神事の前夜、贄巫女は断食して尚儀局の一画で静かに過ごす——というのは建前で、蓮華は横になるのがやっとの広さの場所に閉じ込められ外から施錠された。
まるで独房のようだ。
灯りさえない暗闇で蓮華は考えつづけた。
白蛇様に喰わせると言っていたが、実体はあるのだろうか。
神話では最後に白蛇様は姿を消したとなっている。
「もしもどこかにいて意思疎通が可能なら、神気だけ持って帰ってくださいってお願いできないかしら……」
数字が限りなく零に近くなったとて、また鍛錬に励んで貯めなおせばすむ話だ。
故郷の村は見限られたようだが、このままでは五年後にまた別の誰かが生贄となる。その連鎖を断ち切れないだろうか。
最後にもう一度、蒼月に会いたい。
ひとこと、立派な皇帝になってほしいと伝えたい。
時間の感覚も失い悶々と考えつづけているうちに、外でカチャリと開錠の音がする。
もう朝かと蓮華が体を起こした。
扉が開き宮燈の明かりに照らされて、蓮華は思わず目をすがめた。
「蓮華?」
聞きまちがいだろうか、会いたいと思っていた蒼月の声がする。
「時間がない。さあ」
訳がわからぬまま、伸ばされた手を取った。
蓮華は大きな手に引かれて立ち上がり、小部屋を出る。
蒼月は付き人も連れずにひとりきりだ。
「神事が終わるまでお会いしてはならないのでは?」
「きみを巻き込んでしまってすまない。これから白蛇様のもとへ案内する」
蓮華は息を呑んだ。
(神事の前にもう生贄に……!?)
「蒼月様——」
「静かに」
蒼月が辺りを見回し、経路を選ぶように止まったり走ったりしながら蓮華の手を引く。
その頭上に浮かぶ【零】の数字を、蓮華は涙を堪えて見つめていた。
蒼月に連れられて到着したのは、後宮の端にある祠だった。
その扉を、蒼月はためらいなく開ける。宮燈に照らされて浮かび上がったのは、地下へと続く石階段だった。
進むにつれて、水の流れるような音が聞こえてくる。
不意に途中で立ち止まった蒼月が振り返った。
「蓮華」
低い声で名前を呼ばれると、この期に及んでも尚どうしようもなく胸が震える。
気づけば広い胸に抱きしめられていた。
「蒼月……様?」
「どうか俺を信じてほしい。蓮華を守ると約束する」
蓮華がこくんと頷くと、温もりが離れていった。
さらに石段を下りていく。水の音だけでなく、シュウシュウとなにかの息遣いも聞こえてくる。
石段を下り切った先で視界が開けたと思ったら、そこには信じられない光景が待ち受けていた。
体に楔を打たれ鎖につながれている痛々しい姿の大きな白蛇。
体の半分は水に浸かり、どれほどの長さがあるのかはわからない。
ほぼ身動きが取れない状態で赤い目をギラつかせ、こちらを見つめている。
鎖に貼られた護符のせいで逃れられないようだが、白蛇様にまちがいないだろう。
「どうしてこんな……!」
悲鳴のような蓮華の声が、地下の空洞に反響した。
「白蛇様とお見受けする。俺は皇帝の蒼月だ」
「皇帝自ら喰われに来たのか」
ズシンと胸に響くような低い声にたじろぐことなく、蒼月は白蛇を真っすぐ見上げる。
「俺は炎煌国で最も生贄から遠い存在なのだろう?」
「そうだ。おまえは不味そうだ」
蒼月がくくっと笑った。
「俺を喰っても腹の足しにはならないだろう。だから冷静に話ができると思ったのだ」
やり取りを聞いていた蓮華はハッとする。
(生贄としてわたしを差し出すのではなく、話し合いをしにきたの……?)
