○桐仁邸(夕方)
火に包まれている屋敷。
その二階の一室で、桜子と梓はカーテンをレールから引き剥がしている。
桜子「よし! 結んで縄にしましょう」
梓「で、でもすぐに解けるだけじゃ……」
桜子「大丈夫、解けにくくする結び方を知っているから。それに摩擦で案外すぐには解けないものよ」
梓「う、うん……!」
桜子、丁寧にカーテンを縄にしていく。
先端を家具の足に縛り付け、窓から縄を垂らす。
桜子「下りるわよ! 梓!」
梓、不安そう。涙目だ。
梓「ほ、本当に? 大丈夫なの、これ……」
桜子「このまま死ぬよりはマシでしょう。じゃ、私から行くから」
梓「お姉ちゃん!」
桜子、縄を伝い、壁を蹴って下りていく。が、地上までは縄が垂れていないのでジャンプする必要がある。上手く着地できないと怪我をしてしまいそう。
桜子(み、見ていた時よりも距離がある……うう、確かに怖い)
二の足を踏んでいた時、地上から桐仁の声が響く。
桐仁「桜子! 大丈夫か!」
桜子、空中からちらりと桐仁の姿を見つける。
桜子「桐仁さん……!」
ほっと肩の力が抜ける。が、縄を握る手は緩めない。
桐仁「跳んでこい! 俺が絶対に受け止める!」
桜子「! は、はい!」
桜子(桐仁さんが絶対に受け止めてくれる……うん、大丈夫だわ)
桜子、思い切ってジャンプ。
どさっ!
桐仁の腕の中へ。二人で後ろに転ぶ。
桜子「いたた……」
桐仁「無事でよかった……! 桜子!」
桜子「きゃっ」
桐仁に抱きしめられる。桜子は顔をほんのり赤く染める。
が、桐仁のその手は僅かに震えていることに気付く。
桜子(心配をかけてしまったのね……)
桜子、愛おしい感情が込み上げてきて、桐仁のことを抱き返す。
桜子「私は大丈夫です。ご心配をおかけしました」
二階から梓の焦る声が降ってくる。
梓「ちょ、ちょっとお姉ちゃん! 私はどうしたらいいのよ!?」
桜子「あ!」
桜子、はっとして立ち上がる。
両手を広げ、梓のことを見上げながら叫んだ。
桜子「私を信じて飛び込んできて!」
純一「桜子様。ここは私が」
突如、現れた純一。
桜子はびっくりするも、優しく微笑む。
桜子「ありがとう。梓のことを頼むわ」
しかし、梓の方がなんだか泣きたそうに顔を歪めて嫌がっている。
梓「嫌よ! お姉ちゃんに代わって!」
純一「しかし……」
梓「あんただって結局、お姉ちゃんのことが好きなんでしょう!? もう男なんて信じられない!」
純一「梓様……」
純一、少し痛みを堪えた顔をするも、真摯な顔で梓を見上げる。
純一「絶対に受け止めます! この命に代えても!」
梓「う……」
桜子「梓、今は純一を信じて頼りなさい! 純一が嘘をついたことってある!?」
梓「……。うー、わ、分かったわよ!」
梓、縄を伝い始める。
梓「ちゃんと受け止めてよね! 純一!」
梓がジャンプ。純一が体を張って受け止める。二人とも後ろに転ぶ。
純一「大丈夫ですか、梓様」
梓「……うん」
桜子「梓、大丈夫!?」
桜子が駆け寄ると、梓はすぐに立ち上がった。
梓「へ、平気だよ。お姉ちゃんは?」
桜子「私も大丈夫よ。お互い無事でよかったわね」
桜子、優しく破顔する。梓、目を潤ませてまた泣き始めてしまう。
そしてひしっと桜子に抱きついた。
梓「本当にごめんなさい、お姉ちゃん--」
桜子(その後、火消しの人たちがやってきて、無事鎮火された。だけど、私たちの家は……もう住むのは難しくなってしまうくらいの火事だった)
桜子(だから一時的に義両親の元へ身を寄せて、新しい家を建てた)
