ばしゃりと飲みかけのお茶をかけられ、撫子は俯いた。
この後に襲いくる怒号に備え、ぎゅっと生地の薄い着物の袖を握りしめる。
「撫子! もう一度言ってみろ! 出戻った娘のために父親がせっかく次の縁談を見つけてきてやったっていうのに、なにが不満だ!」
「っ、で、ですから、まだ咲耶様の喪が明け切っていないと申しました。それなのに縁談だなんてっ、痛っ」
ずかずかと近づいてきた父が撫子の胸ぐらを掴み、縁側の下へと突き飛ばした。
咄嗟に受け身をとった撫子だったが、完全に受けきれず手のひらや肘を擦りむいてしまう。
砂利にまみれた撫子を父が血走った目で見下ろす。
「お前は俺の言うことだけ聞いていればいいんだ。わかったな」
「っ、熱っ」
撫子が奥歯を噛み締めた瞬間、ぼわっと着物の裾が燃え上がる。
ひっと恐怖が撫子の口からこぼれ出たが、炎は裾を焼き切る前に鎮火した。
くすくすと笑い声が近づいてきて、足音が撫子の前で止まった。
「あらぁ、お姉様。ごめんなさぁい。異能をぶつけるつもりはなかったのよ。でもぉ、お父様の声に驚いちゃったみたい」
「ゆ、百合……」
縁側を歩いてきたのは撫子の双子の妹、芹沢百合だ。
お互いに瓜二つの顔立ちで、髪色や髪の長さ、瞳の色、背丈すら全く同じで、鏡映しにしたようだとよく言われていた。
同じ服装であればどちらが撫子で、どちらが百合か区別がつかないほどだ。
ただ二人は服装の趣味が違うため、着物の柄で見分けをつけられる。
今日も百合は大柄な紋様の着物に身を包み、流行のレースのリボンを付けてにこにこと撫子を見下ろしていた。
「お姉様が朝からお父様を怒らせているのが悪いのよ?」
「百合。せっかく縁談がまとまるかもしれないんだ。火傷の跡が残らないようにしなさい」
「大丈夫よ、お父様。私ちゃんと異能を使えるのよ? 手加減だってできるわ」
「あぁ、異能なしの撫子と違ってお前は優秀だからな」
蔑むような視線が撫子へ向く。
華族の子どもは物心つく前に異能判定を受ける決まりだ。
百合が異能持ちだと判定された横で、撫子は何も才がないと告げられていた。しかし、撫子が異能に目覚めたのはその数年後だ。
その頃には家は百合を中心に回り、撫子は異能なしと蔑まれていた。
当然、異能が使えるようになったと口にできる環境ではない。
むしろ今さら力があると知られて、手のひらを返されるのが怖かったとも言える。
だからこそ、撫子は家でどれだけ痛めつけられようが治癒や結界の異能を使わなかった。
「今月も好きな物を買えばいい。ご褒美だ」
「やったぁ! お父様大好き!」
百合が父に抱きつき笑う。
撫子が口を噤んでいると、百合の目尻が嫌らしく歪んだ。
「お姉様ってば、私を差し置いて鷹宮公爵に嫁いだのに、なぁんにも変わっていないのねぇ」
「私は」
「はぁ、でも鷹宮様がこんなに早く亡くなってしまうなんて、最年少で少佐になんてなるものじゃないわね。あーあ、あれだけ顔いい男、他にいないのにもったいない」
咲耶を侮辱するような言葉に、撫子は庭から彼女を見上げ、眉を釣り上げる。
「咲耶様は軍人として責務を全うされたのです。それに私は、お父様に咲耶様の喪が明けるまでは待ってほしいとお願いしているだけで」
「あら、二年も生活を共にしておいて子どももできなかったお姉様がお願い? そんなことできるわけないじゃない」
「百合の言うとおりだ。石女と噂が出回る前になんとしても縁談をまとめなければならない」
「だそうよ。あーよかった。お姉様が帰ってきてくれたお陰で私が嫁がなくてすんで」
