「ねえ朔、それ面白い? この前読んでたやつは読み終わったんだっけ?」
伊織は章の区切りで朔の本の表紙を覗いた。
『さよならを言うには遅すぎた』
黒の明朝体でタイトルが書いてある。夕暮れの道を歩いている二人が表紙に描かれていることから、青春小説といったところか。二人いるから影も二つあるはずなのに一つしかないこと、それから一人だけこちらを向いていること、それらがとても気になる。
「読み終わってる。これ、面白いよ。不思議な感じだけど、リアリティがあって。伏線回収とかきれいだし」
「そうなんだ。俺も見たいな」
伊織が言うと、朔は読んでいるにも関わらず、本を渡してくれた。
表紙をじっくりと見てから、本を裏返す。裏表紙にはあらすじが書かれていて、伊織はそれを読んだ。
「……面白そう。不思議な感じって言ってるの、なんとなく分かる」
後悔からなにかアクションを起こす話なのかな、と伊織は予想する。あらすじを読んだ感じだと、『さよなら』は言えなかったのだろう。そのあと主人公はどうしたのか。すごく気になる。
「朔、この話って最後、どうなるの? いい感じに終わる?」
「あー……バッドエンド、かな」
朔の答えを聞いた途端、心の中にあった期待や楽しみがしぼんでいくのが分かった。
バッドエンド。
その単語だけで、あのざらざらがよみがえってくる。
「……そっか。じゃあ俺はいいや」
朔の瞬きが止まった。瞳が伊織を捉える。
「嫌い? バッドエンド、好きじゃない?」
「好きじゃないかな。だって、毎日生きてたらうまくいくこともあるけど、そうじゃないこともあるわけじゃん?」
「そうだね」
「だったら、物語くらいは幸せになってほしいよね。なんていうか、現実ではうまくいかないからこそ、みたいな」
「……分からなくもないけど」
「でしょ。それにさ、嫌なことがあった日にバッドエンド読むとか、最悪っていうか……気分下がらない?」
「へえ。……そういう考え」
朔は頷いた。自分の中で伊織が話したことを咀嚼するように、ゆっくり話す。
「現実では起こらないことが起こるから、ハッピーエンドが好きで、バッドエンドは嫌い?」
「嫌いっていうか……うん、……嫌い、かも」
『嫌い』という強い言葉を使うことに悩んだが、最終的には肯定した。
――逆にバッドエンド読んでるってことは、朔はそういうのが好きなのかな。
再び本を開こうとした朔を見て、伊織は慌てて質問した。
「朔は? バッドエンドが好きなの? よく読む?」
本を開きかけたまま、朔は天井を見上げる。
「……ハッピーエンドよりはよく読むかな。どっちかっていうとバッドエンドのほうが読むし、好き」
「なんで?」
今度は伊織が首をかしげる。朔は『伊織と同じ』と言った。
「伊織と同じで、現実では都合がよく終わることなんてないから」
「ほんとだ。同じ」
「ん。現実がそうなんだから、物語がハッピーエンドだと虚しい」
「そんなことなくない? だって物語だよ?」
朔は問いかけた伊織に視線を下ろす。
「だからこそ、夢を見せられても」
「えー……前提は俺と同じなのに」
ここまでずれているとは思っていなかった。しかも、正反対すぎる。
伊織は姿勢を直して、さらに質問した。
「じゃあ、朔の思う『夢を見せない小説』って、どういう話?」
「……極端に言うなら、最後に誰かが死ぬ話とか」
「え、」
朔がさらっと放った一言に、伊織は耳を疑った。
「それは極端な中でも極端な例だよね?」
「まあ。よくあるのだと、夢が叶わないとか、仲直りできないとか」
「……えぇ」
「ミステリーだったら犯人が逃げるのも好き。……要するに、誰かがなにか失う話」
「…………そう、なんだ」
伊織は表情を硬くして、つぶやく。朔は大真面目で、ふざけている素振りは一切ない。
「……変なこと聞いていい?」
「どうぞ」
「朔ってさ、……闇抱えてたりする?」
「抱えてないはずだけど、どうだろ」
朔は栞を挟んでいたページを開いた。伊織は自分の手元にある本を見つめる。
――そういう読み方、するんだ。
一緒に本を読むようになって、初めて知った。ただ隣に座っているだけでは分からないことはたくさんあるらしい。
ぱらぱらとページをめくって、さっきまで読んでいたページを探す。その作業の途中で、
――……あ。
伊織はとあることを思いついて、立ち上がった。



