雪女は陰陽師の恋に燃ゆる

 二日後に雪華は目覚めた。里長の屋敷だが、女中用の部屋でなく、良夜達が泊まる客間で。
 雪華は上体だけを起こし、隣に正座する良夜の手もとを注視する。
 林檎を剥きつつ彼は語った。
「あの子とは口止めの誓約を結んだよ。あやかしにとっても陰陽師にとっても、きみの力は脅威だから」
「お手数をお掛けしました。ありがとうございます」
「気にしないで、朱燈家の者なら当然の措置だ」
 雪華の特異な力は、新たな争いの火種になり得る。だから戦いを避けて人に紛れて生きてきた。
「とはいえ、きみが力を使ったときは驚いたよ。まあ、さすがに目の前で顔見知りが危ないと手が出ちゃうか」
「そうですね。それに彼女達が傷つけば、あなた様の御心も傷つくと思って、とっさに」
 良夜の手が止まる。すぐに再開したが、わずかに頬が赤く染まっていた。
「……そう。あ、そういえば。あの子、ちゃんとお父上と話せたって。こっそり教えてくれた」
「本当ですか? よかった」
「姑獲鳥と密会した件は注意したけど、でもお父上と一緒なら大丈夫って教えたよ」
 お祓いさんは異動を願い出るらしい。つい先ほど烏丸が彼の嘆願書を受け取りに向かった。
 綺麗なうさぎ型に剥けた林檎を二又楊枝で刺して雪華の口もとに差し出す。
「はい。どうぞ」
「ありがとうございます。……あ、あの。自分で食べます」
「あーん」
 過剰なほど、いい笑顔だ。
 有無を言わせぬ圧に負けて雪華は甘んじて食べた。たっぷりの蜜の甘味が口中に広がり、林檎の水分が喉を潤す。
 美味しさに雪華の顔がほころぶ。すると良夜も嬉しそうに微笑んだ。
「まさか、あの良夜様が自ら林檎を剥くなんて」
「十年あれば僕だって変わるよ。雪華こそ、また僕を庇って怪我して……どうしてそこは変わらないの?」
「あなた様は大切なお方ですから」
 即答した雪華に良夜が面食らう。
「たとえ立場や役目が違(たが)えても、それだけは変わりません」
「そう言うなら、なんで久しぶりに会えたとき初対面のふりしたのさ?」
 良夜が拗ねた声音で言えば、雪華は眉尻を下げた。
 あのときは、少女失踪の原因は誘拐で、犯人が雪女だと噂を聞いたばかり。加えて、事情を知らぬ陰陽師も一緒だった。あやかしは悪だと断定する世界では当然の立ち回りだ。
 けれど、本当は、それだけではない。
 その雪華の心を見透かす眼差しで彼は言葉を促す。
「……またお会いできて嬉しかった。それは心からの思いです。だって……この十年、朱燈家での日々は夢幻や妄想の類(たぐい)ではと、何度思ったことか。この両手が証明しても、ずっと不安でした」
 雪華は視線を落とし手袋に包んだ手を見た。大切な存在を守った証で、縁(よすが)だった。
 ひとつ息を大きく吸うと改めて良夜を見据える。
「でも、もう、おそばにはいられない。いてはいけない。ならば、あなた様がわたしを迷わず祓えるよう振舞おうと思ったのです。朱燈を忘れた恩知らず、無価値な存在だと、切り捨ててほしくて」
 布団から出ると、畳の上に正座して深々と頭を下げた。
「わたしの身勝手で御心を傷つけてしまい、申し訳ございません」
「うん。すごく痛かった。きみ、どれだけ僕が雪華を好きか知らなかった?」
「よ、よくしてくださったと思っております。ですがそれは、わたしが側仕えだからでは……?」
「そうだけど、それだけじゃない」
 良夜が雪華に近づき手を握る。ゆっくりと雪華が顔をあげた。
 真剣な面持ちで彼は、懇願するように言った。
「そばにいてよ、僕が大切なら」
 近距離での熱視線に雪華はたじろぐ。
「そ、れは、良夜様のお立場が悪くなります」
「世間体も建前も、今だけは言わないで。僕には雪華の本音を聞かせてよ」
「わたしの本音……」
 雪華の目線がさまよう。だが、ふと良夜を見て止まった。
 途端に胸が熱くなり、次いで涙が浮かんだ。喉が詰まる感覚に抗って雪華は声をしぼり出した。

「おそばに、いたいです……!」

 次の瞬間、良夜が彼女を力強く抱き込んだ。
「うん、うんっ。ずっと一緒にいよう」
 かすかに震えた良夜の言葉に雪華は目を細めた。
 今度は雪華も背中に腕を回す。記憶より大きな背中に改めて成長を感じた。
 どれほどそのままだっただろう。
 感動を噛みしめ、過去を思い返した雪華は、突然はっとする。
「そういえば! 雪崩を消した術、さすがでございました。まさか辺り一面の雪だけ溶かすとは」
「ああ、あれ? たぶん雪華のお陰かな」
 予想外の返答に雪華はきょとんとした。
「これまでと同じ力の使い方じゃ雪華も巻き込みかねない。だから無我夢中で霊力を操作した、と思う」
「えっと……もしかして記憶がないのですか?」
「残念ながら曖昧なんだ。だから、やっぱり威力が安定しないまま」
 良夜はおどけて肩をすくめた。
(なるほど。それで、こんなにわたしを求めるんだ)
 うんうんと雪華は頷く。
 異端な能力が大切な人の役に立つなら、むしろ嬉しい。あやかしが搾取された理由がこれだ。元来、彼女らは人間より心根が純真で奉仕的だった。
 それを雪華は理解している。
 それでも構わないと、良夜に笑い掛ける。
「かしこまりました。では、このたびの分もご恩返しに励みますね!」
「もしかして、なにか勘違いしてる? 僕がきみを口説いたのは能力目当てじゃないよ」
「えっ⁉ あの、ならば良夜様はなぜ、わたしをそばに置きたがるのですか?」
 心から不思議そうに雪華が尋ねれば、ぐっと良夜の眉間にしわが寄る。
 深く長く、良夜は息を吐いた。
 いつもの余裕を感じる笑顔はなく、唇を引き結び頬を赤らめる。雪華の口もとを一瞥すると、意を決して告げた。

「もう一回、雪華に惚れたからだよ」

 雪華が目を丸くする。しばし瞬きも呼吸も忘れて固まり、急に布団に倒れ込んだ。以降の記憶がない、とのちに彼女は言った。
 とはいえ、言質は取ったとご機嫌な良夜を拒否できず。
 数日後には陰陽師二人に挟まれ雪華は帝都へ旅立った。