天命のセナ


 北に位置する凛黎帝国(りんれいていこく)の森は、秋の深まりとともに色づいていた。
 
 赤や橙色(だいだいいろ)に染まった木々の葉が、風に揺れては静かに地面へと落ちていく。
 そんな地面を踏みしめるたび、柔らかな音が響いた。

「良い天気ね。それに紅葉がとても綺麗だわ」

 空を見上げながら、セナは微笑む。
 その隣で、ルソンも穏やかに頷いた。

「そうですねぇ」

 しばらく静かに歩いていたリクスが、ふと思い出したように口を開く。

「ねえ、セナ。前から気になってたんだけど……セナが持つ天命の力って、どんな力なのか、まだ分かってないよね?」
「ええ、そうなの。まだわかってないわ……」
「なるほどな」

 短く相槌を打ったのはシウだった。
 そのとき、後方から慌てた声が上がる。

「あー! セルさん、何食べてるんですか!?」

 セナが振り返ると、セルが何食わぬ顔で団子を頬張っていた。

「ん? リタの鞄に入ってた団子だけど。これ、めちゃくちゃ美味しいな」
「お前な……いつの間に取ったんだよ」

 ルイアは苦笑しながら呆れた声を漏らす。

「はは、セルは相変わらず自由人だな」
「もう、勝手に取っちゃだめだよ」

 リクスに注意され、セルは素直に頭を下げた。

「ごめんごめん。反省するから許してくれ、リタ」
「……まあ、いいです。でも次は許しませんからね」

 そんなやり取りを眺めながら、シウがぽつりと呟く。

「なんか腹減ってきたな」
「そうだな。もう少し歩いたら昼にしよう」

 ルソンの言葉に、セナが思い出したように言った。

「リクスの鞄に、サヤ姫から貰ったおにぎりがあったわよね?」
「うん、あるよ!」
「よし、じゃあもうひと頑張りだな」

 こうして一行は、再び森の奥へと歩みを進めた。



 昼時、木々の間で休憩を取ることになった。
 セナはおにぎりを一口頬張り、思わず声を漏らす。

「ん……美味しいわ」
「姫さま、それは塩しゃけですか?」
「ええ、そうよ」
「少し味見してもいいですか?」
「いいわよ、はい」

 セナは自分が食べていたおにぎりを、何の躊躇もなくルソンに渡した。

「ありがとうございます。……ん、美味しいですね」

 夢中で食べるルソンに、セナが慌てて声を上げる。

「ちょっと、全部食べないで!」
「分かってますって」

 ルソンは、食べかけのおにぎりを何事もなかったかのようにセナへ返した。
 その自然すぎる動作に、周囲の空気が一瞬だけ止まる。

 ――そして、見ていた者たちの視線が一斉に集まった。

「……なあ、ルソン」

 最初に口を開いたのはルイアだった。
 半ば呆れたような声だ。

「お前、自覚ないのか?」
「無自覚? 何の話だ?」

 きょとんと首を傾げるルソンに、シウは深いため息をついた。

「まさか本当に気づいてないとはな……何とも思ってないから平気で出来るのか?」
「いやいや、多分ただ気づいてないだけだと思うよ〜」

 セルはのんびりした口調でそう言い、リタも大きく頷く。

「ええ、絶対に気づいてません。間接キスだってこ――」
「リタ、ストーップ!」

 リタの言いかけた言葉に慌ててリクスが遮る。

「気づいてないなら、それでいいんじゃないかな!」
「まあ……そうだな」

 シウも渋々納得したように頷いた。
 その様子を不思議そうに見ていたセナが、眉をひそめる。

「さっきから何をこそこそ話しているの?」
「ん?」

 ルソンは一拍置いてから、思い当たったように言った。

「あー……もしかして、俺と姫さまが間接キスしてることについてですか?」
「――えっ!?」

 セナの顔が一気に赤くなる。

「あ、あー! ルソン、あなた……私が食べたところを食べたのね!」
「そんなに怒らないでくださいよ〜。小さい頃からの付き合いじゃないですか」

 軽く笑いながら言うルソンに、ルイアが肩をすくめる。

「なんだ。無自覚でやってたわけじゃなかったのか」
「自覚ありでやってたってことか。流石だな」
「……そうね。深い意味はないわ!」

 少し強めに言い切るセナに、ルソンはにこやかに頷いた。

「そうですよ〜。今はね」

 その最後の一言は、ひどく小さな声だった。
 会話を聞いていたセルは、こっそりリクスの耳元に顔を寄せる。

「ねえ、リクス。ルソンって、セナのこと好きなの?」
「うーん……どうだろう。そんな話、したことないから分からないな」
「でも、見てる限りだと……何となく好意はありそうですよね」