「逸話のほうが真実だったのだな」
蒼月は残念そうに告げた。
こうして白蛇の痛々しい姿を目の当たりにした蓮華もまた、同じことを考えていた。
白蛇伝説にはまったくちがう結末の逸話がある。
赤子を産んだ娘のもとを訪れた白蛇に酒を呑ませて酩酊させ、その隙に鎖でつないで封印したという話だ。
伝説の類は、長きにわたり語り継がれていくうちに自然と内容が変わることがある。
あるいは、都合のいい内容になるよう意図的に改ざんされる場合も。
表向き語り継がれている白蛇伝説は美談で終わっているが、実際は閉じ込めて贄を与え、豊饒をもたらすよう強要していたというわけか。
(なんて罰当たりな……)
花の溢れるこの都が虚構のように思えてくる。
蒼月が白蛇に手を伸ばした。
「俺と手を組まないか。自由にしてやる」
「鎖が解けたらまずその娘を喰ってやろうか」
白蛇はチロチロと舌を出した。
思わずゾクリとする蓮華の肩を蒼月が引き寄せる。
「残念だが蓮華は俺の妃だから、おまえにはやれん」
白蛇の赤い目が不気味に光り、鎖につながれた体をよじる。
「では、なにをしにここへ来たというのだ!」
「だから、俺と手を組もうと言っている。ここから出してやるし、蓮華の神気も分けてやる。ただし命を取らない程度にだ」
しばし押し黙って迷っている様子だった白蛇は、頭をもたげて頷いた。
「いいだろう。封印が解ければ協力してやろう」
鎖や護符を手で取ろうとしても無駄だろう。
徐尚儀でなければ無理なのではないかと、蓮華がハラハラしながら蒼月と白蛇に交互に視線を走らせた。
「それを突き止めるのに時間がかかったが、ようやくわかった」
ここで蒼月が蓮華を見やる。
「神事で舞うはずだった踊りを最期から最初へ、逆の順番で舞えるか?」
「お任せください」
図解も所作もしっかり頭と体に叩き込んでいる。
(大丈夫、やれるわ!)
「白蛇様へ舞を捧げましょう」
蓮華は万福礼でお辞儀をすると、背筋を真っすぐ伸ばした。
順番を思い出しながら慎重に、しかし優雅さを損なわぬように舞っていく。
もしも失敗したらこの命を差し出せばいい。蒼月のためなら惜しくはないと一度は決心したのだから。
(でも本音を言えば、ずっと蒼月様と一緒にいたい)
白蛇が解放されるよう、国土はこれからも豊かな実りを約束されるよう、蒼月の平和な治世が末永く続くよう、祈りを込めて踊り切った。
額に汗を浮かべ力が抜けた蓮華が膝をつく。
水面に映る己の頭上の数字は【十】に減っていた。
これで封印が解けるだろうかと顔を上げた時、背後から階段を駆け下りてくる足音が聞こえた。
「なにをしておるっ!」
徐尚儀が悪鬼のような形相でやってきた。
蓮華があの部屋を抜け出し蒼月と祠の中へ入ったのがバレて追いかけてきたのだろう。
次の瞬間、ジャリーンと音が響いて白蛇をつないでいた鎖が護符ごと砕け散った。
ガアッと大きな口を開け牙を剥き出しにした白蛇が迫ってきて、蓮華は覚悟をきめて目を閉じた。
しかし蓮華を素通りした白蛇は、恐怖で一歩も動けぬ徐尚儀を丸呑みする。
「ぎゃあああっ!」
白蛇の喉のあたりから断末魔がしたが、すぐに聞こえなくなった。
「不味い。せっかくおまえの甘露な神気を堪能したというのに」
舌をチロチロさせた白蛇は、開放感を味わうように体をくねらせる。
「これでそなたは自由だ。皇帝として、これまで炎煌国を支えてくれた功績に感謝する」
白蛇が蒼月をじっと見つめた。
「私にしかと見せてみよ。人間だけで治める国の行く末を」
言うや否や白蛇の体がみるみる縮んでいく。
最終的にはトカゲほどになって……なんと、蒼月の手首に巻きついた。
白蛇の腕輪を見つめていた蒼月の視線が蓮華へと向けられる。
「蓮華。妃にと思って呼んだのにこんな目に遭わせてしまったが、これからも側にいてくれないか」
「……徐尚儀に、蒼月様はわたしを生贄として呼んだのだと言われました」
どちらかが嘘をついているのなら、蓮華はもちろん蒼月を信じたい。
