もう一度、君と世界が視れるなら

 何も見たくない、すべてから逃げ出したい、消えたい、いっそ死にたい。
 毎日毎日同じことを永遠に考えている。希望なんて見えるはずがない。
 歩道橋から縦横無尽に行き交う車や人々の波を見下ろす。下にあるものはずいぶん小さく見えた。もし今こっから落ちたら——。なんて惨い想像をしてしまう。深呼吸して想像のうちに留めておく。死にたくなるほどの地獄を生きているのに、実際死ぬのは怖い。そんな矛盾を繰り返している。
 ペットボトルに半分くらい残っていた水を一気に含んだ。味は無いはずなのにどこか苦く感じた。
 ホント、最悪だ。すべての鬱憤を詰め込んだ大きなため息を吐き出しかけた時
『まだこんなことも出来ないのか。ホント、役に立たないやつだな』
 バイト先の店長から言われた言葉が脳を叩きつけるかのように反響した。空になったペットボトルを片手で握り潰した。苛立ちは収まらないけれど、同時に何も言い返せない自分に嫌気が差して歩道橋を降りかかったところで、吐き気がした。我慢できなくなって、膝から崩れ落ちた。胃の中が空だったのか気がしただけで、吐けはしなかった。本当に吐き出したい、汚く、醜い感情も。

 どうせ帰っても、俺を待っているのは温かいご飯でも家族でもない。
 そんな分かりきっている。分かりきっているけれどバイトから帰る度に毎回期待してしまう。玄関の扉を開けたら夜ご飯のいい香りが鼻を包み込んできて、家族から「お帰りなさい」って言ってもらえて、今日学校であった小さな出来事を聞かせて、なんてせがまれるような…………、普通の「幸せ」を。
「——ただいま」
 玄関の扉を開けた。俺の期待なんて一瞬で崩れ去った。
 部屋は薄暗く、料理の匂いは無ければ「お帰り」の声なんてものも無い。
目の前にあるのは部屋の奥で寝込んだ母親と寂しく佇む台所だった。母が俺の帰宅に気づいたのか小さな声で、というかもう声にもならない声で「お帰り」と呟くのが聴こえた。病気のせいか、すっかり瘦せこけてしまった母の姿に一瞬だけ目を逸らしたくなる。あんなことさえ無ければ、とそんな母を見る度に嘆きたくなる。
「母さん、飯買ってきたよ」
「あ……ありがと、ね」
 痛々しい声で母はお礼を言った。自分ではほとんど動けない母を俺はそっと起こした。
「今、温めるから待ってて」
「うん……」
 俺が電子レンジで買ってきた弁当を温めようと台所に向かおうとすると母が息を吸う音が聴こえた。
「いつも、ごめんね。優ちゃんにはいつも迷惑かけて……」
 本当そうだよ。母さんさえそうじゃなければ……、俺はバイトなんてものに行く必要も無かったし、あんなことを言われることも無かった。生き地獄を味わうことも無かった。もういっそ消えてくれたらいいのに。不安定になった胸の奥底から衝動的に憎悪が込み上げてくる。
 けれど、奥底にある本音は絶対言えるはずもなく、俺はいつものように平気を装う。
「気にしないで、治るまでずっと俺が支えるから」
 胸が締めつけられるような感覚を覚えながら、電子レンジに母の弁当を放り込んだ。