バスケ少女の恋はコートから

尾野(おの)家の朝は早い。休日でも、それはあまり変わらない。

「美咲(みさき)、目玉焼きもう一個いる?」

母・里子(さとこ)が台所から声をかけると、美咲は時計を見ながら首を横に振った。

「いい。ご飯おかわりしたから」
「今日、二試合になるかもしれないんでしょ。食べときなさい」
「今日は春大だから、私は出ないよ」

向かいで、高校一年生になったばかりの弟・健司(けんじ)が顔を上げた。

「じゃあ、ご飯おかわりする必要なくね?」
「応援とかサポートも疲れるの!」

「あっそ。今日の相手どこ?」
「日田(ひた)旭(あさひ)」
「えー、結構強いところじゃん」
「うちは優勝するから、どこが来ようと関係ないの。常に全力」
「はいはい、さすがでござんすね」
「何?」
「何でもありませーん、キャプテン」
「朝から喧嘩しないの」

里子が淡々と言う。父・剛(つよし)はすでに食事を終え、新聞を読みながら笑っていた。

剛は185センチ、里子も172センチある。その二人の間に生まれた長女の美咲は、高校三年生の春には母と同じ172センチになっていた。小学生の頃から大きかった。同級生の男子より背が高いことも珍しくない。短い髪、よく通る声。そして勝負になると容赦がない。

名字が尾野だったこともあって、小学生の頃についたあだ名は「鬼(おに)美咲(みさき)」。中には「ゴリラ」と呼んでくる男子もいたが、美咲は大して気にしなかった。言ってきた男子よりバスケ上手いし、それだけで良かった。

ところが中学の後半あたりから、周囲の扱いが少しずつ変わった。成長して顔立ちが整い、長い手足と姿勢の良さが目立つようになると、「鬼美咲」はいつの間にか「学校で一番きれいな子」と言われるようになった。本人だけが、その変化にほとんど興味を示さなかった。

先輩から告白されても、「ごめんなさい。今はバスケしたいので」。同級生でも、「本当にごめん。今はバスケに専念したいの」。後輩でも同じだった。断るための方便ではない。本当にそうだった。

テレビにアイドルが出ていても名前が分からない。友人たちが俳優の話で盛り上がっていても、顔と名前が一致しない。その一方で、男子の大学バスケも見るし、NBAの映像も見る。母が若い頃に出場した実業団の古い試合映像も何度も見ていた。

将来の夢も昔から変わっていない。お母さんと同じように、バスケットボール選手になる。美咲にとって、ずっとそれが当たり前だった。

「お姉ちゃん」

妹の美佳(みか)が、美咲のジャージ姿を上から下まで眺めた。

「今日、それでいいの?」
「何が?」
「いや、別に」
「試合なのに他に何着るの」
「そういう意味じゃないんだけど」

美佳は中学三年生。小学生まではバスケットボールをしていたが、自分には合わないとやめた。今はピアノと音楽が中心で、本もよく読む。そして尾野家の中では圧倒的に服に詳しかった。

「お姉ちゃん、本当に服どうでもいいよね」
「動きやすければいい」
「化粧もしないし。女子高生としてどうなの」
「今日、バスケしに行くんだけど」
「はいはい」

美佳は笑って引き下がった。この時の彼女はまだ知らない。数か月後、自分の姉が毎朝鏡の前で前髪を気にするようになることを。

―――

県総合体育館。

県高校春季大会 若葉(わかば)杯、通称・春大。毎年四月末からゴールデンウイークの初めにかけて行われる、一、二年生だけの県大会だった。三年生の美咲は試合には出ないが、キャプテンとして後輩たちについてきている。

大分女学院附属高校、通称・大分女子は、県内でも屈指の強豪だった。美咲たちが二階の観客席へ上がった時には、すでにいくつもの学校が会場入りしていた。

「ちか、荷物そこじゃない。通路空けて」
「はーい」
「返事」
「はい!」

二年生の池上(いけがみ)ちかが慌ててバッグを寄せる。158センチのポイントガード。小学生のミニバス時代から美咲を知っているので、先輩として怖がりながらも妙に遠慮がない。隣には同じ二年生の太田智子(おおたともこ)。160センチのシューティングガードで、いつもちかと一緒にいる。

