蓮華に奇妙な数字が見えるようになったのは十年前。
蒼月を初めて顔を合わせる少し前の春先だった。
蓮華の故郷は、武官を多く輩出している山間の農村。幼い頃から男女問わず武術をたしなむ武闘派集落だ。
質実剛健で忠誠心にも篤いため、定期的に選任官がやってきては見込まれた若者が武官として召し上げられる。
集落では、それがなによりの栄誉だった。
蓮華も物心ついた時にはもう、兄たちと一緒に父から稽古をつけてもらっていた。
八歳になったばかりのある日、父の放った突きを防ぎきれず吹っ飛ばされて背後の岩に後頭部をぶつけた。
「あいたたたっ!」
視界に星が飛ぶ。こぶをさすりながら目を瞑り再び瞼を開くと、なんと父の頭上に数字が浮かんでいるではないか。
【七壱壱】
蓮華はちょうど文字を覚えはじめたところだった。
幻覚だろうかと目を擦ってみたが、三桁の数字は消えない。
「なな、いち、いち……? なにこれ」
ぼうっとあらぬ方向を見つめる娘の様子に狼狽えた父は、蓮華を抱えて家へと急ぐ。
「お父さん。頭の上にね、数字が……」
「しゃべるな。横になって休んでいろ」
父の言う通り頭をぶつけたせいで妙な数字が見えているだけだと思い、蓮華は目を閉じてしばらく休んだ。
しかし、目を覚ましても数字は見えたままだった。
おまけに父の頭上だけでなく、集落全員の頭上に数字が見える。三百から五百ぐらいの数値が多い。
つまり蓮華の父親の数値は突出して高いことになる。
もしやと思った蓮華は祖母のもとへと向かった。
「おばあちゃん」
「なんだい、蓮華や」
背中を丸めて茶をすする祖母が、しわだらけの顔を綻ばせる。
(ああ、やっぱり!)
祖母の頭上に浮かぶ数字は【七八弐】だった。なんと父を上回っている。
これで数字の意味が判明した。強さだと。
祖母はのんびりおっとりした老婆に見えるが、実はめっぽう強くて父も打ちのめすほどの腕っぷしだ。
「おばあちゃんて、やっぱり強かったんだね」
祖母は顔のしわを深くして目を細めた。
「そうだよ。世が世なら、あたしが皇后になっていたかもしれないんだからねえ」
その話ならすでに何度も聞かされた。
祖母がまだ若い頃、いつも腕を競っていた幼馴染が選ばれて後宮の武官になったという。彼女はその後、皇帝に見初められて妃として召し上げられたらしい。
つまり、もしもあの時に自分が選ばれていれば、同じように見初められて果ては皇后になっていたかもしれないと言いたいのだ。
この話が始まると家族はみんな『またそれか……』と呆れるのだが、祖母が強かったのはたしかなようだ。
おそらくその幼馴染のほうが器量よしだったのだろう。
まだなにか話したそうにする祖母のもとを離れ、蓮華は姿見のある部屋へ向かった。
鏡に映った己の頭上には【六壱六】と出ている。
「嘘……思ったより高い!」
父とそう変わらない。もしかすると、大きくなれば父を上回れるのではないか。
そう思うと俄然鍛錬にも熱が入る。
蓮華の予想通り数字は固定ではなく、日々変動するとわかった。体調が悪ければ下がるし鍛錬に励めば励むほど上昇していく。
数字が増えていく楽しみを知った蓮華がますます熱を入れて修行に励んでいた八歳の春、村に蒼月が訪れた。
父親である皇帝陛下の地方巡幸に同行していたのだ。
当時の蒼月は十二歳。
後宮内で生まれた男児は、おおよそ十二歳で後宮を出て宮城の近くの屋敷で暮らしはじめる。
蒼月も後宮を出たところだという。大人への第一歩だ。
しかし当時の蒼月は、背が低くまだ変声期も迎えていなかった。普段あまり日を浴びていないのか肌は透けるように白くてつるりとしている。目はくるっと大きくて、女の子のようだった。
「蒼月様は数年後に立太子されるにちがいない」
「こうして皇帝陛下が巡幸に同行させて経験を積ませているのがなによりの証拠だ」
村の大人たちはそんな噂話をしていたが、蓮華にはそんな話題など吹っ飛ぶほど気がかりなことがあった。
にわかには信じがたいが、蒼月の頭上の数字が【零】だったのだ。
生まれたての赤ちゃんだって零なんてことはない。
つまり蒼月は、この国で最弱の人間だ。赤ちゃんにだって負けてしまうのだから。
(大変。わたしが蒼月様を守らなくっちゃ!)
