戦死したはずの旦那様が、三日後に双子の妹と結婚するようです

 地面にへたり込んだままの撫子に、節くれ立った手が差し出された。
 咲耶の手を取ってもいいものかと撫子は視線を彷徨わせる。
 煮え切らない撫子に怪訝な顔をした彼は強引に手を握った。そして目を見開いた撫子を腕の力だけで立ち上がらせる。

「あやかしに立ち向かうなど、無謀なことをする」
「あ……」

 撫子を見下ろす咲耶の聞き覚えのある言葉と呆れたような表情は、彼と初めて会った時と同じだった。
 一つ気がついてしまえば、気遣わしげに撫子を見る眉毛の角度だったり、手を握る強さだったりが目についてしまう。
 それは全て記憶の中の咲耶と同じ仕草で、ぎゅうっと胸が締め付けられる。
 ただ、撫子を見る瞳の熱だけが違う。

(本当に咲耶様はなにも覚えていらっしゃらないのね。私たちが夫婦だったことも、なにも……)

 撫子は握られたままだった手を引っ込め、着物の上から認識票を握りしめた。
 目の奥が痛いのも、鼻がつんとしてしまうのも、全部、なかったことにしてしまいたい。

「助けてくださって、ありがとうございます」

 なんとか絞り出した言葉は当たり障りのないお礼の言葉だった。
 しかし声はみっともなく震えてしまう。
 咲耶は顔も見ずに視線を下げた撫子に首を傾げていたが、彼女の足を視界に入れて眉を下げた。

「いえ。なにやら嫌な気配がしたので追いかけてきたのですが、申し訳ありません。私がもう少し早く到着していれば、貴女に怪我を負わせることもなかったでしょうに……」
「……え?」

 よくよく見ると、裂けた着物の裾から覗く撫子の左足が確かにぱっくりと裂けていた。
 どうやらあやかしの爪が掠めていたらしい。

「痛っ~!」

 怪我を自覚した途端、激痛が走った。
 撫子は思わずうずくまり、手のひらで傷口を押さえる。
 ぬるりとした血が手と足の境目をなくしていく。
 撫子は見た目以上に酷い怪我へ向け、ほんの僅かしかない異能を精一杯発動させた。

「芹沢嬢、いけません。すぐに清潔な布で……は? 失礼」
「え、あ、きゃっ!?」

 いきなりしゃがみ込んだ咲耶が、撫子の手をどける。
 撫子の手は確かに血濡れだが、左足には傷口どころか傷跡すら残っていなかった。

「……傷を治したのか?」

 先ほどまでの軍人らしい口調ではなく、男性らしい口調で問われる。

「? はい。明日の仕事に差し支えますので」
「……そうか。だが血を失ったことに変わりはない。俺が家まで送っていこう」
「へ? いえ、お気遣いは結構です。私一人で帰れます!」

 撫子はがばりと立ち上がって逃げようとしたが、咲耶に手を掴まれ阻止されてしまった。

「っ、離してください! 私はもう芹沢の者ではありませんので、咲耶様に気遣っていただくような人間ではないのです」
「それだ」
「?」
「俺が口調を変えてもあなたは驚かないどころか、俺の名前を当たり前のように口にする」
「っ!」

 軍人や公爵家の次期当主としての口調。そして、素の口調。
 それらが違うと知っているのは、身内だけだ。
 三日後に結婚をすると言っていた百合に対しても丁寧な口調を崩していなかったことを今更思い出し、撫子の背に冷や汗が伝った。

「なぜだか聞いても?」

 嘘は許さないと言わんばかりに見つめられ、撫子はごくりと息を呑む。

「なにやら事情があるのは分かっているつもりだ。だが、今あなたを手放してはならないと直感している」
「……三日後にはあの子と結婚するんでしょう? こんな不貞と呼ばれかねない真似、おやめください」

 撫子が呟くと、手首を握る手に力がこもった。

「……俺が望んだわけではないんだが……そうだな。ならせめて家までは送らせてくれないか。もう夜も遅い。またあやかしに襲われないためにも」
「お勤めがあるのではないですか」
「非番だ」
「……はぁ。わかりました。ではよろしくお願いします」

 撫子は肩を落として渋々と頭を下げた。
 ようやく咲耶の手が離され、彼が隣に並ぶ。
 撫子が足を進めると、歩幅を合わせるように咲耶も着いてくる。
 その気遣いが蓋をしようとしていた記憶を揺すぶった。