「ちか、朝から怒られてるやん」
「太田も笑ってないで荷物置く!」
「はい!」

二人が荷物を片づけるのを確認して、美咲は自分のバッグを置いた。女子の試合開始まではまだ時間がある。何気なく下のコートへ目を向けると、県内の男子高校二校がウォームアップを始めていた。

そのうちの一校は虹(にじ)ヶ丘(おか)高校。特別に興味があったわけではない。美咲はぼんやりと選手たちを眺めていた。

背の高い選手が二人、目についた。そのうちの一人は、上級生たちに比べると身体がまだ細い。顔つきにもどこか幼さが残っている。

背番号10。

「……一年かな」

誰に言うでもなく美咲が呟くと、ちかが下を見る。

「何です?」
「虹ヶ丘の10番。ちょっと大きいなと思って」
「ああ、本当だ。180センチより全然高そうですね」
「うん」

美咲が最初に気づいたのは、それだけだった。少し背の高い一年生。

虹ヶ丘の選手たちがレイアップへ入る。右から、左から。ごく普通のウォームアップだ。美咲にとって、レイアップなど見慣れすぎていた。自分でも何万本打ったか分からない。父にも母にも教わった。ミニバス、中学、高校と、上手い選手もそうでない選手も、男子も女子も、数え切れないほど見てきた。

だからこそ、その一本に目が止まった。

10番が左側から入ってくる。特別速いわけではない。高く跳ぶわけでもない。派手なことは何一つしていない。

一歩、二歩。左手からボールが離れる。

バックボードへ柔らかく触れ、そのままリングの中へ落ちた。着地しても身体が流れない。そのまま何事もなかったように列の後ろへ戻っていく。

その瞬間、どこからともなく春の暖かい風が吹き込み、美咲の頬を撫で、短い髪を揺らして通り過ぎた。

美咲は、10番から目を離さなかった。

「……」
「先輩?」

ちかの声にも、すぐには返事をしない。もう一本。今度は右側から入る。ボールを受け、踏み込み、右手でレイアップ。左利きなのは最初の一本で分かった。それなのに、右でもほとんど動きが変わらない。

一つ一つの動作が、そのまま次の動作へつながっている。身体が揺れない。着地も乱れない。力んでいない。速く見せようとも、上手く見せようともしていない。ただ、必要な動きを、必要なだけやっている。

美咲は無意識に少し身体を前へ乗り出した。

「……きれい」

智子が聞き返す。

「何がですか?」
「あの10番のレイアップ」

ちかも下を見る。

「ああ!」

美咲が少し期待するように聞いた。

「分かる?」
「確かにイケメンできれいです!」
「レイアップって言ったでしょ!」

思わず声が大きくなった。ちかが美咲を見る。美咲も、そこで改めて10番の顔を見た。

短めの髪。派手さのない顔立ちで、まだ少年っぽさも残っている。それでも目元は妙に落ち着いて見えた。美咲には、自分の好みなど分からない。そもそも今まで、男子の顔を見てどうこう考えたこと自体ほとんどなかった。

「今、バスケの話してるの」
「私は顔の話してます!」

ちかは真面目な顔で答えた。

「まったく……あなた今日スタートでしょ? 試合に集中しなさいよ」
「話そらしました!」
「ちか!」
「はい! すみません!」

智子が横で笑う。

「ちか、また怒られた」
「太田も早く次の準備!」
「はいはいはーい」
「『はい』は一回!」
「はい!」

二人を連れて階段を下りながら、美咲は一度だけ振り返った。10番はもう次のシュートを打っていた。

―――

女子のウォームアップが始まると、美咲はすぐに切り替えた。自分はキャプテンだ。三年生は出場できなくても、後輩たちを支える役目がある。自分がふわつけば、チームもふわつく。

