本棚の周りをただ歩く。
いつもはどの本の背表紙も魅力的に見えるのに、今日はただの文字列にしか見えない。司書さんたちがつくったポップやポスターにも目がいかない。
――どうしよう。
こっちは朔になにも言っていない。だから朔はなにも知らない。
話したほうがいいのだろうか。そのほうがなにかが変わりそうではあるけど、でも……。
不意に、宙に浮いていた視線が止まった。特徴的なフォントの文字と、薄い青灰色と白の背表紙。
――そういえば、これ。
この前、朔に読まされたんだっけ……。
*
お互いに本を薦め合ったり、結末を予想し合ったりして、伊織も朔の好みがかなりわかってきた頃。朔が今までと同じように、一冊の本を薦めてくれた。
『透明な春の終わり』
「これ、絶対好きだと思う」
「ほんと?」
そう言いながらもためらいなく受け取った。最初の一冊こそとてつもないバッドエンドだったが、朔が薦める本はどれも面白い。伊織は朔のおすすめを信用していた。
読んでみる。するするとページが進む。そして面白い。
「朔、これ好きかも」
今まで読んできた多くのハッピーエンドの設定と同じで、主人公である千尋は家族と仲が悪く、学校でも孤立していた。そんな主人公は、転校した先で久遠と仲良くなる。
千尋には久遠のほかにも友人ができ、だんだん家族との関係も改善していく。二人はお互いにとって大切な存在になる。
「そっか。それはなにより」
「朔、すごすぎ」
読んでいてとても楽しかった。
だが、最後は暗い表情で本を閉じた。
「……朔」
「なに?」
「これ、バッドエンドじゃん」
途中まではよかった。ハッピーだったし、いい感じだったというのに。
あのあと、久遠の家庭に問題が起きて、久遠は進学を諦めようとする。千尋は解決策を探して久遠の未来を守ろうとするが、久遠は千尋に事情を背負わせたくなくて、手を取ることができない。
話し合っても同じ答えにはたどり着けず、やがて久遠は千尋のもとを去った。久遠は自分の人生を使って家族のために行動する。
一方、千尋は進学して友人にも恵まれ、幸せになる。こうして二人は別々の人生を歩み始めた。
「そうだよ」
平然と答える朔をにらむ。
「俺がバッドエンド好きじゃないって知ってるよね」
「知ってる」
「じゃあなんで」
「どこまでなら好きか気になって」
すぐには言葉の意味が分からなかったが、今までの会話を思い返している中で察した。
――この前の会話のせいか。
「『一人だけが幸せになったらハッピーエンド』って言ってたから。ちょっとした好奇心」
「にしてもだって!」
千尋は人生で一番大切な人を失ったけど、自分の人生そのものは手に入れた。
久遠は大切な人を失ったうえに、自分の人生まで手放していく。
「まあ、視点によるけどさ。千尋は幸せなのかもしれないけどさ。総合的に見て、俺にとってはバッドエンドだよこれは」
「……嫌だったんだったら、謝るけど」
「…………面白かった。から、許す」
*
伊織は、朔にいたずらで薦められた本を手に取った。そのまま持って席に戻る。
朔は自分がわざわざバッドエンドを読んでいることに気付くかもしれない。なにか言ってくるかもしれない。
でも、なんとなく読みたくなったのだ。
伊織は朔に読まされた本を、今度は自分から開いた。



