御所の中は広い。しばらく歩いていくと、やっと中宮の局の前に辿り着いた。
手前には、色とりどりの十二単を身に纏った女房たちが扇で顔を隠しながら数人控えていた。いい匂いがするのは、花の香りか、それとも女房たちの香の匂いか。
真風琉は一番外にほど近い場所に腰を下ろし、頭を下げた。
「お呼びでございましょうか、中宮様」
「顔を上げよ」
玉を転がしたような声に促されて、真風琉は顔を上げた。
ほう……と思わずため息が出る。一昨日遠目からお見かけした時も驚いたが、八重桜のような華やかなお方だ。さすが、桜原の大臣の秘蔵の姫だったというだけある。
「ようおいでくださった。迦陵頻伽(かりょうびんが)の姫よ」
迦陵頻伽の姫とは、桃原の巫女姫の別名である。代々歌や舞をよくする桃原の巫女姫を、声の美しい迦陵頻伽に例えたのだろう。真風琉も「巫女」よりも「迦陵頻伽」のほうが自分の能力に合っている気がする。自分の声は迦陵頻伽並みだと思っているわけではない。巫女では無さすぎる、という意味でだ。
「お前たち」
中宮が御前の女房たちに目配せをすると、女房たちは心得たというように、速やかに退出していった。
「真風琉。近う寄りなさい」
麗しい声に促されて、真風琉はゆっくりと膝行した。近くで見ると、とても三十歳とは思えない若々しさだった。
ああ、帝がうらやましい……。こんな麗しい人を妻に迎えられて。
そんなことをぼうっと考えていると、中宮が眉根を寄せた。
「聞いておるのか?」
「は、はいっ!」
真風琉は襟を正した。あろうことか中宮のお言葉の最初のほうを聞き逃したが、なんとかなるだろう。
「ーーということで、そなたには嵐を起こして欲しい」
「は?」
ーーなんとかならないようだった。
中宮の御前を退出してから、真風琉は頭を抱えた。
「えー。無理だよ、あたしは巫女姫って言っても見習いのそのまた下僕、みたいなことしかできないのに」
今年の初めあたりから、宮中で異変が起きているらしい。「らしい」というのは、御所の外では怪異はまだ起きていないからだ。
始めは妙な声や人影が見える、というものだった。その次には実害が出てきた。物が消え失せる、病に伏せる者たちが増える、庭木が倒れる、等。
宮中のお抱え陰陽師や行者たちが祈祷をしたところ、多くの人ならぬものどもが苦しそうに姿を現し、そして霧散したそうだ。怪異の正体は魑魅魍魎であったと判明した。
しかし、話はそれでは終わらなかった。
二、三日もしないうちに、今度は御所にさらに多くの魑魅魍魎たちが押し寄せては調伏されて消える、ということが繰り返されるようになった。
挙げ句の果てに半月ほど前に、御所に雷が落ちて、御所の一部が焼け落ちてしまったそうだ。雷の落ちてきた空を見上げると、数多の子鬼たちがぎゃあぎゃあと嬉しそうな鳴き声を上げながら飛び去っていったと言う。
京の外れにある桃原の屋敷にも噂としては届いていた。だから自分が女房として御所に出仕するように言われたのだろうということもわかっていた。
しかし、そこまで期待されているとは思ってもみなかった。
多分、祈祷勢その二十、みたいなものか、歌舞音曲で帝や中宮様をお慰めしろ、のような類いだろうと思っていた。
嵐を起こして魑魅魍魎を一網打尽にしろってこと?
