリヴィアだと勘違いしてるわけね。

「それがですね、実は」
「オリヴィア様は賊に遭遇したようなのです、ステファン様!」
 執事長が私を押しのけ、言った。

「お付きの侍女と入れ替わり、難を逃れ、やっとの思いでここまで辿り着いた、とのことでして」
 ちょ、ちょちょちょーい! 口から出まかせが過ぎんべな!

「……そうか。だからそのような格好を。大変だったな。……で、入れ替わった侍女はどこへ?」
「……残念ながら、はぐれてしまったようです」
「そうか……。今日はもう遅い。明日にでも誰かに探させよう。オリヴィア嬢は早く中へ。プレスト、夕食までに色々整えてやってくれ」
「畏まりました!」

 って、ちょっと、ちょっとちょっとぉ!?

「ではオリヴィア様、参りましょうか」

 執事長、このまま押し通す気なんけ~!