「神事の贄巫女が本物の生贄になる秘匿事項を知ったのは、三日前だった。蓮華を救う手立てはないか探っているうちにギリギリになってしまってすまなかった」
謝罪は不要だと蓮華は首を振る。
蒼月も国の民と蓮華の命を天秤にかけて葛藤したにちがいない。
「結果的にこうして悪しき因習を断ち切れました。村の人たちを犠牲にせずにすみます。ありがとうございました」
蒼月がフッと笑った。
「宦官長に確認すればわかる。俺は蓮華を初恋の相手だと言っていたからな」
「は、初恋……」
途端に頬を赤く染める蓮華を蒼月が抱きしめた。
「わたしもです。わたしの初恋も蒼月様です」
うれしそうに微笑む蒼月の顔が近づいてきて、ふたりの唇が重なった。
まるで独房のようだ。
灯りさえない暗闇で蓮華は考えつづけた。
白蛇様に喰わせると言っていたが、実体はあるのだろうか。
神話では最後に白蛇様は姿を消したとなっている。
「もしもどこかにいて意思疎通が可能なら、神気だけ持って帰ってくださいってお願いできないかしら……」
数字が限りなく零に近くなったとて、また鍛錬に励んで貯めなおせばすむ話だ。
故郷の村は見限られたようだが、このままでは五年後にまた別の誰かが生贄となる。その連鎖を断ち切れないだろうか。
最後にもう一度、蒼月に会いたい。
ひとこと、立派な皇帝になってほしいと伝えたい。
時間の感覚も失い悶々と考えつづけているうちに、外でカチャリと開錠の音がする。
もう朝かと蓮華が体を起こした。
扉が開き宮燈の明かりに照らされて、蓮華は思わず目をすがめた。
「蓮華?」
聞きまちがいだろうか、会いたいと思っていた蒼月の声がする。
「時間がない。さあ」
訳がわからぬまま、伸ばされた手を取った。
蓮華は大きな手に引かれて立ち上がり、小部屋を出る。
蒼月は付き人も連れずにひとりきりだ。
「神事が終わるまでお会いしてはならないのでは?」
「きみを巻き込んでしまってすまない。これから白蛇様のもとへ案内する」
蓮華は息を呑んだ。
(神事の前にもう生贄に……!?)
「蒼月様——」
「静かに」
蒼月が辺りを見回し、経路を選ぶように止まったり走ったりしながら蓮華の手を引く。
その頭上に浮かぶ【零】の数字を、蓮華は涙を堪えて見つめていた。
蒼月に連れられて到着したのは、後宮の端にある祠だった。
その扉を、蒼月はためらいなく開ける。宮燈に照らされて浮かび上がったのは、地下へと続く石階段だった。
進むにつれて、水の流れるような音が聞こえてくる。
不意に途中で立ち止まった蒼月が振り返った。
「蓮華」
低い声で名前を呼ばれると、この期に及んでも尚どうしようもなく胸が震える。
気づけば広い胸に抱きしめられていた。
「蒼月……様?」
「どうか俺を信じてほしい。蓮華を守ると約束する」
蓮華がこくんと頷くと、温もりが離れていった。
さらに石段を下りていく。水の音だけでなく、シュウシュウとなにかの息遣いも聞こえてくる。
石段を下り切った先で視界が開けたと思ったら、そこには信じられない光景が待ち受けていた。
体に楔を打たれ鎖につながれている痛々しい姿の大きな白蛇。
体の半分は水に浸かり、どれほどの長さがあるのかはわからない。
ほぼ身動きが取れない状態で赤い目をギラつかせ、こちらを見つめている。
鎖に貼られた護符のせいで逃れられないようだが、白蛇様にまちがいないだろう。
「どうしてこんな……!」
悲鳴のような蓮華の声が、地下の空洞に反響した。
「白蛇様とお見受けする。俺は皇帝の蒼月だ」
「皇帝自ら喰われに来たのか」
ズシンと胸に響くような低い声にたじろぐことなく、蒼月は白蛇を真っすぐ見上げる。
「俺は炎煌国で最も生贄から遠い存在なのだろう?」
「そうだ。おまえは不味そうだ」
蒼月がくくっと笑った。
「俺を喰っても腹の足しにはならないだろう。だから冷静に話ができると思ったのだ」
やり取りを聞いていた蓮華はハッとする。
(生贄としてわたしを差し出すのではなく、話し合いをしにきたの……?)