「わかったら早く支度をしてこい。明日には伯爵家に紹介せねばならんのでな」
「あら、もうお取り次ぎが終わったの?」
「いいや、伯爵も我らが訪れれば邪険にはしまい」
にたにたと笑う父はすでに撫子から興味が逸れたようで、百合とともに部屋へと入っていった。
撫子は唇を噛み締め、血が滲む肘や手のひらを庇いながら立ち上がる。
これ以上父の不興を買い、手を上げられてはたまらない。
撫子は自身の部屋というにはお粗末な物置へと足を進めた。
通りがかった使用人たちも見て見ぬ振りをするどころか、くすくすと笑って通り過ぎていく。
(……うちの使用人って品がなかったのね)
不当な扱いだとも気がつかず、不出来な娘に与えられて当たり前の仕打ちだと思っていた。
だからこそ、この屋敷の北側にある物置だけが、芹沢家で唯一の居場所だった。
物置の扉をがらりと開ける。
目に飛び込んできたのは、鷹宮家から持ち帰ったトランクだ。
開けた覚えのないはずのそれは見事に荒らされ、中身が飛び出ていた。
撫子は大きくため息をつく。
(百合の仕業ね。よかった、咲耶様にもらった物はすべて屋敷に置いてきて)
芹沢家に持って帰ってきたら全て百合に奪われると分かっていたからこそ、服飾品などは持って帰らなかった。
一つだけ持って帰ったものはあるが、絶対に百合が欲しがらない物だけにした。
着物の下からそっとそれを取り出す。
ちゃりっと音を立てたのは、咲耶の認識票だ。
祈るようにぎゅっとそれを握りしめ、撫子は呟く。
「咲耶様以外と結婚なんて……嫌。絶対に嫌」
すうっと大きく息を吸った撫子が瞳に決意を込めて顔を上げた。
床に散乱したトランクの中身を詰め直す。
撫子は満足げに頷くと、トランクを手に取った。
この後に襲いくる怒号に備え、ぎゅっと生地の薄い着物の袖を握りしめる。
「撫子! もう一度言ってみろ! 出戻った娘のために父親がせっかく次の縁談を見つけてきてやったっていうのに、なにが不満だ!」
「っ、で、ですから、まだ咲耶様の喪が明け切っていないと申しました。それなのに縁談だなんてっ、痛っ」
ずかずかと近づいてきた父が撫子の胸ぐらを掴み、縁側の下へと突き飛ばした。
咄嗟に受け身をとった撫子だったが、完全に受けきれず手のひらや肘を擦りむいてしまう。
砂利にまみれた撫子を父が血走った目で見下ろす。
「お前は俺の言うことだけ聞いていればいいんだ。わかったな」
「っ、熱っ」
撫子が奥歯を噛み締めた瞬間、ぼわっと着物の裾が燃え上がる。
ひっと恐怖が撫子の口からこぼれ出たが、炎は裾を焼き切る前に鎮火した。
くすくすと笑い声が近づいてきて、足音が撫子の前で止まった。
「あらぁ、お姉様。ごめんなさぁい。異能をぶつけるつもりはなかったのよ。でもぉ、お父様の声に驚いちゃったみたい」
「ゆ、百合……」
縁側を歩いてきたのは撫子の双子の妹、芹沢百合だ。
お互いに瓜二つの顔立ちで、髪色や髪の長さ、瞳の色、背丈すら全く同じで、鏡映しにしたようだとよく言われていた。
同じ服装であればどちらが撫子で、どちらが百合か区別がつかないほどだ。
ただ二人は服装の趣味が違うため、着物の柄で見分けをつけられる。
今日も百合は大柄な紋様の着物に身を包み、流行のレースのリボンを付けてにこにこと撫子を見下ろしていた。
「お姉様が朝からお父様を怒らせているのが悪いのよ?」
「百合。せっかく縁談がまとまるかもしれないんだ。火傷の跡が残らないようにしなさい」
