放課後の廊下は思っていたよりも静かだった。教室から聞こえていた話し声も、運動部の掛け声も、少しづつ遠ざかっていく。
帰る準備を終えた俺は、昇降口で向かう途中、廊下の掲示板に貼られた一枚の紙に目を留めた。
──天文部 部員募集中。
その下には小さくこう書かれていた。
『星や月が好きな人、歓迎。』
「気になる?」
突然、後ろから声がした。
振り返ると、1人の女子生徒がたっていた。
「…別に」
「そっか」
彼女はそう言って、俺の隣に並ぶ。
「私、天文部の部長なんだ」
「へぇ」
「反応薄いね」
「そう?」
「うん。すごく」
彼女は少しだけ笑った。
「天文部って、何するの?」
俺が尋ねると、彼女は待ってましたと言わんばかりに顔をあげた。
「星を見る」
「それは分かる」
「あと、月を見る」
「…それも分かる」
「じゃあ、説明できたね」
どこか満足そうに彼女は頷いた。
少し変わった人だと思った。
けれど、不思議と話しずらくはなかった。
「名前、聞いてもいい?」
ふいに聞かれた。
「…高瀬」
「高瀬くん?」
「月弥。高瀬月弥」
「私は白石月乃」
「白石、さん」
彼女はもう一度、小さく笑った。
「ねぇ、高瀬くん」
「ん?」
「月は好き?」
どうしてそんなことを聞くのだろう。
少し考えてから、俺は答えた。
「好き」
それは考えるよりも先に出た言葉だった。
「そっか」
白石さんは嬉しそうに目を細めた
「じゃあ正式に入部する?」
「…え?」
「月が好きなんでしょ?」
「いや、そうだけど」
「じゃあ入ろうよ」
あまりにも自然に言うものだから、断る理由を探すことすら忘れていた。
「…うん」
自分でも驚くほど、素直な返事だった。
「よし」
白石さんは小さく頷くと、廊下の先を指さした。
「でも今日は部員じゃないから、部室には入れないんだ」
「そうなんだ」
「だから、こっち」
彼女について行く。
連れてこられたのは、校舎の裏手にある、少し開けた場所だった。
空を遮るものが少なく、夕暮れの向こうに夜の色が広がり始めている。
「ここ、月がよく見えるんだ」
白石さんは空を見上げた。
俺もつられて顔をあげる
薄い雲の向こうに、白い月が浮かんでいた。
「本当は、部員以外を連れてきちゃダメなんだけど」
「いいの?」
「特別」
そう言って、また笑った。
俺はもう一度、月を見上げた。
いつもと同じ月だった。
特別なことなんて、何も無い。
それなのに、今日の月は、いつもより少しだけ綺麗に見えた。
* *
翌日。俺は職員室に入部届けを提出した。
そして放課後。
「高瀬くん」
廊下の向こうで白石さんが手を振っている。
「入部届け、出してきたよ」
「ほんと?じゃあ、こっち」
昨日と同じように彼女の後をついて行く。
昨日は入れなかった部室。
その扉の前で、白石さんは立ち止まった。
「天文部へ、ようこそ」
扉が開く。
中には望遠鏡や星座早見盤、使い込まれた観測ノートが並んでいた。
窓際には、誰かが置いたらしいマグカップ。
机の上には、月の満ち欠けを記録した紙が広がっている。
思っていたよりも、ずっと普通の部屋だった。
けれど、どこか落ち着く。
「ここが、天文部?」
「うん。みんな月読部って呼んでるけどね」
「月読部?」
「そう。なんか、その方が私たちらしいでしょ?」
白石さんは楽しそうに言った。
「改めて、”月読部”へようこそ」
その言葉を聞いて、俺は部屋の中をもう一度見回した。
ここで何をするのか。
これから誰と過ごすのか。
まだ何も知らない。
ただ、昨日見上げた月のことを、少しだけ思い出していた。
何に心を奪われたのか。
月だったのか。
この場所だったのか。
それとも、隣で笑っている彼女だったのか。