蓮華は妙な義務感にかられた。だから翌日、まだ朝露の残る早朝にひとりで散歩をしている蒼月を見かけた時、思い切って声をかけたのだ。
「蒼月様! わたしが大きくなったら、蒼月様をお守りします!」
一瞬キョトンとした蒼月は、花が綻ぶように笑った。
「ありがとう。きみの名前は?」
「柳蓮華です。わたし本気ですから!」
蒼月がブフッと吹き出して、今度は肩を揺らして笑いつづける。
「ああ、ありがとう。蓮華か、可愛らしい名だね」
(この人、自分が最弱だってわかっていないんだわ)
巡幸で皇帝が村に立ち寄ったのは、後宮の警護を担う武人の選定をする目的もあったようだ。
蓮華も張りきって手を挙げたのだが、まだ幼すぎると笑い飛ばされて終わってしまった。
村の女の中で、強さの数値でいえば蓮華が一番だというのに。
選ばれたのは二十歳の小菊だった。強さは蓮華についで高いし年齢的にもちょうどいい。
「小菊ねえさま、蒼月様をお守りしてくださいね」
どうして自分はまだ子どもなのだろうと、大人の小菊を羨ましく思ったものだ。
その日の昼下がり、皇帝陛下御一行は小菊を連れて村をあとにした。
別れ際に蒼月は『また会おうね』と言って鈴蘭の花を蓮華に渡したのだ。
あの時蓮華は鈴蘭の花を胸に押し当て、ただ見送ることしかできなかった。
ひとつ後悔しているのは、当時蓮華が人のことをじっと見つめる癖があると思っていた両親から、
『陛下を見つめるのは不敬だから絶対に直視してはいけない』
と釘を刺されていたことだ。
そのため、蒼月の父親である皇帝陛下も弱いのか、それとも強いのか確認できなかった。
蓮華はずっと蒼月の安否を心配しつつ鍛錬に励んだ。
そして十年の月日が流れ、蓮華の数字が限界到達の【九九九】となった頃、蒼月は皇帝陛下となった。
蒼月を初めて顔を合わせる少し前の春先だった。
蓮華の故郷は、武官を多く輩出している山間の農村。幼い頃から男女問わず武術をたしなむ武闘派集落だ。
質実剛健で忠誠心にも篤いため、定期的に選任官がやってきては見込まれた若者が武官として召し上げられる。
集落では、それがなによりの栄誉だった。
蓮華も物心ついた時にはもう、兄たちと一緒に父から稽古をつけてもらっていた。
八歳になったばかりのある日、父の放った突きを防ぎきれず吹っ飛ばされて背後の岩に後頭部をぶつけた。
「あいたたたっ!」
視界に星が飛ぶ。こぶをさすりながら目を瞑り再び瞼を開くと、なんと父の頭上に数字が浮かんでいるではないか。
【七壱壱】
蓮華はちょうど文字を覚えはじめたところだった。
幻覚だろうかと目を擦ってみたが、三桁の数字は消えない。
「なな、いち、いち……? なにこれ」
ぼうっとあらぬ方向を見つめる娘の様子に狼狽えた父は、蓮華を抱えて家へと急ぐ。
「お父さん。頭の上にね、数字が……」
「しゃべるな。横になって休んでいろ」
父の言う通り頭をぶつけたせいで妙な数字が見えているだけだと思い、蓮華は目を閉じてしばらく休んだ。
しかし、目を覚ましても数字は見えたままだった。
おまけに父の頭上だけでなく、集落全員の頭上に数字が見える。三百から五百ぐらいの数値が多い。
つまり蓮華の父親の数値は突出して高いことになる。
もしやと思った蓮華は祖母のもとへと向かった。
「おばあちゃん」
「なんだい、蓮華や」
背中を丸めて茶をすする祖母が、しわだらけの顔を綻ばせる。
(ああ、やっぱり!)
