借金一億、冷徹軍人の妻になりました


○純和風の屋敷(朝)

女中頭「桜子さん! ここ、もっと綺麗に拭いて!」
桜子「す、すみません!」

桜子は慌ててバケツごと雑巾を持って行き、持ち場についた。
周囲からは憐憫が滲む声が聞こえる。

モブ1「あの花宮家のお嬢様が今は下働きなんてね。世の中、何が起こるか分からないわよねぇ」
モブ2「本当にね。ふふ」

桜子は下唇をきゅっと噛みしめ、俯いた。無言で床を磨く。

桜子(--そう。私の家、花宮家は、かつては栄えた華族だった。でも父が事業に失敗し、多額の借金を負ったことで没落してしまった。だから、残された娘の私が少しでも借金返済するためにこの屋敷で働かせてもらっている)

一生懸命、床を磨く桜子。

桜子(めげない。いつか借金を返済して、ここを出て行く。そして自由を勝ち取るのよ)


○純和風の屋敷(翌日・朝)

桜子「え!? 私の借金が返済された!?」
女主人「ああ。一括返済でね。ということで、もうお前は出て行っていいよ」

困惑する桜子。茫然と立ち尽くす。

桜子(どういうこと? それに誰が私のために……こんなことをしてくれたの?)

ちょっぴり己を情けなく思う桜子。悔しさに唇を噛みしめつつ、黙って頭を下げる。

桜子「お世話になりました……」


○帝都(朝)

桜子は屋敷を出る。外は大雨だった。桃色の傘を差して歩き出してすぐ、向こう側から見知らぬ青年がやってきた。

桐仁「桜子。あなたを迎えに来た」
桜子「え……?」

秀麗な顔立ちの青年を、桜子はおずおずと見上げる。桐仁は仏頂面で言う。

桐仁「帰る家はないのだろう?」
桜子「そ、それはそうですが……どなたですか、あなた」
桐仁「あなたの家の借金を返済した男だ」

桜子、息を呑む。

桜子(この人が借金を一括返済してくれた人? でも、どうして?)

桜子「……だとしたら、本当にありがとうございます。お名前は?」
桐仁「空森桐仁」
桜子「桐仁さん。すぐに私がお金を返します」
桐仁「必要ない。あなたが俺の伴侶となってくれたらそれでいい」
桜子「え?」

目を丸くする桜子。

桜子(伴侶って……え!? 求婚されてる!? こんな私が!?)

困惑して立ち尽くす桜子。桐仁は淡々と言う。

桐仁「あなたのお家は由緒正しい華族。その誉れある血筋が欲しい。……了承してもらえますね?」
桜子「な……っ」

桜子、言葉を失う。ふつふつと怒りが沸いてくる。

桜子(血筋が目当て? 何よそれ! 私のことが好きなのかと思った自分がバカみたい……!)

桜子「お断りします! お金は……ええと、すぐ返済いたしますから!」
桐仁「どうやって?」
桜子「そ、れは……またどこかで下働きしながらでも」
桐仁「一億も? 本当にすぐに?」
桜子「う……」

言葉に詰まる桜子。桐仁は冷徹な顔で言う。

桐仁「この縁談、あなたに拒否権はない」
桜子「!」

桜子、下唇を噛みしめる。己の無力さを呪うしかないが、何も言い返せない。

桜子「……最低」
桐仁「どうとでも。決まりだな」

勝手に納得して踵を返す桐仁の後ろを、桜子はとぼとぼとついていく。

桜子(好きでもない殿方と……それもこんな冷たそうな人と結婚しなきゃならないなんて……! 神様は無情だ)


○桐仁邸(朝)

純和風の屋敷に到着すると、どうやらここに桐仁一人が住んでいるらしい。

桐仁「ここが俺の家だ」
桜子「……」
桐仁「中に上がってくれ。荷物を片付けたいだろう」
桜子「……はい」

しょんぼりとして家の中に上がろうとすると、同年代の女子が現れた。

桜子(あ。女学校の制服……)
柚葉「お兄様! そちらがご結婚するお相手?」
桐仁「柚葉。なんだ、きたのか」
柚葉「なんだとは何よー。どんな人を連れてくるのか楽しみにしてたのよ」