「パスもっと強く! ちか、受ける位置もう少し上! 智子、そこで止まらない!」

いつもの尾野美咲だった。バスケ中は後輩から怖がられるが、それ以上に信頼されているキャプテンでもある。

第一試合の相手は日田(ひた)旭(あさひ)高校。大分女子は序盤、やや硬かった。春大は一、二年生だけの大会とはいえ、二年生には普段からスタートで出ている選手もいる。美咲としては、もっと落ち着いて入ってほしいところだった。

日田旭も立ち上がりから積極的に当たってきて、前半を終えて八点差。ベンチに戻ってきた選手たちへ、美咲はすぐ声をかけた。

「ちか、ボール持ちすぎだよ。もっと簡単にさばいていい!」
「はい!」
「智子もシュート躊躇しすぎ。フリーなら打たないとチームのリズム悪くなるよ!」
「はい!」
「あと、全体的にカット狙いすぎ。そこで無駄な失点してる。いつも通り時間を使わせるディフェンスでいこう!」
「はい!」

表情は厳しい。でも、言っていることは具体的だった。それが美咲だった。顧問も頷く。

「キャプテンの言う通り! 点差は見ない! 後半、しっかりいくよ!」

後半に入ると徐々に差が開いた。大分女子はベンチの層も厚く、最終的には二十点以上の差をつけて勝利した。

整列、礼。戻った瞬間、ちかが大きく息を吐く。

「はー、疲れたあ」
「まだ終わってないよ。今日はもう一試合」
「分かってます!」
「ダウンして、食べて、次の確認」
「はい! 先輩、おんぶして更衣室まで連れていってください!」
「はいはい、自分で頑張ってね」

美咲が冷たく言い放つと、タオルで顔を拭いていた智子が口を挟んだ。

「あの虹ヶ丘の10番だったら、お姫様抱っこしてくれそうなのになぁ」

その瞬間、美咲の頭に先ほどの姿が浮かんだ。自然で、流れるようなレイアップ。そして、その顔も。

「先輩?」
「えっ!? 何よ?」

自分でも分かるほど反応が遅れた。智子がニヤニヤする。

「もしかして先輩も、お姫様抱っこされたいんですか?」
「……二人とも、ずいぶん元気みたいね」

ちかの表情が固まった。

「私は何も言ってません!」
「笑ってる」
「えっ」
「週明けの練習、もっと走れそうね」
「えーん、ごめんなさーい!」

二人は逃げるように荷物を運んでいった。

二階の観客席に戻り、美咲は何気なく大会プログラムを手に取った。男子、虹ヶ丘高校。選手名簿の背番号を上から追っていく。4、5、6。さらに下へ。

背番号 10   渡辺 秀  わたなべ ひで  1年

美咲の視線が止まった。

「何見てるの?」

同級生でマネージャーの藤原(ふじわら)奈緒(なお)が横から覗き込む。美咲は反射的にプログラムを閉じた。

「組み合わせ!」
「男子の?」
「うん。たまたま開いたページ」
「へえ」
「何」
「別に」

奈緒の口元が少しだけ緩んでいる。

「奈緒、何?」
「なんでもないよ」
「ほんと?」
「本当」

妙に機嫌よく、奈緒は離れていった。美咲は閉じたプログラムへもう一度視線を落とした。

渡辺秀。

頭の中で一度だけ名前を繰り返した。

―――

次の試合も大分女子は勝った。帰りのバスまでは少し時間がある。女子チームの何人かは、そのまま観客席に残って男子の試合を見ていた。

下のコートでは虹ヶ丘高校が試合をしている。

「あ、やっぱり大きいですね」

ちかが言う。

「そうだね」

美咲は普通に答えた。あくまで普通に。

10番――渡辺秀はベンチに座っていた。一年生なのだから、それ自体は不思議ではない。虹ヶ丘にも上級生がいる。それでも、美咲は少し意外だった。ウォームアップを見た時点で、かなり上手い選手に見えたからだ。

