後宮の【女千人】と呼ばないで!  〜最強の武装女官は、再会した幼馴染の近衛少将に溺愛される〜

 尚侍(ないしのかみ)のもとを辞した織葉(おりは)は後宮の外へ出た。右近衛府(うこんえふ)の方へ足が向く。
 鍛錬場から若い武官たちの掛け声が聞こえてきた。
 格子(こうし)の隙間から中を覗き見る。決して褒められた行いではない。
 中から男たちの汗の臭いが漂って来た。
 正直なところ、まことに臭(くさ)い。饐(す)えている。
 男も香(こう)を焚(た)いているはずだが、鍛錬の場では香も飛んでしまっているのだろうか。
 同じ世代の男たちに混じって直垂(ひたたれ)の袖(そで)を捲(まく)った颯登(はやと)の姿もあった。
 顔の大きさからは信じられないくらい腕の筋肉が凄い。括(くび)れた肘の上下が太く撓(しな)って光り、金色(こんじき)の汗を飛び散らせていた。
 そこに幼いころの颯登はいない。
 寸止めをする形稽古(かたげいこ)ではあるが、木太刀(きだち)が風を切る音まで聞こえてくる。特に颯登が揮(ふる)う木太刀の音は凄まじかった。切っ先(きっさき)がぴたりと止まった後も空気の震(ふる)えが伝わってくる。
 あの領域に達するまでの鍛錬を織葉は想像していた。
 体格はめぐまれていなかった。むしろ同年代の男子より劣っていたはずだ。腕力もなかった。
 七年間毎日毎晩血のにじむような努力をしたに違いない。そうでなければ傍系分家の身で異例の昇進はない。
 
 気配を消していたつもりだったが、織葉(おりは)に気づいた颯登(はやと)がこちらを向き、爽やかに笑った。
 稽古を中断して鍛錬場から出てきた。
「俺に会いに来てくれたのか?」
「は? たまたま通りかかっただけだし……」
 顔に日が当たり、滴(したた)る汗が蒸気して舞い上がるのが見えた。その姿を美しいと織葉は思ってしまった。
 斜陽の中、二人はひととき言葉を交わした。
 尚侍(ないしのかみ)への報告のことなども颯登に伝えた。
 二度あった件が、今後も続くかどうかはわからない。尚侍(ないしのかみ)は目に見えぬ首謀者に対する牽制を行うようだと織葉は颯登に伝えた。
「たしかに俺たちの手には余るよな。高位の方々で話し合っていただくしかないか」
「少将殿が何を言っているのよ」
 と言いつつ、その通りだと織葉は思った。
 簡単に解決するようなものではない。権力闘争は湯水のように湧いて来る。織葉たちは与えられた任務を全うするしかないのだ。
「俺が来たからには、織葉の負担も少しは減ると思うぞ」
「後宮内には入れないわよ」
「外にいても織葉を助ける」
「は? 颯登が私を? そういうのは私に勝ってから言いなさいよ」
「勝たなくても守れるさ。力じゃない。強い思いがあれば」
 私は護衛対象ではない。どこをどう勘違いしたらそういう発想になるのだ?——と思いつつ織葉は悪い気はしなかった。
 織葉は明朗に笑う颯登の顔を見上げていた。
 頬をなでる秋の風の音が心地よく響いた。

(了)