桃原の巫女姫は迦陵頻伽を歌う


「ようこそおいでくださいまいした、桃原の巫女姫様」
 女房たちの和やかなお出迎えを受け、通されたのは、穂の住まう対屋らしかった。
 女房に白湯を出されてわろうだの上に座っていると、
「ちょっとここで待ってろ」
 そう言い置いて、穂は塗籠の中へと入っていった。
 真風琉はきょろきょろとあたりを見回した。「ここが穂の新しいおうちかー」
 さすが桜原のお屋敷。とにかく大きい。中から庭を見渡すと、様々な木が上品に植えてある。奥には池も見えた。室内に目を移すと、金銀を使った装飾、欄干の透かし彫りも精巧だ。
 渡殿に目を移すと、役人やら女房やらがせわしなく行き来している。
 こんなすごい所で暮らしてるから、性格も変わっちゃったのかな。
 あんなに素敵なお兄ちゃんだったのに。随分とキツくなったよなあ。もう、サイアク。
 真風琉がしんみりとしていると、穂がたくさんの巻物を抱えて塗籠から出てきた。
「待たせたな」
 どかりと真風琉の前に腰を下ろし、巻物のひとつを広げた。
「これは?」
 真風琉が尋ねると、穂はひとつずつ丁寧に説明してくれた。
「これらは皆、桜原に伝わるこの国の過去の災厄に関する書物だ。これは百年前。こっちは三百年前のもの」
 巻物は全部で九つあった。一番古いものは、千年前のものだ。およそ、五十年から二百年に一回くらい、この国では魑魅魍魎が盛大に跋扈しているらしい。
「つまり今来てるのが十回目ってこと?」
 真風琉が尋ねると、穂はしっかりと頷いた。「正確には『来ようとしている』だ。過去の魑魅魍魎の程度からすると、今のこの状態は先触れのそのまた露払い程度のものだ」
「こんなに増えてるのに!?」
 真風琉はのけぞった。穂は淡々と続けた。
「ああ。こんなのは序の口だ。この程度の魑魅魍魎の跋扈は数年に一度はある」
 そういえば、母である先代の巫女姫が鬼共を調伏していたのを見たことがある。
 真風琉は巻物を覗き込んだ。穂は次の巻物も広げた。
「これらを読めばどれほどの災厄が都を襲うのかわかる」
「なんで今回が十回目だとわかったの? 今回も数年に一度の小さな跋扈かもしれなくない?」
 真風琉は半分は願う気持ちでそう尋ねた。しかし穂は残念そうに首を横に振った。
「いや、多分そうはならない。ひとつだけいつもと違うことがある。なんと言っても御所が雷で焼けている」
 そして穂は声をひそめた。
「御所に雷が落ちた日、中宮様のお腹の子も天に召されてしまった」
「え……」
 真風琉は戸惑った。新しく生まれるはずだった帝の御子の命の灯が消えたということか。 穂は声をひそめたまま眉を寄せた。
「このことを知っているのは、俺と父上など、ごく一部の人間のみ。身籠もりが判明してすぐのことだったから、帝もまだご存じではなかった」
 だから帝ではなく中宮によって自分は宮中に呼ばれたのかと合点がいった。
「かつての大規模な跋扈も、帝の周辺のお命が失われた。万が一、千年以上続く帝の血筋が絶えることになどなったら。我々の祖先たちはそれを九回なんとか守り続けてきた」
 真風琉はごくりと唾を飲み込んだ。
「そして、今回は十回目という節目」
 そこで穂は言葉を切った。しばらくしてから口を開く。
「奴らも気合いを入れて攻めてくるだろう。今回は、下手をするとこの国が消えるかもしれない」
 真風琉は息を飲んだ。先の言葉を告げられない。
 国が消えるってどういうこと? 単に隣国の領土になる、とかの意味じゃないよね?