第1クォーター中盤、虹ヶ丘の監督が10番を呼んだ。何かを短く話すと、渡辺は頷いてコートへ入る。

「あ、出てきた!」

ちかが言う。

「見えてるわよ」

美咲が即答する。ちかが横を向いた。

「別に先輩に言ったわけじゃないですけど」
「……ちょっと勘違いしただけよ」

コートではプレーが再開された。渡辺は派手なことをしなかった。ボールを受ければすぐ味方へ戻す。ディフェンスでは自分の位置を外さない。リバウンドを取ればガードへ渡し、すぐ前へ走る。一つ一つは、ごく普通のプレーだった。

次のポゼッション。右ウイングでボールを受ける。ワンドリブル。ディフェンスとの間に少しスペースができた。

打てる。

美咲はそう思った。だが、その瞬間に先輩がゴール下へカットする。渡辺は迷わずパスを出した。そのまま得点。

「……」

智子が横から聞く。

「どうしました?」
「別に」

その後も似たようなプレーが続いた。無理に自分で行かない。空いていればシュートを打つ。味方がもっといい位置にいれば、すぐパスを出す。

数分後、渡辺は再びベンチへ戻った。得点は多くない。派手なプレーもない。なのに、美咲は妙に気になった。

もっとできそうなのに、やらない。自分がやるべきことだけを、淡々とやっている。

「一年だからかな……」

美咲が小さく呟いた。

「何がです?」

ちかがすぐ反応する。

「もっと自分で行けそうなのに、あんまり行かないなと思って」

智子が笑った。

「先輩、もう分析始まってる」
「バスケ選手なんだから普通でしょ」

ちかが腕を組む。

「確かに。でも髪型とかもうちょっと派手にすれば、かなり化ける可能性ありますねえ」
「ちか」
「はい。この話終わりまーす」

第2クォーター途中、渡辺が再び呼ばれた。今度も同じだった。いい位置でボールを受ける。もっといい位置にいる味方へ渡す。完全にフリーになれば、無理なくジャンプシュートを決める。ディフェンスでも無駄にボールを追わず、相手とゴールの間に身体を置く。

何か特別なことをしているわけではない。けれど、一つ一つの動きに引っかかるところがない。さっきのレイアップと同じだった。余計なものがない。

美咲はいつの間にか、虹ヶ丘の試合を見るのではなく、10番を目で追っていた。

前半終了。試合は接戦だった。

「そろそろバスに移動するよー」

奈緒の声が飛ぶ。観客席に残っていた大分女子の選手たちが立ち上がった。美咲も荷物を持つ。

歩きながら、もう一度コートを見る。渡辺はベンチに座っていた。大して息も上がっていない。足を気にしている様子もないし、怪我を抱えているようにも見えない。

じゃあ、なんでちょっとしか出ないんだろう。
そんなことを考えていると、横を歩いていた智子が美咲の顔を覗き込んだ。

「先輩! やっぱりイケメン気になりますか?」
「そんなんじゃないの!」
「私、さっきプログラム見ました!」

今度はちかが入ってくる。

「名前、渡辺秀っていうんです! 秀君の応援で残りますか?」
「なんで下の名前で呼んでんのよ!」
「えー」
「あなたたち、週明け私と一緒にいっぱい走りましょうね!」
「えーっ! せんぱい、ひどーい!」

そんなことを言いながら、美咲たちは会場を後にした。

―――

その日の夜。尾野家の夕食で、剛が最初に聞いた。

「どうだった?」
「勝った」
「内容は?」
「どっちも前半ちょっと硬かった。後半は普通」
「春大だからな。一、二年だけだし」
「でも二年の子は普段からスタートの子もいるし、もっとしっかりしてもらわないと」

剛が笑う。

「美咲は厳しいなあ。でもお父さん、この前会場に応援行った時、いろんな子に挨拶されたぞ。『いつも美咲先輩にお世話になってます』って。ああいうの嬉しいよな」
「そう? 普段そんな感じしないけど」

