後宮の【女千人】と呼ばないで!  〜最強の武装女官は、再会した幼馴染の近衛少将に溺愛される〜

 蟇目(ひきめ)の儀。それは豊穣を祈願する神事である。天に向かって矢を射るのだ。
 その際に使われる特殊な矢のことを蟇目矢(ひきめや)といった。
 射られた矢は落ちてくる。落ちる場所によってはそこにいた者が傷つくことになる。従って矢の先端は殺傷力がないものにしなければならない。
 矢の先から金属製のものを取り除き、鏑(かぶら)という丸いものをとりつける。先が丸いために刺さる危険性は少ない。この鏑にいくつか穴をあけたものを鳴り鏑(なりかぶら)といい、飛ぶと、先端の穴に空気が流入し笛のような高い音を発する。この音が邪気を払うと言われる。
 鳴り鏑の中には蟇蛙(ひきがえる)の目のような形をしたものがあり、これを特に蟇目矢(ひきめや)といった。蟇目の儀で用いられる矢である。

 その場にいた者の視線が藤宮(ふじみや)本家の射手(いて)に注がれる。
 射手は広く開かれた前庭の中央に立つ。傍らの台に鏑(かぶら)がとりつけられた矢が何本か置かれていた。鏑の形、穴の数、穴の大きさによって蟇目矢が発する笛は異なる音を奏でる。
 一本目。射手が天を仰ぎ、天に向かって弓を引いた。
 矢が放たれる。ぴーーーっという音が発せられ、矢は天高く飛んだ。そして宙で反転して落下してきた。矢は射手のそばに落ちた。
 拍手喝采が起こる。
 二本目。今度の矢はぴゅうううううっという音を発した。矢はまたしても射手のそばに落ちた。
 自分の身近に落とすのも技術のうちだ。
 一本、一本異なる音を発するのも趣(おもむき)があって良い。音に対する好みは人それぞれだから拍手喝采の数も音も異なる。
 そして三本目。射手がわずかに首を傾(かし)げた。鏑(かぶら)のかたちはそれぞれ違う。今度はどのような音を発するのだろうか。
 注目の中、射手は三本目の矢を天へ向けて放った。
 きいいいいいん——
 甲高い音は天空でその音を消した。
 頂点で鏑(かぶら)がはじけ、微塵(みじん)の欠片(かけら)となって散っていった。
 矢が落ちてくる。その先端に鏑(かぶら)はなく、研(と)ぎ澄まされた鏃(やじり)を誰もが見た。
 それはあたかも無垢な衣を脱ぎ捨てた妖魔のようだった。
 矢は真下へ向かわなかった。落下しながら速度を増し、その行く先は藤壺(ふじつぼ)の御方(おんかた)らがいる場所へ向かった。

 織葉(おりは)は動かなかった。なぜなら矢の行き先が藤壺の御方その人ではなかったからだ。
 弧を描くようにして飛んできた鋭利な矢は織葉をめがけていた。
「織葉!!!」颯登(はやと)の声が聞こえる。
 すでに織葉は立ちあがり、刀に手をかけていた。
 胸に命中するまさにその寸前、織葉は抜刀し、矢を打ち落とした。尖った鏃(やじり)は織葉のそばの地に刺さった。

 ほどなく悲鳴があがり、場は混乱した。
 左近衛府(さこんえふ)の武官の一部が射手(いて)を取り囲んだ。帝や妃の前に立つ武官や武装女官も数多(あまた)いた。
 矢を射た藤宮本家の射手は茫然として、武官たちに拘束されていた。
 藤宮本家お抱えの射手が主(あるじ)たる藤宮家の妃——藤壺の女御の座所に向けて矢を放ったことになる。しかもその矢は細工がされていて、天空で丸い鏑(かぶら)が爆(は)ぜて牙を剝いたのだ。
 織葉は事態が収まるまで、ひたすら藤壺の女御のそばで目を光らせていた。
 静けさを取り戻すまでに猶予が必要だったが、それ以降何事も起こらなかった。