「え? あたしが退治すんの? 魑魅魍魎を? どうやって?」
考えても答えは出ない。真風琉は外に出た。冷たい空気でも浴びながら考えよう、そう思って御所の庭園を散策することにした。
昼下がりの庭園は穏やかだった。魑魅魍魎が跳梁跋扈していたとは思えないほどに。けれど真風琉は知っている。昨夜都の外からたくさんの僧侶がやってきて、魑魅魍魎たちを追い払ったばかりだからだということを。
今この庭園に吹く涼やかな風は、束の間の平和だ。
そんなことを考え込んでいたからだろう、曲がり角にさしかかったことに気付かなかった。
「きゃっ!」
「お……っと!」
御所の角から突然現れた人にぶつかって、真風琉は尻餅をついた。
うわー、転ぶとかついてない。
さすがに十二単は脱いで身軽な着物に着替えていたが、これは先日支給された新品。こんな高価そうな着物を汚してしまったら大変だ。
そう思いながら顔を上げて、真風琉はさらに頭を抱えたくなった。
「みの……頭中将さま」
会いたくなかった、と思いながら真風琉は起き上がろうとした。ただでさえ悩んでいる時に「穂が変わってしまったのは何故」という悩みまで思い出したくはなかった。
真風琉が袴をはたきながら膝を立てようとすると、頭上からすっと大きな手が伸びてきた。
「立てるか?」
予想外の親切に、真風琉はきょとんとした。が、ありがたくその手を取る。
穂の手はあったかくて、手だけはあの頃の大好きなお兄ちゃんと同じだなとおかしくなった。あの頃よりも大きくて力強い手にはなっていたが。
「何を笑ってるんだ」
不快そうに穂は眉を寄せた。真風琉は慌てて笑いを納めた。
「いえ、まさか頭中将さまに親切にしていただけるとは思ってもみなかったもので」
大真面目に答えたのだが、穂は口元を引きつらせた。
「どういう言い草だ……」
立ち上がった真風琉の手をぱっと離し、穂は歩き始めた。が、思い出したようにふっとこちらを振り返った。
「中宮様の命で何か困っていることがあったら、力になるからいつでも言うように」
「え?」
真風琉はきょとんと目を見開いた。
なんでわざわざそんな親切をしてくれるの? あたしのことが嫌いなんじゃないの?
再会してからの穂の態度を鑑みるに、嫌われているとしか思えない。そうでなければ、何故あんなに昔と態度が違うのか。
というか、なんで中宮様から困るような命令をされていると知ってるの?
頭の中がはてなだらけで、返事もせずにみつめていると、穂は「返事は」とぶっきらぼうに促してきた。
「は、はい……」
そこで気付いた。中宮と穂は異母姉弟同士だということに。中宮や父の内大臣から内々に相談を受けているのかもしれない。
真風琉はがばりと顔を上げ、一歩前に出て穂を見上げた。
それなら、遠慮はいらない! むしろバンバン相談に乗ってもらおう! というか、乗る義務があるんじゃね?
「はいっ!」
真風琉は勢いよく手を上げた。
「な、なんだ」
あまりの勢いの良さに引いている様子ながらも、穂は先を促した。
「あたし、中宮様に『嵐を起こせ』と言われたんですけど、それってどういう意味でしょうか」
実際嵐を起こすというわけではないだろう。気象を操るのなら、陰陽師とか行者とか、もっと適任がいるはずだ。それに嵐が起きたところで、都に巣くう魑魅魍魎が消えるとは思えない。魑魅魍魎が消える前に人間が消し飛ぶ。
つまり、何かの謎かけ。まったく、宮中の人間はわかりにくい物言いをするから困る。
と、自分なりにそう考えての相談だったのだが。
穂は不思議そうな顔で真風琉を見つめた。
「それは『嵐を起こせ』ってことだろう?」
真振は顔が引きつるのを感じた。こいつも素直な物言いができないお貴族さまか。
「いやいや、だからそれはどういう意味かと聞いているんです。あたし嵐なんか起こせないし、そもそもそんなもん起こしてどうするんですか」
すると穂は、顔を青くして、信じられないものを見るような目で真風琉を見つめた。
「お前……桃原で何を学んできたんだ?」
「え?」
素で首を傾げると、穂の表情が段々と強張ってきた。そして最後に、穂ははーっと深いため息をついた。真風琉はその態度にムッとした。
「何よ、感じ悪いんじゃ……」
「ついてこい」
「は?」
穂は既に歩き出している。真風琉は早足で後を追った。
「待ってください、ついてこいって、どこに……」
「桜原の屋敷だ」
それだけ答えると、穂は後ろを振り返ることもなく、ずかずかと御所の外へと歩いていった。