その時の俺には、まだ分からなかった。
帰る準備を終えた俺は、昇降口で向かう途中、廊下の掲示板に貼られた一枚の紙に目を留めた。
──天文部 部員募集中。
その下には小さくこう書かれていた。
『星や月が好きな人、歓迎。』
「気になる?」
突然、後ろから声がした。
振り返ると、1人の女子生徒がたっていた。
「…別に」
「そっか」
彼女はそう言って、俺の隣に並ぶ。
「私、天文部の部長なんだ」
「へぇ」
「反応薄いね」
「そう?」
「うん。すごく」
彼女は少しだけ笑った。
「天文部って、何するの?」
俺が尋ねると、彼女は待ってましたと言わんばかりに顔をあげた。
「星を見る」
「それは分かる」
「あと、月を見る」
「…それも分かる」
「じゃあ、説明できたね」
どこか満足そうに彼女は頷いた。
少し変わった人だと思った。
けれど、不思議と話しずらくはなかった。
「名前、聞いてもいい?」
ふいに聞かれた。
「…高瀬」
「高瀬くん?」
「月弥。高瀬月弥」
「私は白石月乃」
「白石、さん」
彼女はもう一度、小さく笑った。
「ねぇ、高瀬くん」
「ん?」
「月は好き?」
どうしてそんなことを聞くのだろう。
少し考えてから、俺は答えた。
「好き」
それは考えるよりも先に出た言葉だった。
「そっか」
白石さんは嬉しそうに目を細めた
「じゃあ正式に入部する?」
「…え?」
「月が好きなんでしょ?」
「いや、そうだけど」
「じゃあ入ろうよ」
あまりにも自然に言うものだから、断る理由を探すことすら忘れていた。
「…うん」
自分でも驚くほど、素直な返事だった。
「よし」
白石さんは小さく頷くと、廊下の先を指さした。
「でも今日は部員じゃないから、部室には入れないんだ」
「そうなんだ」
「だから、こっち」
彼女について行く。
連れてこられたのは、校舎の裏手にある、少し開けた場所だった。
空を遮るものが少なく、夕暮れの向こうに夜の色が広がり始めている。
「ここ、月がよく見えるんだ」
白石さんは空を見上げた。
俺もつられて顔をあげる
薄い雲の向こうに、白い月が浮かんでいた。
「本当は、部員以外を連れてきちゃダメなんだけど」
「いいの?」
「特別」
そう言って、また笑った。
俺はもう一度、月を見上げた。
いつもと同じ月だった。
特別なことなんて、何も無い。
それなのに、今日の月は、いつもより少しだけ綺麗に見えた。
* *
翌日。俺は職員室に入部届けを提出した。
そして放課後。
「高瀬くん」
廊下の向こうで白石さんが手を振っている。
「入部届け、出してきたよ」
「ほんと?じゃあ、こっち」
昨日と同じように彼女の後をついて行く。
昨日は入れなかった部室。
その扉の前で、白石さんは立ち止まった。
「天文部へ、ようこそ」
扉が開く。
中には望遠鏡や星座早見盤、使い込まれた観測ノートが並んでいた。
窓際には、誰かが置いたらしいマグカップ。
机の上には、月の満ち欠けを記録した紙が広がっている。
思っていたよりも、ずっと普通の部屋だった。
けれど、どこか落ち着く。
「ここが、天文部?」
「うん。みんな月読部って呼んでるけどね」
「月読部?」
「そう。なんか、その方が私たちらしいでしょ?」
白石さんは楽しそうに言った。
「改めて、”月読部”へようこそ」
その言葉を聞いて、俺は部屋の中をもう一度見回した。
ここで何をするのか。
これから誰と過ごすのか。
まだ何も知らない。
ただ、昨日見上げた月のことを、少しだけ思い出していた。
何に心を奪われたのか。
月だったのか。
この場所だったのか。
それとも、隣で笑っている彼女だったのか。
その時の俺には、まだ分からなかった。