美佳は黙って姉を見ていた。いつもの美咲だ。勝っても浮かれず、内容が良くなければすぐ次のことを考える。ただ今日は、時々何かを思い出したように箸が止まる。

健司が聞いた。

「男子も見た?」
「少し」
「どこ?」
「虹ヶ丘と桜中央(さくらちゅうおう)」
「誰か上手いやついた?」
「一年で、ちょっと上手い子いた」
「誰?」

美咲は一瞬考えた。渡辺。名前まで出かかったが、なぜか飲み込んだ。

「虹ヶ丘の……身長高い子。たぶんお父さんくらい」

剛が興味を示す。

「ほお。どんな選手?」
「左利き。結構上手そうだけど、あんまり試合には出てなかった」
「なんで? 怪我?」

健司が聞く。

「知らない。でも怪我って感じではなかった」

里子が美咲を見る。

「珍しいね」
「何が?」
「美咲が男子高校生をそこまで見てるの」
「バスケの話でしょ」
「そうね」

お母さんはそれ以上言わなかった。今度は美佳が聞く。

「かっこよかった?」

美咲の箸が止まる。

「……何で?」
「いや、聞いただけ」
「関係ないでしょ」
「かっこよかったんだ」
「そういう話してない」
「否定しないんだ」
「美佳」
「はいはい」

健司まで笑い出す。

「姉ちゃんが男子の顔の話してんの初めて見た」
「してない。美佳がしてるの」

剛も笑う。

「美咲にもそういう時期が来たか」
「お父さんまでやめて」
「いや、普通の高校生だなと思って」
「バスケの選手として見ただけ」
「分かった分かった」
「絶対分かってない」

食卓に笑い声が広がった。

食事を終えると、美咲は自室へ戻った。英語、数学と、まず宿題を済ませていく。それから今日の試合の反省と、明日の試合についてのメモ。いつもの順番だった。

机の端には大会プログラムが置いてある。ふと手が止まった。少し迷ってから手に取り、虹ヶ丘高校のページを開く。

背番号 10   渡辺 秀  わたなべ ひで  1年

数秒見て、閉じる。

「……何してんだろ」

自分で呟いて、また勉強へ戻った。五分もしないうちに、もう一度開いた。

背番号 10   渡辺 秀  わたなべ ひで  1年

美咲は頬杖をつく。頭の中に、あのレイアップが浮かんだ。一歩、二歩、左手。身体はぶれず、ボールだけが静かにバックボードへ触れてリングの中へ落ちていく。それから、シュートを打ち終えた後の横顔。

美咲は、自分の頬が少し熱くなっていることに気づいた。両手で顔を押さえる。

「……いやいや」

誰もいない部屋で首を振る。

「プレーがきれいだっただけ」

コンコン、とドアが鳴った。

「お姉ちゃん」

美佳だった。美咲は慌てて大会プログラムを閉じる。別に隠す必要などない。それなのに、なぜか焦った。

「何?」
「お風呂空いたよ」
「分かった」

少し間があった。

「何してたの?」
「勉強と、今日と明日の試合のこと」
「ふーん」

ドアの隙間から美佳が机を見る。大会プログラムが置かれていた。

「……へえ」
「何」
「何でもない」
「その顔何」
「何でもないって」

美佳は笑いながらドアを閉めた。

その夜、美咲は布団に入ってからもなかなか眠れなかった。明日の試合のことを考える。リバウンド、ディフェンスの動き、ちかのゲームメイク、智子のシュートセレクション。いつもなら、それだけで終わる。

なのに、ふとした拍子に背番号10が出てくる。左手のレイアップ。力みのないジャンプシュート。渡辺秀という名前。

「……もう寝よ」

美咲は布団を頭までかぶった。

美咲にとって、これまで世界の中心にはいつもバスケットボールがあった。それ以外のことは、必要だと思ったことも、深く知りたいと思ったこともほとんどない。だから、その夜も自分の中に残った妙な引っかかりを、「レイアップがきれいだったから」、それだけで片づけた。

尾野美咲、17歳。高校三年の春だった。