天命のセナ


 翠帝国(すいていこく)の帝都にある宿屋の一室。
 夜の静けさに包まれた部屋で、セナとリノは並んでベッドに横になっていた。

 窓の外からは、帝都の灯りがほのかに差し込んでいる。

「セナさんは、天蘭王国から来たんですね」

 リノが天井を見つめたまま、ぽつりと尋ねる。

「ええ。自国を出てから、もうだいぶ時間が経ったわ」
「そうなんですね……」

 少し間を置いて、リノは柔らかく笑った。

「私、いつか村を出て、外の世界を知るための旅がしたいんですよね」
「いいですね!」

 セナは心からそう思った。
 城の中にいたままだったら、決して知ることのなかった世界。

 あの日、城を出ていなければ、リクスやシウ、仲間たちと出会うこともなかったはずだ。
 外に出て初めて知れたことが沢山あるのだとセナは改めて感じる。

「そろそろ寝ましょうか」

 リノの言葉に、セナは頷く。

「そうですね」

 リノは部屋の明かりが消すと、夜の空気が静かに二人を包み込んだ。

✾✾✾

 翌朝。
 翠帝国(すいていこく)西側の森を、セナ達一行は再び歩いていた。

「昨日はよく眠れたなぁ」

 伸びをしながら、シウが呟く。

「翠帝国に着くまで、ずっと野宿でしたもんね」

 リタがそう返すと、セルも軽く頷いた。

「そうだね〜」
「まあ、俺は昨日、ルイアの寝相が原因で眠れなかったが……」
「はは、それは災難だったね〜」
「すまなかった……」
「ああ、まあ、大丈夫だ」

 そんなやり取りに、朝の森の空気が少しばかり和らぐ。

「姫さまたちは、昨日眠れましたか?」

 ルソンの問いに、セナは微笑んだ。

「ええ。だいぶよく眠れたわ。リノさんも眠れた?」
「はい、よく眠れましたよ〜」
「また当分は野宿だよね?」

 リクスの言葉に、ルソンは頷いてから答える。

「ああ、そうだな」



 その夜。
 森の中で焚き火を囲み、セナ達は野宿をしていた。

「リノ、これスープなんだけど飲む?」
「あ、はい! 飲みます」

 リクスは手際よくスープを器に注ぎ、リノに渡す。

「どうぞ〜」
「ありがとうございます……!」
「リクスの料理、本当に美味しいわ」

 セナの言葉に、ルイアが大きく頷く。

「だな。嫁にしたいくらいだ」
「俺、男だよ!」
「大丈夫だ。安心しろ、リクス。みんなリクスが男だってことはわかってる」
「わかっていてもらわなきゃ困るよ……まあ、ありがとう」

 焚き火の火が揺れる中、リノはその様子を眺めながら呟いた。

「なんか……いいですね。こうやって、みんなでご飯を食べながら、他愛のない会話をして……」

 そう言ったリノの顔は少し寂しそうであった。

「お母さんたち、心配してるだろうなぁ……」
「私たちが必ず、リノさんを両親のいる村まで送り届けるわ」
「あ……ありがとうございます。あ、それに、このスープ美味しいです……!」
「でしょ?」
「はい……!」

 静かな夜空の下でセナ達の賑やかな声が森の中に響いていた。

✾✾✾

 翌日。
 セナ達は黎帝国(りんれいていこく)の西にある小さな街へと辿り着く。

「……リノ!?」

 街の通り道に偶然にも立っていた母親の声が響く。

「お母さん……!」

 リノは母親の元へと駆け寄ると、母親とその隣に立っていた父親に強く抱きしめられる。

「なかなか帰ってこないから、心配してたんだぞ」
「ごめんね、お父さん……。ちょっと、奴隷商人に捕まって連れ去られちゃって……」
「なっ……!? 大丈夫だったのか?」
「うん。売られそうになってたところを、助けてもらったの」
「助けてもらったって、誰に?」