 リタが控えめにそう言った瞬間。

「なーに、こそこそ話してるんだ?」

 ルソンの声が飛んできて、三人は一斉に背筋を伸ばした。

「な、なんでもないよ〜!」
「そ、そうですよ〜」
「……そうか?」

 疑わしげに首を傾げるルソンをよそに、仲間たちはそれ以上何も言わなかった。
 けれどその場にいた全員が、同じことを思っていた。

 ――少なくとも、ルソンの想いは決して護衛だけではないのだと。

✾✾✾

 王都を出てから三日目の夜。
 焚き火のそばで、ルソン、シウ、ルイアは見張りをしていた。

「明日の昼頃には、森を抜けられそうだな」
「そうだな」

 沈黙の中、シウが切り出す。

「なあ、ルソン。セナのこと、どう思ってる?」
「……姫さまは、自分の命に代えても守るべき人だ。それ以上は望んじゃいけない」

 幼馴染であり、護衛。
 その立場が、すべてだった。

「やっぱり、好きなんだな」
「ああ。でも言うつもりはない」
「分かった」

 星空を見上げ、ルソンは静かに息を吐いた。

「……綺麗な夜空だな」




 凛黎帝国(りんれいていこく)の王都を出てから四日目の昼過ぎ。
 長く続いていた森を抜けたセナ達は、そのまま帝国北部の山へと足を踏み入れていた。

 山道は細く、ところどころ岩が露出している。けれど険しすぎることはなく、秋の澄んだ空気が心地いい。

 足元で小石が転がるたび、規則正しい足音が山肌に響いていた。

「地図を見る限りだと……村に着くまで、だいたい五日くらいかしらね」

 歩きながらそう呟くと、隣にいたルソンが穏やかに頷く。

「そうですね。無理はせず、ゆっくり行きましょう」
「うん、それがいいと思う」

 リクスも同意し、少しだけ気を抜いた表情を見せた。
 だが、空を見上げていたシウは、どこか気がかりそうに眉を寄せる。

「村に着くまで、雨が降らなきゃいいんだが……」
「あれ? みんな、俺の力知らないのー?」

 場の空気を変えるように、セルが明るい声を上げた。

「セルさんの天命の力って、確か……」

 リタが思い出すように口にすると、セルは胸を張る。

「自然のあらゆるものを操れる力だよ!」
「……それって、もしかして天候も含まれるのか?」

 ルイアの問いに、セルは当然と言わんばかりに頷いた。

「もちろん! っていうかさ、セナたちと出会ってから今まで、実はちょっと天候を調整してたんだよね。ほら、あんまり雨、降らなかったでしょ?」
「……言われてみれば」

 セナは空を見上げる。
 確かに、ここまで不自然なほど晴れの日が続いていた。

「ずっと天気が良かったわね」
「それはすごい力だな」

 ルソンが素直に感心すると、リタはすぐに表情を引き締めた。

「でも、セルさん。力の使いすぎは良くありませんよ。身体への負担もありますし、雨が降らないと困る人もいるんですから」
「……ああ、リタの言う通りだ」

 シウも頷き、セルは少しだけばつが悪そうに頭をかいた。

「わかったよ〜。気をつける」

 軽い口調の裏に、きちんとした理解があることを感じて、セナは小さく息を吐いた。

 それぞれが天命の力を持ち、それぞれが違う思いを抱えている。
 そんなセナ達は、同じ目的地を目指して、今日も山道を進んでいく。

 ――この先に待つものが、どんな運命であったとしても。

✾✾✾

 山道に夜が降りた。
 昼間とは打って変わり、冷たい空気が肌を撫で、虫の音と風に揺れる木々のざわめきだけが辺りを満たしている。

 焚き火の小さな炎を背に、セナはルソンと並んで見張りをしていた。
 見上げた夜空には、雲一つなく星が瞬いている。

「……綺麗な夜空ね」
「ええ、本当に」

 同じ空を見ているはずなのに、どこか胸の奥が落ち着かない。
 セナはふと、眠っている仲間たちの方へ視線を向けた。

「みんな……どうしているかしら」
「元気にしてますよ、きっと」
「……そうだといいのだけど」
「城に戻ったら、きっと心配されてますよ。俺と姫さま、何も言わずに出てきたわけですし」
「ええ……戻ったら、こっぴどくリーナに怒られそうね」

 思わず苦笑すると、ルソンも小さく笑った。

「それは仕方ないですね。ちゃんと怒られましょう、姫さま」
「……そうね」

 短く返した声に、夜風が混じる。
 少しの沈黙のあと、ルソンが静かに口を開いた。

「あの、姫さま」
「なに?」
「俺は、どんな時も姫さまの味方です」

 真っ直ぐな言葉に、思わず息を呑む。

「もちろん、リクスも、シウたちもいます。だから……大丈夫です」

 ルソンは空を見上げたまま、続けた。

「この先、何があったとしても。俺たちは、きっと大丈夫です」

 その言葉は、星明かりよりも確かに、セナの胸を照らした。

「……ええ、そうね」

 セナはそっとルソンに頷き返す。
 冷たい夜の山道で、確かな温もりを感じながら。不安も迷いも、今だけは夜空の奥へと溶けていくような気がした。