 多分それは、この国の民の殲滅を意味するのだろう。
 よほど真風琉の顔が青かったのか、穂はふっと表情を緩めた。
「すまない。それは最悪の事態の話だ」
「じゃ、じゃあ、なんとかなるの?」
 震える声で尋ねると、穂はひとつの巻物を取り上げた。
「元締めを、魑魅魍魎の王を封じることができれば」
「魑魅魍魎に王なんているの?」
 初めて聞いた話だ。魑魅魍魎というものは、それぞれが勝手に悪さをするものだと思っていた。
 穂は考え込むように顎に手を置いた後、続けた。
「正確には王ではないかもしれない。が、我ら桜原の人間たちは、わかりやすく王と呼んでいる。実態は、王というより、魑魅魍魎の餌となる『気』を発するモノだ」
「つまり、王がなければ魑魅魍魎たちは動けない、と」
 真風琉が言い換えると、穂はその通りとでもいうように、わずかに笑顔を見せた。
「だから王が出てくる前に王を封じてしまえば、うまくすればあと五百年は封印は持つはずなんだ。実際、五百年前にはそれで王を封じることに成功している」
 確かに巻物は、千年前のものと五百年前のものが一番太かった。攻防が激しいものだったのだろう。
「王を封じても、下っ端の魑魅魍魎はまた五十年もすればやってくるが、とりあえず、今だ」
「今、王を封じられれば、国が滅びるところまではいかないってことね?」
「そうだ」
 だから大丈夫だ、というように、穂の手がそっと真風琉の頭に乗った。そして、言いにくそうに口を開く。
「俺はてっきり、お前が知っていて、その上で決意して御所に上がってきたのかと思っていた」
 真風琉は赤くなった。全く何も知らないし、決意もしてきていなかった。
「五百年前の王封じをしたのは、桃原の巫女姫だ」
 話の流れから多分そうだろうなとは思っていたので、真風琉は頷いた。
「その命をもってして、王を封じた」
「えっ!」
 真風琉は思わず中腰になった。
「待って待って。巫女姫の命と引き換えなの!?」
 そんなの嫌すぎる!
 自分勝手かもしれないが、怖すぎる。真風琉は青くなった。穂は「落ち着け」と真風琉の腕を取って、腰を下ろさせた。
「命の保証はない。が、必ずしも命と引き換えでないと封じられないというわけでもない」
「そ、そうなんだ」
 真風琉はがたがたと体が震えてきた。
 命はとても惜しい。当たり前だ。
 しかし、自分が王を封じられなければ結局国が滅んで自分も死ぬのだ。
 一人で死ぬか、全国民と共に死ぬか、なら、やるしかない。死なない可能性もあるわけだし。
「真風琉」
 頭の上から、低い声が自分を呼んだ。震える体を、ぎゅっと穂が抱き締めてくれているのがわかった。
 ーー子供の時とおんなじだ。
 真風琉は穂の背中に腕を回して抱きつき返した。そうすると、心がだんだんと落ち着いてくる。
 昔もそうだった。辛いことや悲しいことがあっても、穂に抱き締めてもらえれば心は軽くなった。
 大丈夫だよ。絶対に死ぬってわけじゃないもの。
 心臓がある程度収まってきたところで、真風琉はそっと穂の胸を押して体を離した。
「穂。あたし、やるよ。だから、協力して」
 力強くそう宣言すると、穂は真風琉をみつめてふっと表情を緩めた。
 え?
 どきりと心臓が高鳴った。先程までとは違う、何か心が弾むような。
 真風琉はぶんぶんと首を横に振った。
 なんだかわかんないけど、とにかく魑魅魍魎退治! 王の封印!
「頑張ろうね!」
 そう告げると、穂は寂しそうに「結局こうなったな」と呟いた。なんのことかわからなかったが、なんとなく聞き返せない雰囲気を穂がまとっていたので、真風琉は口を閉じた。 風が冷たくなってきた。外を見ると、徐々に空が赤く染まり始めていた。