 リノの母親がそう言うとリノは振り返り、セナたちを指差した。

「はじめまして」

 セナは一歩前に出て、丁寧に頭を下げる。

「リノさんは奴隷商人に連れ去られて、翠帝国の帝都まで来てしまったようで……帰り道がわからなかったので、ここまで送らせていただきました」
「そんな……帝都から、遠かったでしょう?」
「いえ、そんなに遠くなかったので大丈夫ですよ!」

 セナの言葉を聞いてから、リノの父親は深く頭を下げてきた。

「本当に、娘を助けてくれて、ここまで連れて帰ってきてくださって……何かお礼を」

 リノの父親に対して、ルソンは「いえいえ」と言い首を振る。

「こちらに向かう途中でしたから」
「それでも……」
「じゃあ」

 セナは微笑んで言った。

「またこの村に来た時に、リノさんとお話しさせてください。途中でたくさんお話しして、仲良くなったので」
「まあ……もちろんです。リノ、よかったわね」
「うん……!」
「リノ、また来るね」
「あ、今さらですけど……さん付けしなくて大丈夫ですよ!」

 リノの言葉にセナは嬉しそうな笑みを溢した。

「じゃあ、リノ。私もタメで話すわね」
「うん、わかった!」
「じゃあ、行きますか」

 ルソンの声に、セナは待っててくれていたシウ達、そしてルソンを見て頷く。

「ええ。リノ、またね」
「うん……ありがとう。またね、セナ」

 セナたちが歩き出すと、リノはその姿が見えなくなるまで、いつまでも手を振り続けていた。

 セナもまた歩きながら振り返り、最後までリノに向かって手を振り返した。

✾✾✾

 凛黎帝国(りんれいていこく)の西に広がる森は昼の陽光を受けて、少し肌寒く感じる秋の風によって木々が揺れていた。

 時折、鳥のさえずりが静かに響くそんな森の中を、セナ達は歩いていた。

「はぁ〜……お腹空いた〜」

 間延び(まのび)した声を上げたのはセルだった。
 腹を押さえながら、いかにも限界といった様子で歩いている。

「さっきリクスからもらったまんじゅう、食べたばかりじゃないか」

 呆れたようにシウが言うと、セルは不満げに口を尖らせた。

「まんじゅうだけじゃ、お腹いっぱいにならなかったんだよ〜」
「仕方ないなぁ」

 そう言って、ルイアは懐から包みを取り出す。

「俺の分、半分あげるよ」
「ルイアさん、甘すぎます!」

 そんなルイアを見て、すかさずリタが注意する。

「ルイアさん、我慢させることも大切ですよ」
「えー! 俺、我慢できない〜!」
「まるで子供だな……赤ちゃんか?」

ルソンの一言に、セルは大げさに反応した。

「ちがーいーまーすー! ばぶはぶしてません〜! 赤ちゃんじゃないでーす!」
「じゃあ、我慢するべきだと思うぞ」
「くくっ、確かに」

 シウの笑いに、セルはむっとする。

「セナー……みんなが俺にひどいこと言ってくる」

 助けを求めるようにセナの方を見るセル。
 だがセナは困ったように微笑んで、静かに首を振った。

「セル、我慢は必要よ。お腹が空いているのは、あなただけじゃないわ」
「うんうん、セナの言う通りだよ〜!」

 リクスまで同意し、セルはがっくりと肩を落とす。

「セナまで……わかったよ。我慢する」
「俺のまんじゅう、やっぱりいらないか?」
「……いるって言いたいところだけど、それはルイアの分だから。ルイアが食べな〜」
「おお、偉いぞ」
「うん、俺、偉い」
「自分で言うのか」

