妖魔(僕は……気付いたらここに存在していた)
妖魔(『桜子』と仲良くなって平和に過ごしていたのに……全部あの男のせいだ)
妖魔(また妖魔に生まれ変わる前、僕はずっと『桜子』の傍にいた。よりにもよって、あの男に嫁入りすることになり、最初こそ反発していたものの、いつしかあの男に恋に落ちていく様子を僕は黙って見ていることしかできなかった)
妖魔「許さない。僕以外の存在に心惹かれるなんて」
妖魔「ユルさナい--」
○どこかの山(夜)
桜子、荷物を持って山道を歩いている。
桜子「はぁっ、はぁっ……」
息を切らしながら、空を見上げる。
桜子(気付いたら、こんなところまできてしまった……。もう帰れないわ)
桜子、きゅっと下唇を噛みしめる。
桜子(ううん。もう帰らない。……私は自由になるの)
桜子の目からぽろぽろと涙がこぼれる。
桜子(ずっと願ってきたことなのに……どうしてこんなに寂しいの。喜ぶところでしょう、私)
桜子(本当は分かってる。だって私は……桐仁さんが好きだから。だから、離れたくないとも思っていること)
妖魔「『桜子』」。大丈夫だよ、泣かないで
桜子「私をどこに連れて行こうとしているの?」
妖魔「いいところだよ。ほら」
桜子「!」
桜子、ようやく気付く。すぐ傍が崖になっていることを。
桜子「ひ……っ」
口から悲鳴が漏れ出る。足ががくがくと竦んだ。その場に尻餅をつく。
桜子「どうしてこんなことに……」
妖魔「自由になるんだろ? 肉体から解放されたらいい」
桜子「な…っ……死ねということ!? そ、そんなの嫌よ! も、もう帰る!」
妖魔「ダメだ」
桜子「!」
桜子、体が勝手に動き出す。崖下へと勝手に足が動く。
桜子は顔が真っ青になる。
桜子(いやっ! 助けて、桐仁さん--)
桜子、足がとうとう足場から外れてしまう。
桜子「! きゃあああああ!」
崖下へと真っ逆さまに落ちていく。
○浅草の往来(夜)
夜道を、桐仁は軍服姿で走っている。刀も所持して。
桐仁「桜子……!」
桐仁(対妖魔防御効果のある結婚指輪だったのに……なぜ、外したんだ)
桐仁(どこにいる!? あちらか!?)
以前、感じたことのある妖魔の気配を追い、ひたすら駆けていく。
○どこかの山(夜)
桜子、池からどうにか這い出てくる。
桜子「う……ごほっ、ごほっ」
桜子(崖下が池になっていてどうにか助かった。運はまだあるわ)
全身、ずぶ濡れの桜子。夜風が冷たく、ぶるりと体を震わせる。
桜子「寒い……いたっ」
歩こうとすると、右足が痛んだ。池にぶつかった衝撃で怪我をしたようだ。
桜子、その場にしゃがみ込む。
桜子、目に涙を浮かべた。
桜子(バカだ、私……勝手に家を抜け出してこんなところまできて)
桜子「? ポン助の声が聞こえない……」
どこかに行方をくらましたのか。桜子が死んだと思って。
桜子「ポン助?」
妖魔「いるよ」
桜子「わっ。ま、まだいるの?」
妖魔「当然だよ。僕と『桜子』はずっと一緒にいるんだ」
桜子「私はあの女の子じゃないわよ……?」
妖魔「いいや。桜子は『桜子』だ」
桜子「よく分からないけど……」
桜子、ぐるりと周りを見渡す。
上にのぼっていけそうな道が見当たらない。探せばあるかもしれないが、足が痛くて動けそうにない。
桜子(桐仁さん……)
しゅんとして桐仁のことを思う。
妖魔「あの浮気男のどこがいいのさ」
桜子「……桐仁さんは優しくて誠実な方よ」
妖魔「でも、『桜子』を泣かせた。悪い奴だ」
桜子「そ、そんなことないわ。私が勝手に傷付いただけなの」
妖魔「帰りたい?」
桜子、ぱっと顔を輝かせる。
桜子「帰してくれるの!?」
妖魔「やだ。『桜子』のことは誰にも渡さない。僕だけのものだ」
桜子、背筋がぞくっとする。
桜子(怖い……)
桜子、どうにか立ち上がろうとする。が、痛くてよろめいてしまう。
桜子「いた……っ」
挫けそうになるが、ぐっと歯を食いしばって踏ん張る。
桜子(でも、諦めない。自分の責任であの家に帰らないと)
桜子、よろよろと歩き出し、道を探し始める。
妖魔「……」
どうにか坂道を足を引きずるようにして歩く。上を目指して。
桜子「はぁっ、はぁっ」
桜子(足下が見えにくい。気を付けて歩かないと)
時々、ずるりと滑りながらも、どうにか元いた場所を目指す。
桜子(桐仁さん……今頃何をしているのかしら)
桜子(私がいなくなったことに気付いた? だとしたら、心配させているかも……って、どうしてそんな当たり前のことに気付かなかったの、私ったら)
桜子、しょんぼりする。
桜子(私ったら本当に身勝手な女ね。あの家を出たのに、また帰りたいだなんて)
桜子(桐仁さんになんて説明しよう)
どうにか元いた場所に戻ってすぐ。黒い影が桜子を待ち構えていた。
熊「ガァアアアア!」
桜子「きゃっ!?」
桜子、咄嗟にその場にしゃがみ込んで首裏を守る。
ザシュッッ!
鮮血が舞う。熊を背後から斬り倒したのは、なんと桐仁だった。
桜子「!」
桜子(桐仁さん……!)
熊、どこかへと逃げていく。
桐仁、焦った顔で桜子を振り向く。
桐仁「桜子! 大丈夫か!」
桜子「は、はい……っ」
桜子、涙目で桐仁を見上げる。恐怖のあまり、その場に尻餅をつく。
桐仁、すぐに駆け寄ってきた。
桐仁「桜子。左手を出してくれ」
桜子「え? ええ」
左手を差し出すと、薬指に結婚指輪が戻ってくる。
桐仁「これは妖魔対策のまじないをかけたものなんだ。これからは肌身離さず身に着けてほしい」
桜子「え……そう、だったんですか。ありがとうございます」
桜子、はっとする。
桜子「ポン助?」
返事はない。桐仁は怪訝な顔をしている。
桐仁「ポン助? まさか夢で見たという、妖魔のことか?」
桜子「はい。実はさっきまで一緒にいて……」
桐仁「な……っ、なぜすぐに俺の下へこなかった!」
一喝され、桜子はびくりと体を震わせる。涙目になって謝罪しようとする。
桜子「ご、ごめんなさ……」
桐仁「どれほど心配したと思っている!」
桜子「!」
桐仁に強く抱きしめられる。桜子、息を呑む。
桐仁「本当に無事でよかった……!」
桜子「…っ……、ごめんなさい」
桜子、ぽろぽろと涙を流しながら謝罪。腕を桐仁の背中に回し、しがみつく。
桜子「……って、ごめんなさい。私、ずぶ濡れで」
桐仁「気にしなくていい。今はもう少しだけこうさせてほしい」
桜子「はい……」
抱きしめ合う二人。
桜子から離れていた妖魔、沈黙して見守っている。
