戦死したはずの旦那様が、三日後に双子の妹と結婚するようです

 ごろつきに筵(むしろ)を引きちぎられ、冷たい夜風が室内を通り抜ける。
 ひやりとした空気に撫子は腕をさすりながら立ち上がった。
 その際に僅かに腰を上げた咲耶に目で牽制するのを忘れない。
 なにやら言いたげではあったが、咲耶はため息をついて腰を下ろした。
 撫子はほっと胸を撫で下ろしてごろつきへと目を向ける。

「どこのどなたか存じ上げませんが、お引き取りください。私の大切な者を愚弄した家には、なにがあろうと帰りません。一歩でも敷居を跨げばただではすみませんよ」

 出入り口に結界を張る。
 撫子の異能は弱いがゆえに、薄く膜のように広げられ、よく見なければ異能が発動されていることにも気がつかないものだ。

「どうせハッタリだろ! つーかお嬢様に拒否権なんてねぇんだよ!」

 ごろつきが敷居を跨ごうとして勢いよく結界にぶつかる。
 固い壁に衝突したような音がして、ごろつきが地面に転がった。
 よほど勢いが良かったのか地面に伏したごろつきはぴくりとも動かない。

「はぁ。だから言いましたのに」

 様子を見ようと下駄を履こうとした撫子の背に声がかかる。

「みや嬢は出ない方がいい。俺が出よう」
「へ? いえ、軍人様のお手を煩わせるわけには……」
「外にも仲間がいるかもしれないだろ。ここに使える男がいるんだ。ちゃんと使え」

 ため息交じりに言った咲耶が軍靴を履き、出入り口から顔を覗かせた。
 軍人の登場に、滅多にない騒動に様子を窺っていた住民たちが一斉に部屋へと戻る音が室内に響く。
 咲耶はごろつきを長い脚で跨ぎ路地へと出て左右を見回した。

「仲間を置いてさっさと逃げたか。まぁいい」

 咲耶が小さく口笛を吹くと、影がごろつきを縛り上げた。
 そして、影が意思を持ってぴょこりと足を生やし、とことこと歩き出す。
 ごろつきの姿が見えなくなった頃、ようやく撫子は肩の力を抜くことができた。

「わざわざ異能を使わせてしまって、申し訳ありません」
「気にしなくていい」

 静かに首を横に振った咲耶が身をかがめて家の敷居を跨いだ。
 ごろつきの時とは違い、すんなりと通れた彼は僅かに眉を寄せた。

「……結界はもう張っていないのか」
「えぇ。私の結界は長時間持ちませんから」
「それでよく今まで襲われていなかったな」
「私の結界は、自分の身を包めば景色と同化することもできますから」
「ほぉ?」

 興味ありげに片眉を上げた咲耶が軍靴を脱いで部屋に上がる。
 またも上がり込まれてしまい、撫子は慌てて口を開く。

「あの、なので、気にすることなくお帰りいただいて大丈夫ですよ?」
「ごろつきの仲間が現れないとは言えないだろう。今夜はここに泊まる」
「えっ、あ、でも、布団が一つしか……」
「座ったままで寝られるからいい。みや嬢が使ってくれ」
「で、ですが……三日後には、あの子と結婚するんでしょう? こんな醜聞になりかねないこと……」
「ならこれは婦人警護だ」
「え、あの」
「報酬は先ほどの夕食だ。わかったな」
「ですから」
「わかったな」
「……わかりました」

 咲耶の押しに負けた撫子は項垂れるように頷いた。


 ◆


「んん……」

 格子窓から差し込む光が撫子の顔を照らす。
 撫子は眩しさに眉間にシワを寄せ、煎餅布団の中で身じろぎをした。
 もぞもぞと居心地の悪さに唸っていると、ふと撫子の顔に影がかかった。
 不意にできた日陰に安心して二度寝をしようとして、撫子ははたと動きを止める。

(私の家に光を遮るようなものなんてなかった、わよね……?)

 そろそろと目を開けると、撫子と朝日を遮るように大きな手が伸ばされていた。
 その手の持ち主が誰なのか、考えるまでもない。
 恐る恐る視線を上げれば、柔和に細められた金の双眸と目が合った。

「起きたか?」
「はい。おはようございます。咲耶様。寝ずの番、お疲れ様でございました」

 当たり前のように朝の挨拶を口にした撫子はふにゃりと気の抜けた笑みを浮かべる。
 目を丸くした咲耶に、撫子はまたやってしまったと固まった。
 昨夜同様何を知っているのかと問われるだろうと身構える。
 しかし咲耶は昨夜のように追求してこなかった。
 それどころか呆れたように小さく笑うだけだ。

「? あの……」
「ゆっくり休んでいろ」

 撫子が困惑のまま起き上がる。
 あくびを噛み殺した咲耶が上がり框(かまち)に腰を下ろした。
 撫子は慌てて布団から飛び出し、土間へと向かう。
 よくよく見てみれば、出入り口には少し歪な筵がかかっていた。
 撫子が寝入った後、咲耶がごろつきに引きちぎられてしまった筵を付け直してくれたに違いない。
 軍靴を履いた咲耶が振り返る。

「……もう出られるのですか?」
「あぁ」

 背中を向けた咲耶に、最期に見た姿が重なった。
 撫子の足下からぞわりと悪寒が這い上がってくる。
 あの日、もっと気をつけてと声をかけていればと何度後悔したか分からない。
 夢に見る度に行かないでと縋り付きたくなった光景だ。

「……みや嬢。これでは出勤できないんだが」
「え?」

 気まずそうに振り返られ、撫子は目を瞬かせる。
 だが、自身の手が咲耶の袖口を掴んでいることに気がつき、慌てて離した。

「も、申し訳ありません!」
「いや、いい。なにか気がかりでも?」
「……なんでもありません。お気を付けていってらっしゃいませ」
「あぁ、行ってくる」

 くしゃりと泣き出しそうな顔で笑った撫子に、咲耶は何も言わず背を向けた。
 彼はひらりと手を振って出ていく。
 咲耶の出ていった出入り口を撫子はしばらくぼうっと見つめていた。