 穏やかな森の中にセナ達の笑い声が広がる。
 ――だが、その空気を切り裂くように、微かな音が混じる。

「……ん?」

 足を止めたルイアが、森の奥へと視線を向けた。

「どうかしましたか?」
「いや……人の足音が、近くでした気がして」

 次第に、はっきりとした足音が響き始める。
 セナ達は全員、気配を察した。

「誰かいるな」
「……ああ」
「セナ、下がってて」

 セルが前に出る。
 セルの言葉にセナは小さく頷き、一歩下がった。

「嫌な感じがしますね」
「同感だよ」
「姫さまとリクスは下がってください」

 その瞬間――
 剣が抜かれる音と共に、白いフードを被った三人の人影が現れた。

「お前たちは何者だ!!」

 フードを被った内の一人がいきなり剣を振りかざしてくる。ルソンがそれを受け止めて言い返す。

「いきなり剣を振り回してくる人に、名乗るわけないじゃないですかぁー!」

 ルソンは反撃し、鋭い金属音が森に響く。

「こいつら……強いな」

 フードを被っていて性別がわからなかったが、焦りが混じった声でそう呟いたのは男性の声であった。

「どこの誰か知らないが、まずは名乗るべきじゃないか?」
「全く……荒々しい方々ですね」

 シウとリタも剣で反撃しながら、そう軽口を叩く。

「くっ……! こいつら強い……!」

 激しい攻防の中――

「やめて!」

セナの声が、その場を貫いた。
ルソンとフードを被った者達は動きを止め、セナを見る。

 セナは被っていたフードを取り告げる。

「私たちは天蘭王国の人間よ。理由があって、旅をしているの」
「……空色の髪……まさか」

 一人の人物がフードを外す。

「やはり……セナ姫か。私は凛黎帝国第一皇女、サヤだ」

剣を構えたまま硬直していた空気が、サヤの名乗りによって一気に変わった。

「……おいおい、マジですか」

 最初に声を上げたのはルソンだった。
 冗談のような口調とは裏腹に、その目は大きく見開かれている。

「第一皇女……」

 セナは思わず息を呑んだ。
 凛黎帝国(りんれいていこく)の第一皇女。
 そんな人物が、この森の奥にいるなど、想像もしていなかった。

「大変、申し訳ございませんでした」

 ラルフはすぐさま剣を収め、深く頭を下げる。

「ご無礼をお許しください」

 ルドもそれに倣い、静かに頭を垂れた。

「まさか、凛黎帝国の第一皇女様と、こんな場所で会うとはな」

 ルイアは驚きを隠せない様子で、肩をすくめる。

「でも……どうして皇女様が、こんな森の中に?」

 リタの疑問に、シウも小さく頷いた。

「確かに、不自然だな」

 サヤは剣を下ろし、周囲を見渡してから口を開いた。

「最近、この森で不審な人物が現れるという情報があってな。その手がかりを掴むため、巡回していたところだったんだ」
「そうだったのですね」

 セナは納得したように頷く。

「だが――」

 サヤは視線をセナへと向ける。

「なぜ、天蘭王国のセナ姫が、こんな場所にいる?」

 一瞬の沈黙の後、セナは迷うことなく、静かに答えた。

「……色々な理由があって、今は旅をしているんです」
「なるほどな」

 サヤはふっと息を吐き、わずかに口元を緩めた。

「訳あり、というわけか。なら話は早い。――一緒に来い」
「一緒に、って……どこへ?」

 警戒を残したまま、ルソンが問い返す。
 その問いに、ルドが簡潔に答えた。

「凛黎帝国の王城です」

 その言葉に、セナ達は顔を見合わせた。
 こうしてセナ達は、思いがけない出会いをきっかけに、凛黎帝国の中枢へと足を踏み入れることになるのだった。

✾✾✾

 石畳(いしだたみ)を踏みしめる足音が重なり合い、帝都は活気に満ちていた。
 通りの両脇には露店が立ち並び、人々の笑い声や呼び込みの声が絶えない。

「今日は、いつにも増して賑わっているな」

 周囲を見渡しながら、サヤがそう呟く。

「明日は紅葉祭りですからね」

