鈴蘭後宮譚

 牡丹宮の女官が密偵まがいの行為をした件は、うやむやで幕引きとなった。
 最後まで、誰かに命令されたのではなく自分の一存でやったと、一貫した主張を変えなかった彼女の姿はもう後宮にはない。
 警備体制が強化され、蒼月は頻繁に鈴蘭宮を訪れる。
 そんなある日、蓮華は蒼月から提案を受けた。
「花祭りの神事ですか?」
「そうだ。後宮内で執り行われる神事の贄巫女役になってもらいたい」
 花祭りなら蓮華の故郷でも毎年やっているが、後宮内の特別な神事は初耳だ。
 炎煌国の建国神話には、大きな白蛇の姿をした神様が登場する。
 
 白蛇の神は、花を育てるのが上手く気立ての良い人間の娘に一目惚れした。
 見目麗しい人間の若者に化けると、夜な夜なその娘の元へと足しげく通い心を通わせた。
 娘はほどなくして懐妊したが、相手の男の素性がわからない。両親は、娘が見知らぬ男に手籠めにされ傷物にされたと嘆き悲しんだという。
 それでも娘はお腹の子を守り無事出産。若者によく似た美しい男児が誕生した。
 子が生まれた夜、久しぶりに若者がやってきた。娘は大層喜んだのだが……。
『私の本当の姿を見ても驚かぬか?』
 そう問われた娘は、もちろんだと力強く頷いた。
 しかし若者の姿が大きな白蛇に変わると、娘は腰を抜かして驚き『化物だ!』と叫んでしまう。
 白蛇は悲しそうに赤い目から涙をこぼした。
『そなたとは一緒に暮らせない。でも我が子が苦労しないよう、そっと見守ると約束する』
 そう言い残して白蛇は姿を消した。
 白蛇のこぼした涙からたくさんの花が芽吹き、辺り一帯が花で埋まった。
 後に娘の産んだ赤子がこの一帯を治めるようになり、これが炎煌国の始まりである。

 だから炎煌国の民たちは白蛇を信仰し、花を絶やさないようになった。
 白蛇様を大切にすれば豊饒と平和が約束される。
 毎年春の花が咲き誇る頃には国内各地で花祭りが開催され、その年の農作物の豊作を祈る。
 さらに五年に一度は、後宮内で贄巫女に選ばれた者が白蛇様に舞を奉納するらしい。
「贄巫女……ですか?」
「もちろん本当に生贄になるわけではない。白蛇様の花嫁役を演じるだけだ」
「そんな大役を務めるのが、わたしでいいのですか?」
 花祭りはもう少し先とはいえ、蓮華はまだ後宮に来たばかりだというのに。
「占術師の推薦があって、特に断る理由もないから了承した」
 蒼月が皇帝に即位してはじめて執り行う神事を、第一妃が担わない理由はなんだろうかと蓮華は思案した。
(わたしに恥をかかせたいのかしら。それとも、危険を伴うものだとか……?)
 いずれにしろ蒼月もそれで納得しているのなら、引き受けて見ようと腹をくくった。
「承知しました。やりましょう」
 力強く頷く蓮華を蒼月が抱き寄せる。
「きっと思い出に残る神事になるだろう」
「頑張ります!」
 蓮華が頬をすり寄せると、蒼月の腕に力がこもった。
(蒼月様の顔に泥を塗らぬよう、立派に務めを果たしたい)
 この時の蓮華は、まさか神事が終わるまで蒼月との触れ合いを禁じられることになろうとは、思ってもいなかった。

 翌日からさっそく、神事の稽古が始まった。
「徐尚儀(じょしょうぎ)のもとへご案内いたします」
 蓮華は女官長に案内されて尚儀局の建物へと向かう。
 尚儀局とは、後宮内の儀礼や占いを担当する部署だ。その最高位を務める徐氏は、第一妃の祥明の家門でもある。
 女官長もその遠縁なのだから、いまの後宮において徐氏が幅を利かせているのはまちがいない。
 徐氏としては当然、祥明が世継ぎを産んでくれれば御の字だろう。
 誰が命じたのかはわからないが、先日女官に蓮華たちの会話を盗み聞きさせようとした気持ちもわからなくもない。
 あれこれ考えているうちに、蓮華は書物がたくさん積まれた房へ通された。
 薄暗い空間に古い木と墨が混ざったような匂いが漂い、奥の案に小柄な老婆がいる。
 彼女が徐尚儀だろう。
「鈴蘭宮の柳蓮華(リュウレンカ)でございます」
 万福礼で挨拶をすると、徐尚儀はにやりと笑った。
「おや、占い通りまさに神事にふさわしいお嬢さんだねえ」
 あまり褒められている気がせず、蓮華は薄気味悪さを覚える。
「どうしてわたしが選ばれたのでしょうか」
「神事の贄巫女は気力と体力と忠誠心、さらには白蛇様に同調できる神気を持つ女性でないといけないのさ」
 となると、贄巫女に選ばれるのは大層な誉であり、皇帝からの覚えもめでたくなるはずだ。
(妃嬪なら誰もがその役目を狙いそうなものなのに……)
 徐氏出身の祥明が選ばれなかったことが、どうにも引っかかる。
 占術で選ぶため、ごまかしがきかないだけだろうか。
 腑に落ちない様子で首をひねる蓮華に、徐尚儀が分厚い書物を差し出した。
「時間がないから早くここに記されている舞の作法を覚えてもらうよ」
 受け取った蓮華がパラパラめくると舞の動きが図解されていて、注釈も記されている。かなりの量だ。
 たしかに、なぜ自分が選ばれたのかと疑問を呈している場合ではない。
「陛下の顔に泥を塗ることにならぬよう精進します」
 蓮華は気合を入れ直した。
 
 もともと体を動かすのは得意であるため、蓮華はみるみるうちに上達していった。
 花祭りの神事が終わるまで、蒼月とは会ってはならないようだ。
「ほかの男の匂いがついた花嫁なんて、白蛇様が嫌がるからねえ」
 蓮華も言われてみればその通りだと納得した。
 連日のように蒼月と会っていたため、最初の数日は寂しく思った蓮華だったが、徐々に慣れた。
 十年間会えなかったことを思えば、残り一週間会えないぐらいどうってことない。
 夜になるとつい蒼月に会いたいと願ってしまう気持ちに、蓮華はそっと蓋をした。

 蓮華がおかしなことに気づいたのは、本番を控えた前日だった。