○新・桐仁邸(三月頃・朝)
居間で朝餉を食べている桜子と桐仁。
桐仁「今日は女学校の卒業式か」
桜子「はい」
にこりと微笑む桜子。桐仁はなんだか嬉しそうだ。
桜子「通わせていただいて本当にありがとうございました。夢が叶ってとても幸せな一年でした」
桐仁「……卒業したら働きに出るのか?」
桜子「? はい。もちろん」
桐仁、箸を置く。
桐仁「そのことなんだが……俺に返すというより、『この家庭』のために働くという考え方にしてほしい」
桜子「この家庭のために?」
桐仁「ああ。俺たちもいずれ子を授かる。働くのであれば、その子のために働いてほしい。それでは納得いかないか?」
桜子「……」
桜子、ちょっと考える。
桜子、内心ではちょっと苦笑いする。
桜子(意固地な方ね、桐仁さんは)
桜子(でも……そういう考え方もいいのかも? だって私たちはもう『家族』なんだから)
桜子、引き下がる。
桜子「分かりました。身内としてこの家のために働きに出ます」
桐仁、やっと納得した様子。同時にほっとしてもいる。
桐仁「どういった仕事をしたいんだ?」
桜子「カフェで働いてみたくて。制服がすっごく可愛いんです」
桐仁「ほう。--それなら俺も、顔を出してみよう」
桜子「! はい!」
その時。
桜子「う……っ」
突然、吐き気が込み上げてくる。手で口元を押さえ、蹲ると、桐仁もびっくりとした顔で慌てて駆け寄ってきた。
桐仁「大丈夫か、桜子!」
桜子「は、はい……なんだか急に吐き気が」
桐仁「医者を呼ぼう。静紀、町医者を呼んできてくれ!」
静紀「は、はい!」
慌てて屋敷を飛び出していく静紀。
桐仁「布団に横になろう。俺が連れて行く」
桜子「すみません……」
二人で、桜子の自室へ歩いて行く。
○桜子の自室(朝)
布団で横たわっている桜子と、付き添っている桐仁。
町医者が驚愕のことを言う。
町医者「おめでとうございます。妊娠されていらっしゃいます」
桜子「!」
桐仁「!」
桜子と桐仁、顔を見合わせる。桜子は笑顔だが、桐仁はちょっと緊張気味。
桜子「う、嬉しいですね。子どもを授かったなんて」
桐仁「あ、ああ」
桐仁、手で口元を覆う。その下には緩んだ口元がある。珍しくとても嬉しそうな表情。
桜子もまた、笑顔になる。
町医者「では、今日のところはこれで。しばらく安静にしていて下さいね」
桜子「はい。ありがとうございました」
町医者、部屋を出て行く。静紀がお見送りする。
二人っきりになった部屋の中、桐仁が桜子のことを抱きしめる。
桐仁「幸せな家庭を築こう。三人で」
桜子「はい」
○新・桐仁邸(五年後・日中)
桜が舞う庭先で、桐仁と颯(4歳)が剣術の鍛錬をしている。
そこへ、桜子が声をかける。
桜子「二人ともー。お茶の用意ができたわよ」
桐仁「ああ」
颯「うん!」
桐仁と颯は稽古を中止し、屋敷の縁側から入ってくる。
さらにそこへ、「はやくちてよー」と花梨(2歳)が顔を出す。
桐仁「すまない。さっ、お茶にしよう」
桐仁、ちょっと苦笑いで応え、桜子の隣を歩く。その横を、颯がたたたっと通り過ぎて、先に居間に行ってしまう。
桐仁「あまり無理をするな。お腹に障るのでは」
桜子「ふふ。もう安定期だから大丈夫よ。心配性ね、桐仁さんは」
桐仁「それならいいが」
桜子のちょっと膨らんだお腹を、桐仁が優しい手つきで撫でる。
桐仁「楽しみだな。三人目の子どもも」
桜子「ええ」
庭から桜の花びらが舞う。
ひらりと風に舞って飛んでいった。
【完】