祖母の頭上に浮かぶ数字は【七八弐】だった。なんと父を上回っている。
これで数字の意味が判明した。強さだと。
祖母はのんびりおっとりした老婆に見えるが、実はめっぽう強くて父も打ちのめすほどの腕っぷしだ。
「おばあちゃんて、やっぱり強かったんだね」
祖母は顔のしわを深くして目を細めた。
「そうだよ。世が世なら、あたしが皇后になっていたかもしれないんだからねえ」
その話ならすでに何度も聞かされた。
祖母がまだ若い頃、いつも腕を競っていた幼馴染が選ばれて後宮の武官になったという。彼女はその後、皇帝に見初められて妃として召し上げられたらしい。
つまり、もしもあの時に自分が選ばれていれば、同じように見初められて果ては皇后になっていたかもしれないと言いたいのだ。
この話が始まると家族はみんな『またそれか……』と呆れるのだが、祖母が強かったのはたしかなようだ。
おそらくその幼馴染のほうが器量よしだったのだろう。
まだなにか話したそうにする祖母のもとを離れ、蓮華は姿見のある部屋へ向かった。
鏡に映った己の頭上には【六壱六】と出ている。
「嘘……思ったより高い!」
父とそう変わらない。もしかすると、大きくなれば父を上回れるのではないか。
そう思うと俄然鍛錬にも熱が入る。
蓮華の予想通り数字は固定ではなく、日々変動するとわかった。体調が悪ければ下がるし鍛錬に励めば励むほど上昇していく。
数字が増えていく楽しみを知った蓮華がますます熱を入れて修行に励んでいた八歳の春、村に蒼月が訪れた。
父親である皇帝陛下の地方巡幸に同行していたのだ。
当時の蒼月は十二歳。
後宮内で生まれた男児は、おおよそ十二歳で後宮を出て宮城の近くの屋敷で暮らしはじめる。
蒼月も後宮を出たところだという。大人への第一歩だ。
しかし当時の蒼月は、背が低くまだ変声期も迎えていなかった。普段あまり日を浴びていないのか肌は透けるように白くてつるりとしている。目はくるっと大きくて、女の子のようだった。
「蒼月様は数年後に立太子されるにちがいない」
「こうして皇帝陛下が巡幸に同行させて経験を積ませているのがなによりの証拠だ」
村の大人たちはそんな噂話をしていたが、蓮華にはそんな話題など吹っ飛ぶほど気がかりなことがあった。
にわかには信じがたいが、蒼月の頭上の数字が【零】だったのだ。
生まれたての赤ちゃんだって零なんてことはない。
つまり蒼月は、この国で最弱の人間だ。赤ちゃんにだって負けてしまうのだから。
(大変。わたしが蒼月様を守らなくっちゃ!)
蓮華は妙な義務感にかられた。だから翌日、まだ朝露の残る早朝にひとりで散歩をしている蒼月を見かけた時、思い切って声をかけたのだ。
「蒼月様! わたしが大きくなったら、蒼月様をお守りします!」
一瞬キョトンとした蒼月は、花が綻ぶように笑った。
「ありがとう。きみの名前は?」
「柳蓮華です。わたし本気ですから!」
蒼月がブフッと吹き出して、今度は肩を揺らして笑いつづける。
「ああ、ありがとう。蓮華か、可愛らしい名だね」
(この人、自分が最弱だってわかっていないんだわ)
巡幸で皇帝が村に立ち寄ったのは、後宮の警護を担う武人の選定をする目的もあったようだ。
蓮華も張りきって手を挙げたのだが、まだ幼すぎると笑い飛ばされて終わってしまった。
村の女の中で、強さの数値でいえば蓮華が一番だというのに。
選ばれたのは二十歳の小菊だった。強さは蓮華についで高いし年齢的にもちょうどいい。
「小菊ねえさま、蒼月様をお守りしてくださいね」
どうして自分はまだ子どもなのだろうと、大人の小菊を羨ましく思ったものだ。
その日の昼下がり、皇帝陛下御一行は小菊を連れて村をあとにした。
別れ際に蒼月は『また会おうね』と言って鈴蘭の花を蓮華に渡したのだ。
あの時蓮華は鈴蘭の花を胸に押し当て、ただ見送ることしかできなかった。
ひとつ後悔しているのは、当時蓮華が人のことをじっと見つめる癖があると思っていた両親から、
『陛下を見つめるのは不敬だから絶対に直視してはいけない』
と釘を刺されていたことだ。
そのため、蒼月の父親である皇帝陛下も弱いのか、それとも強いのか確認できなかった。
蓮華はずっと蒼月の安否を心配しつつ鍛錬に励んだ。
そして十年の月日が流れ、蓮華の数字が限界到達の【九九九】となった頃、蒼月は皇帝陛下となった。