柚葉が桜子の顔をひょいと覗き込む。愛らしいその顔を破顔させた。

柚葉「わっ! すっごく綺麗な人! 大切にしなさいよね、お兄様!」
桐仁「お前には関係ない」

柚葉は肩を竦め、桜子に笑いかけた。

柚葉「私、お兄様の妹の柚葉です。桜子さんでしたよね? これから仲良くしましょう」
桜子「え、どうして私の名前を……」
柚葉「兄から聞いています。あの花宮家の一人娘だと」
桜子「……そう、なのね」

曖昧に笑うしかない桜子。

桜子「こちらこそよろしく、柚葉さん」
桐仁「桜子。あなたの部屋は奥にある。荷物を置いてくるといい」
桜子「分かりました。ありがとうございます。それと……これからお世話になります」

無理やり笑顔を作り、桜子は家の中に上がる。言われた部屋は六畳一間の和室だった。そこに荷物を置いて、すぐに桐仁たちの元へ戻る。

桜子「柚葉さんは?」
桐仁「家に帰った。あなたによろしくと言っていた」
桜子「そう、ですか。女学校の制服を着ていましたね。通われているんですか」
桐仁「ああ。小学校を卒業してすぐ通っている」
桜子「……」

桜子、そっと目を伏せる。

桜子(女学校……私は通えなかった。一度でもいいから通ってみたかったな)

押し黙っている桜子から何か察したのか、桐仁が唐突に言う。

桐仁「……あなたも通うか? 女学校に」
桜子「へ!? ど、どうして……」
桐仁「通いたいのだと思った。違ったか?」
桜子「う……ち、違います。お気遣いは結構です」

桜子(借金を返済してもらった上、女学校にまで通わせてもらうなんて申し訳ないし……それに私はもう十六歳なんだから。どうせ馴染めないわ)

桜子、桐仁をちらりと一瞥する。

桜子(でも……いい人なのかしら、桐仁さん)

桐仁と目が合う。桜子、びっくりして飛び上がる。

桜子「! すすすみません!」
桐仁「? 何を謝る必要がある」
桜子「……すみません」
桐仁「? それよりも、そろそろ昼餉にするか?」
桜子「あ、お作りしますよ」

桐仁は変な顔をした。

桐仁「あなたはもう下働きではないのだから。やらなくてもいいことだ」
桜子「そんなことありません! ご厄介になる以上、少しでも何かさせて下さい」
桐仁「必要ない」

にべもなく切り捨てる桐仁に、桜子はむっとする。が、それ以上は食い下がれず、ご年配の使用人・静紀が用意した昼餉を一緒に食べる。

桜子「あ、おいしい。出汁がよく効いていますね、この卵焼き」
静紀「それはようございました。桐仁坊ちゃん、どうでしょう?」
桐仁「うまい」
静紀「ふふ。言葉少なでいらっしゃるんですから。それでは桜子様に誤解されてしまいますよ?」
桐仁「余計なことはいい」

沈黙の食卓。
桐仁は食べて早々、「ごちそうさま」と言い置いて席を立つ。

桜子(今日はお仕事はお休みなのかしら? そういえば、なんのお仕事をされているか聞いていなかった)

数十分後。
襖が開き、軍服を着た桐仁が声をかけてくる。

桐仁「静紀。桜子。今から仕事に行ってくる。留守は頼んだ」
静紀「はい。いってらっしゃいませ」
桜子「いってらっしゃいませ」

桐仁が家を出て行った後、桜子は食器を片付けながら静紀に話しかける。

桜子「静紀さん。桐仁さんって軍人の方なんですか?」
静紀「ええ。そうですとも。なんでも、対妖魔討伐室というところで少尉の地位におられるとか」
桜子「ええ!?」

目を丸くする桜子。

桜子(まだお若いのに少尉? それとも童顔とか? どちらにせよ、すごい……)

静紀はにこりと破顔する。

静紀「桐仁坊ちゃんは勘違いされやすい御方ですが……ああ見えて優しい方です。仲良くしてもらえたら嬉しいです」
桜子「は、はい」

桜子はおずおずと頷き、食器洗いを手伝おうとする。

桜子「あの、食器洗いは私が……」
静紀「いえいえ。わたくしめがやりますから」

桜子は諦めて、その場を離れる。
家の中を観察して歩きながら、思う。

桜子(桐仁さんと結婚、か。とんでもないことになってしまった。私、ここで上手くやっていけるのかしら……)