「大丈夫よ、お父様。私ちゃんと異能を使えるのよ? 手加減だってできるわ」
「あぁ、異能なしの撫子と違ってお前は優秀だからな」
蔑むような視線が撫子へ向く。
華族の子どもは物心つく前に異能判定を受ける決まりだ。
百合が異能持ちだと判定された横で、撫子は何も才がないと告げられていた。しかし、撫子が異能に目覚めたのはその数年後だ。
その頃には家は百合を中心に回り、撫子は異能なしと蔑まれていた。
当然、異能が使えるようになったと口にできる環境ではない。
むしろ今さら力があると知られて、手のひらを返されるのが怖かったとも言える。
だからこそ、撫子は家でどれだけ痛めつけられようが治癒や結界の異能を使わなかった。
「今月も好きな物を買えばいい。ご褒美だ」
「やったぁ! お父様大好き!」
百合が父に抱きつき笑う。
撫子が口を噤んでいると、百合の目尻が嫌らしく歪んだ。
「お姉様ってば、私を差し置いて鷹宮公爵に嫁いだのに、なぁんにも変わっていないのねぇ」
「私は」
「はぁ、でも鷹宮様がこんなに早く亡くなってしまうなんて、最年少で少佐になんてなるものじゃないわね。あーあ、あれだけ顔いい男、他にいないのにもったいない」
咲耶を侮辱するような言葉に、撫子は庭から彼女を見上げ、眉を釣り上げる。
「咲耶様は軍人として責務を全うされたのです。それに私は、お父様に咲耶様の喪が明けるまでは待ってほしいとお願いしているだけで」
「あら、二年も生活を共にしておいて子どももできなかったお姉様がお願い? そんなことできるわけないじゃない」
「百合の言うとおりだ。石女と噂が出回る前になんとしても縁談をまとめなければならない」
「だそうよ。あーよかった。お姉様が帰ってきてくれたお陰で私が嫁がなくてすんで」
「わかったら早く支度をしてこい。明日には伯爵家に紹介せねばならんのでな」
「あら、もうお取り次ぎが終わったの?」
「いいや、伯爵も我らが訪れれば邪険にはしまい」
にたにたと笑う父はすでに撫子から興味が逸れたようで、百合とともに部屋へと入っていった。
撫子は唇を噛み締め、血が滲む肘や手のひらを庇いながら立ち上がる。
これ以上父の不興を買い、手を上げられてはたまらない。
撫子は自身の部屋というにはお粗末な物置へと足を進めた。
通りがかった使用人たちも見て見ぬ振りをするどころか、くすくすと笑って通り過ぎていく。
(……うちの使用人って品がなかったのね)
不当な扱いだとも気がつかず、不出来な娘に与えられて当たり前の仕打ちだと思っていた。
だからこそ、この屋敷の北側にある物置だけが、芹沢家で唯一の居場所だった。
物置の扉をがらりと開ける。
目に飛び込んできたのは、鷹宮家から持ち帰ったトランクだ。
開けた覚えのないはずのそれは見事に荒らされ、中身が飛び出ていた。
撫子は大きくため息をつく。
(百合の仕業ね。よかった、咲耶様にもらった物はすべて屋敷に置いてきて)
芹沢家に持って帰ってきたら全て百合に奪われると分かっていたからこそ、服飾品などは持って帰らなかった。
一つだけ持って帰ったものはあるが、絶対に百合が欲しがらない物だけにした。
着物の下からそっとそれを取り出す。
ちゃりっと音を立てたのは、咲耶の認識票だ。
祈るようにぎゅっとそれを握りしめ、撫子は呟く。
「咲耶様以外と結婚なんて……嫌。絶対に嫌」
すうっと大きく息を吸った撫子が瞳に決意を込めて顔を上げた。
床に散乱したトランクの中身を詰め直す。
撫子は満足げに頷くと、トランクを手に取った。