「逸話のほうが真実だったのだな」
蒼月は残念そうに告げた。
こうして白蛇の痛々しい姿を目の当たりにした蓮華もまた、同じことを考えていた。
白蛇伝説にはまったくちがう結末の逸話がある。
赤子を産んだ娘のもとを訪れた白蛇に酒を呑ませて酩酊させ、その隙に鎖でつないで封印したという話だ。
伝説の類は、長きにわたり語り継がれていくうちに自然と内容が変わることがある。
あるいは、都合のいい内容になるよう意図的に改ざんされる場合も。
表向き語り継がれている白蛇伝説は美談で終わっているが、実際は閉じ込めて贄を与え、豊饒をもたらすよう強要していたというわけか。
(なんて罰当たりな……)
花の溢れるこの都が虚構のように思えてくる。
蒼月が白蛇に手を伸ばした。
「俺と手を組まないか。自由にしてやる」
「鎖が解けたらまずその娘を喰ってやろうか」
白蛇はチロチロと舌を出した。
思わずゾクリとする蓮華の肩を蒼月が引き寄せる。
「残念だが蓮華は俺の妃だから、おまえにはやれん」
白蛇の赤い目が不気味に光り、鎖につながれた体をよじる。
「では、なにをしにここへ来たというのだ!」
「だから、俺と手を組もうと言っている。ここから出してやるし、蓮華の神気も分けてやる。ただし命を取らない程度にだ」
しばし押し黙って迷っている様子だった白蛇は、頭をもたげて頷いた。
「いいだろう。封印が解ければ協力してやろう」
鎖や護符を手で取ろうとしても無駄だろう。
徐尚儀でなければ無理なのではないかと、蓮華がハラハラしながら蒼月と白蛇に交互に視線を走らせた。
「それを突き止めるのに時間がかかったが、ようやくわかった」
ここで蒼月が蓮華を見やる。
「神事で舞うはずだった踊りを最期から最初へ、逆の順番で舞えるか?」
「お任せください」
図解も所作もしっかり頭と体に叩き込んでいる。
(大丈夫、やれるわ!)
「白蛇様へ舞を捧げましょう」
蓮華は万福礼でお辞儀をすると、背筋を真っすぐ伸ばした。
順番を思い出しながら慎重に、しかし優雅さを損なわぬように舞っていく。
もしも失敗したらこの命を差し出せばいい。蒼月のためなら惜しくはないと一度は決心したのだから。
(でも本音を言えば、ずっと蒼月様と一緒にいたい)
白蛇が解放されるよう、国土はこれからも豊かな実りを約束されるよう、蒼月の平和な治世が末永く続くよう、祈りを込めて踊り切った。
額に汗を浮かべ力が抜けた蓮華が膝をつく。
水面に映る己の頭上の数字は【十】に減っていた。
これで封印が解けるだろうかと顔を上げた時、背後から階段を駆け下りてくる足音が聞こえた。
「なにをしておるっ!」
徐尚儀が悪鬼のような形相でやってきた。
蓮華があの部屋を抜け出し蒼月と祠の中へ入ったのがバレて追いかけてきたのだろう。
次の瞬間、ジャリーンと音が響いて白蛇をつないでいた鎖が護符ごと砕け散った。
ガアッと大きな口を開け牙を剥き出しにした白蛇が迫ってきて、蓮華は覚悟をきめて目を閉じた。
しかし蓮華を素通りした白蛇は、恐怖で一歩も動けぬ徐尚儀を丸呑みする。
「ぎゃあああっ!」
白蛇の喉のあたりから断末魔がしたが、すぐに聞こえなくなった。
「不味い。せっかくおまえの甘露な神気を堪能したというのに」
舌をチロチロさせた白蛇は、開放感を味わうように体をくねらせる。
「これでそなたは自由だ。皇帝として、これまで炎煌国を支えてくれた功績に感謝する」
白蛇が蒼月をじっと見つめた。
「私にしかと見せてみよ。人間だけで治める国の行く末を」
言うや否や白蛇の体がみるみる縮んでいく。
最終的にはトカゲほどになって……なんと、蒼月の手首に巻きついた。
白蛇の腕輪を見つめていた蒼月の視線が蓮華へと向けられる。
「蓮華。妃にと思って呼んだのにこんな目に遭わせてしまったが、これからも側にいてくれないか」
「……徐尚儀に、蒼月様はわたしを生贄として呼んだのだと言われました」
どちらかが嘘をついているのなら、蓮華はもちろん蒼月を信じたい。
「神事の贄巫女が本物の生贄になる秘匿事項を知ったのは、三日前だった。蓮華を救う手立てはないか探っているうちにギリギリになってしまってすまなかった」
謝罪は不要だと蓮華は首を振る。
蒼月も国の民と蓮華の命を天秤にかけて葛藤したにちがいない。
「結果的にこうして悪しき因習を断ち切れました。村の人たちを犠牲にせずにすみます。ありがとうございました」
蒼月がフッと笑った。
「宦官長に確認すればわかる。俺は蓮華を初恋の相手だと言っていたからな」
「は、初恋……」
途端に頬を赤く染める蓮華を蒼月が抱きしめた。
「わたしもです。わたしの初恋も蒼月様です」
うれしそうに微笑む蒼月の顔が近づいてきて、ふたりの唇が重なった。