 ルドが誇らしげに答え、ラルフも頷いた。

「そうだな」
「……祭り?」

 セナは聞き慣れない言葉に、首を傾げる。

「凛黎帝国で、秋に行われる祭りだ」
「なるほど。天蘭王国でいう春祭りみたいなものか」
「ええ、そうなんですね」

 帝都の賑わいは、セナにとって久しく忘れていた平和そのものだった。



 やがて一行は王城へと辿り着き、サヤに案内されて客間へ通された。
 重厚(じゅうこう)な扉が閉まると、外の喧騒(けんそう)が嘘のように静まり返る。

「訳ありなのは理解したが……詳しく聞いてもいいか?」
「ええ、大丈夫ですよ」

 セナは静かに頷き、これまでの出来事を語り始めた。

 城を出た理由、旅に出るに至った経緯――
 そして、天命の力と天命の盾の存在を。
 
 すべてを聞き終えたサヤは、しばし沈黙した後、低く呟いた。

「……なるほどな」
「ええ」
「天命の力、か……」
「何か、ご存じなんですか?」

 ルソンの問いに、サヤは顎に手を当てる。

「凛黎帝国の北に位置する山の途中に村があつてな。そこに、天命の力について知る人物がいるという話は聞いたことがある。ただし……」
「そこまで、五日はかかる、か」

 シウが呟くとサヤは頷き返す。

「ああ。行くなら地図を渡すが……どうする?」
「どうなさいますか、姫さま」
「行くわ!」
「わかった。少し待っていろ」

 サヤはそう言い残し、部屋を後にする。
 ほどなくして戻って来たサヤは、一枚の地図をセナに差し出した。

「これだ」

 布が擦れる音と共に、セナは地図を受け取る。

「これが……」

 広げられた地図には、細かく描き込まれた山道と目印が並んでいた。

「確かに、丸五日はかかりそうね」
「ずいぶん、細かい地図ですね」
「実際に山に登って描いたものですから」
「なるほどな」

 サヤは満足そうに頷き、続けて言った。

「今日は城に泊まるといい」
「いいんですか?」
「ああ。ルド、部屋の準備を」
「承知いたしました」

 サヤの命令にルドは頷いてから、部屋を出ていく。

「ゆっくり休んでくれ。私もこれで失礼する」

 サヤがそうセナ達に告げてから立ち去った後、客間には再び静けさが戻った。

「天命の力のことを知る人なら……私の力についても、何かわかるかもしれないわね」
「そうですね」

 セナのその言葉には希望と不安が静かに混じっていた。



 その夜、セナは部屋の窓辺に立ち、夜空を見上げていた。
 満天の星が、冷たい光を放っている。

「……みんな、どうしているかしら」

 今や遠く離れた天蘭王国にいる侍女のリノや、幼い頃から自分のことを守ってくれていたイリスにリヴィア。

 そして幼なじみであり、あの春祭りの日の夜。セナを逃してくれたシウォン。
 セナはそんな大切な人達のことを思い馳せていた。

「そろそろ……休まないと」

 セナは静かな部屋で一人呟き、カーテンを閉め、静かにベッドへと向かった。

✾✾✾

 翌日の朝。
 凛黎帝国(りんれいていこく)の王城にての正門にて、サヤはラルフとルド。
 二人の護衛を引き連れてがセナを見送る。

「次に会う時は、もっと色々な話をしよう」
「ええ。この度は、本当にありがとうございました」
「ああ。ではな」

 セナ達はサヤの姿を背に再び歩き出した。



 凛黎帝国の北に位置する森の中をセナ達は歩いていた。森は静まり返り、夕暮れが近づいていた。

「疲れたわね……少し休みましょうか」
「そうですね」
「もう夕方だ。今日はここで野宿するか」
「そうだな」
「賛成です」
「ねぇリクスー、今日の夕飯なに〜?」
 
 セルがそうリクスに問い掛けるとリクスは穏やかな笑みを浮かべながら答える。

「味噌汁と、炒飯だよ」
「おお……それは楽しみだな」
「リクス、私も手伝うわ」
「ありがとう、セナ」
「ええ」

 夕飯の準備が進む中、穏やかな時間が流れていく。
 茜色に染まる空の下、セナ達は今日という日の夜を迎えようとしていた。