戦死したはずの旦那様が、三日後に双子の妹と結婚するようです

「ここが、家、なのか……?」

 咲耶が玄関とは言いがたい出入り口に唖然と立ち尽くす。
 軒先に置いている繕い物二銭と書いた看板を見て咲耶はまた顔を青ざめさせている。
 そんな様子を横目で見ながら扉の代わりにぶら下げている筵(むしろ)をくぐり、撫子はあっけらかんと頷いた。

「はい。道中お話ししたとおり、私はもう、芹沢家の、華族の令嬢ではないのです。おわかりになりまして?」
「……理解はした、と言っておく」
「ご理解いただけたようでなによりです」

 撫子に続いて筵をくぐろうとした咲耶だったが、長屋の低い天井に頭をぶつけそうになったらしく、大きく身をかがめていた。
 小柄な撫子だけで生活していたから気がつかなかったが、土間も大層狭かったらしい。
 咲耶が立っているだけで土間のほとんどが隠れてしまっていた。
 撫子はちっぽけな室内に後ろめたさを感じながら、下駄を脱いで部屋に上がった。

「お節介な軍人様。ここまで送ってくださってありがとうございました」

 撫子は胸に手を当て一礼をするが、咲耶が帰る様子はなかった。
 よほど気になるのか、咲耶が三畳しかない室内をまじまじと見つめる。
 そして納得がいかないという目を撫子へと向けた。

「鍵もないような場所で女性が住むなど不用心にもほどがある」
「自身の身を包むのが精一杯ではありますが、結界の異能もありますのでご心配には及びません」

 撫子の返答に、咲耶はますます眉間にシワを寄せてしまう。
 少し考え込むように顎へ手を添えた彼を放って、土間の片隅にある流し台へと向かおうとしてはたと気がつく。
 普段七輪を置いている土間は咲耶が占領している、と。

「……帰るおつもりがないのならせめて上がってください。そんな狭いところに立たれていては食事の用意ができません」
「あ、あぁ。すまない」

 咲耶は軍靴を丁寧に並べてから部屋に上がった。
 使い古した座布団を咲耶に渡すと、彼は気にした様子もなくそれに座る。
 その様子をまじまじと見てしまっていたのか、咲耶が少し眉を下げた。

「軍では野営もするからな。気にしないでいい」
「っ、それならいいのですけれど」

 撫子は動揺を隠すように土間へと降り、流し台においていた手鍋へ、やかんに残っていたお茶を注ぐ。
 手鍋には朝炊いた残りの麦飯が入っており、夜は基本お茶漬けで食事を済ませることがほとんどだ。
 土間に置きっぱなしの七輪に木くずをくべ、燐寸(マッチ)で火を付けてからうちわでしばらくパタパタと風を送ると、ちりちりと火と煙が立ちこめる。
 手鍋を火にかける様子を見た咲耶が首を傾げているのを、調理に気を取られていた撫子は気がつかなかった。
 芳ばしいお茶の香りが室内に広がる。
 撫子が小さく息を吐いたと同時に、背後からくぅっと腹の虫が聞こえてきた。
 振り返ると、少し頬を染めた咲耶が口元を手で覆っていた。
 撫子は思わず肩を震わせる。

「ふっ」
「っ笑うなら堪えずに笑ってくれ」
「ふふふっ。今朝の残り物しかありませんが、お召し上がりになります?」
「……いや、いい」
「腹の虫が鳴っていたのに?」

 くすくすと笑いながら二つの茶碗にお茶漬けをよそう。

「聞かなかったことにしてくれ」
「駄目です。お食事をおろそかにされるのはお体に良くありません」

 咲耶がぽかんと目を丸くしているのをいいことに、撫子は彼の前に茶碗と箸を置いた。
 撫子も彼の向かい側に座り、真っ直ぐに金色の瞳を見つめる。

「少しでもいいので召し上がってください。対あやかし部隊とはいっても体が資本なのをお忘れなきよう毎度申しあげ……あ」

 つい夫婦だった頃の調子で話してしまい、撫子はぎくりと固まった。
 切れ長の目をぱちくりとさせている咲耶も撫子の小言に違和感がなかったのか、少し居心地が悪そうだ。
 撫子は気を紛らわすように、箸で麦飯を崩して口へかき込む。

(絶対怪しまれたわ……!)

 お茶漬けを啜りながらちらりと咲耶の様子を窺う。
 彼は観念したように箸を手に取ってお茶漬けを口にしたところだった。
 咲耶の意外な行動に目を瞬かせているとぱちりと視線が合ってしまい、撫子は反射的に顔を逸らした。
 微笑まれたわけでもないのに、頬が熱い。
 沈黙が室内を包む。
 心地の良い静寂の中で少し渋めのお茶漬けを食した後、撫子は咲耶へと目を向けた。

「お待たせして申し訳ありません」
「気にしないでくれ。勝手に居座ったのはこっちだ。……それで芹沢嬢」
「芹沢嬢はやめてください。……そうですね、私のことはみや、と」
「みや?」
「はい」

 咲耶の家名の一部であるみやを名乗った撫子に、咲耶は眉を顰める。
 しかしそれ以上の追求はしてこなかった。

「わかった。それでみや嬢。貴女は俺のことをよく知っているな?」
「……なぜそう思われるのですか?」
「先ほどのやり取りと、貴女の目だ」
「目?」

 撫子は目元に手をあて、首を傾げる。
 きょとんと不思議そうな顔をする撫子に、咲耶は小さく口角をつり上げた。
 その強気な笑みは撫子が一度も見たことのない表情だった。

「そうだ。だから俺の何を知っているのか、貴女は俺にとってなんなのか、答えてもらおう」
「そ、れは……」

 咲耶から向けられたことのない獲物を見つけたような目に、撫子は着物の上から認識票を握った。

(今が名乗り出る最後の機会かもしれない)

 けれど、瓜二つの自分たちのどちらが撫子なのか、何をもって証明すればいいのだろう。
 認識票を取り出したところで、百合は撫子が奪ったのだと言い張るに違いない。

(それに、もし咲耶様に信じていただけなかったら……)

 咲耶にだけは、偽りを告げるような人間だと思われたくなかった。
 撫子は迷いを帯びた瞳を咲耶に向け、生唾を飲み込んだ。
 探るような金色の瞳を向ける男が、自身のよく知る咲耶とどこか乖離しているような気がしてならない。

(こんな目をする咲耶様、私は知らないわ)

 たった二年、妻でなくなっただけでこうも変わってしまうものなのか、撫子には分からなかった。
 嘘は許さないと言わんばかりの視線が居心地の悪さを醸し出している。
 記憶の中の甘い視線との乖離に胸の奥底が軋んだ。

(いっそ知らない人のままでいてくだされば、こんな気持ちにならずにいられたのに。……いえ、咲耶様だって好きで記憶をなくしたわけではないのよ)

 撫子が黙り込むと、小さな格子窓がガタガタと風に揺られる音がやけに大きく聞こえた。
 立て付けが悪く僅かな風でもよく軋んでいたが、今日はいやに耳につく。

(お父様や百合のことだから、戦死は誤りだと戸籍が訂正されてすぐにもう一度婚姻をと申し出たんでしょうね。でも用心深い咲耶様は婚約期間を設けた、というところかしら……?)

 脳内で組み立てた仮説を口にしようとした瞬間、路地から荒々しい怒鳴り声が響いた。

「おい、いるんだろう! でてこい! お父上が首を長くしてお待ちかねだってよ!」