こんなの間違っているとは思っているのにも関わらず、私と千隼の生活はつつがなく毎日続いていった。
私は結局、婚姻届にも輸血同意書にもサインはしなかった。そんな私を千隼は咎めることもなく、「いつか納得してくだされば嬉しいです」と私の決定を先回りするようなことを言っていた。
千隼は私を手元に置けたことで、一旦は満足したらしい。
千隼にとっての急務は「私を冷遇する実家から助け出すこと」だったのだと、さらりと言っていた。(輸血は出来たら今すぐ行いたいので、早くそちらには同意してくれという話は匂わされたが。)
逆に私を実家から連れ出すまでに、減衰を治せる可能性がある方法を見つけ出せるまでに、こんなにも時間がかかってしまったことを謝られた。そんなの、千隼が罪悪感を感じる必要はないのに。
むしろ、私の方がずっと、申し訳ない気持ちがあった。
呪術庁を出たあと、実家で一層ひどく冷遇される毎日をずっと過ごしていたせいだろうか。大事に扱われれば扱われるほどに居心地を悪く感じる。
千隼が私のことを大切にしてくれているのは知っていたが、まさか四年間離れていても、それが全く色褪せないどころか、前よりも更に露骨な態度で示されるようになるなんて。
私は一体、これからどうすれば……。
「夏鈴先生、ここまでは解けました~!」
「私も、私も!」
いけない、仕事中なのについぼ〜っとしてしまっていた。
「分かった。二人とも、順番に見るね」
「はーい!」
教え子たちの無邪気な可愛さに思わず笑みがこぼれてしまう。
私は千隼から紹介された、小学校で開かれている、呪術を子どもに教える特別講習の講師の仕事をしていた。
ちなみにこれも呪術庁の管理している仕事の一つだ。なんでも今の千隼は呪術庁の人事に深く関わる立場らしい。
「夏鈴様は高度な呪術師としての技量を活かせる仕事よりも、こういった仕事にやりがいを感じられるのかも、とあのあと思ったのです」というのは千隼の弁だ。
千隼は有能な呪術師として期待され、能力を敏腕にふるうような仕事は私の性格ではこなせないと、過去の一件から学んだらしい。そのことに複雑な気持ちはあるが、全て身から出た錆だし、期待されたくないのは事実なので仕方ない。
もちろん、今の仕事も未来の有望な呪術師を育成するという重要な仕事だ。この講習は小学校で行われる呪力調査で高い基準値に達した子どもが対象で、今回は二人しかいない。
余計な考え事をしている場合ではない。真摯に子どもたちに向き合わなくては。
「今日はね、スーパー講師支援員のいっくんが来てくれるんだよ~!」
なんでもこの呪術庁の行う特別講習には、フリーランスの呪術師も呼ばれているらしい。
私は基本的に決まった地区の小学校の授業を受け持っているが、フリーランスの呪術師は授業のピンチヒッター要員として色んな小学校を渡り歩いているとのことだった。
「いっくん?」
「夏鈴先生と違って、すっごくお口が悪いの!」
「そんな人と上手くやれるかなぁ」
そんな風に私が思わず、子どもたちの前で口にすべきでない不安をぽろりと言ってしまったとき。
「はっ、相変わらずだな、村谷。俺もお前と上手くやる気は毛頭ねえよ」
教室に響き渡ったのは、久しぶりなのに一発で誰なのか分かる、特徴的すぎる傲慢不遜な声だった。
「……井坂くん……っ!?」
私の驚きと少しの懐かしさのこもった呼びかけに、井坂くんは「おう」と四年前に会った時となんら変わらないふてぶてしさで応えた。
「井坂くんとこうして一緒にお茶するのは初めてだね」
「俺は次の移動までに時間があるからお前で暇つぶししてるだけだっつーの。別に四年ぶりの再会だろうが、なんの感慨もないね」
「あはは」
そう言いつつも、私以上にケチな井坂くんがコーヒー1杯で500円以上するカフェチェーンに付き合ってくれるのだから、今回はだいぶ気が向いてくれているらしい。
私は注文したカフェモカをちびちびとすすりつつも、今回の授業で使った資料のファイリングをしていた。
「おい村谷、こんな誰にでも見られる可能性がある場所でそういう書類は出すな。家に帰ってからにしろ」
「別に個人情報とかは書いてないよ?」
「それでもだ。お前のせいで情報流出でもあったら、俺の信用にまでヒビが入るだろ。フリーランスは信頼と信用が仕事の要なんだよ」
「ううっ、井坂くんにこういう真っ当な指摘を受ける日が来るなんて……! 成長したね!」
私の下手くそな泣き真似に「うるせぇ、俺の母親面するんじゃねぇよ」と井坂くんは容赦ないチョップを入れる。確かに今のは私の方がウザかったかもしれない。
私は先ほどまでのわざとらしい態度を引っ込め、授業の資料もしまい、井坂くんへと向き直った。
「で、井坂くんはいつ、呪術庁を追い出されたの?」
「追い出されたこと前提かよ。俺が自分から出ていった可能性とかもあるだろ」
「あれだけ呪術庁のAランク呪術師であることにしがみついていた井坂くんが?」
「お前切れ味良すぎだろ、一周回って感心するわ」
「まあ追い出されたのはその通りだけどな」と井坂くんは大して意に介していない様子でメニューの中で一番安いアメリカンコーヒーをすする。
私は自分で言っておきながら、少しだけ驚いてしまう。井坂くんは口も性格も悪いが、間違いなく有能な呪術師だ。そもそも、呪術庁はよっぽどのことがないと解雇されることもないのに。
……四年前に部署ごと摘発された佐倉さんも確か、少なくともあの時点では解雇されていなかったし。
「第一採用課の課長になった藤森の野郎が二年前、透明性のある組織運用がどうとか言って、汚職に手を染めていた呪術師を一斉解雇したんだよ」
「井坂くんって汚職なんてしてたの!?」
「してねぇよ! せいぜい普通より稼げる仕事を普通じゃないルートで回してもらってたぐらいだって」
「井坂くん、知ってる? 世間ではそういうのを汚職って言うんだよ」
「違う! 俺は解雇されるレベルのことはしてない! その証拠に俺と同じような仕事を受注していた人間でまだ呪術庁にいる人間はいるんだ、俺は被害者なんだよ!」
私が白けたような目線で井坂くんを見ても、井坂くんは止まらない。
しかし、店内のお客さんが騒ぎ立てる井坂くんをちらちら見ていることに気づいたのか、井坂くんはすん……と黙って、アメリカンコーヒーのカップをちびちびと傾けた。どうも世間からの圧には弱いらしい。
「お前のせいだからな、村谷」
そういって井坂くんは恨みがましい目で私のことを見つめた。
しかし、本気で心当たりがない。
「なんで私?」
「俺がお前に対してずっと強く当たっていたせいで、藤森の怒りを買ったんだ。酷いとばっちりだよ、全くな」
「もしそれが本当なら千隼はやりすぎだとは思うけど、やっぱり井坂くんの場合は自業自得な気がするんだよね」
「いいから黙ってお前は俺に償え。そしてこれの説明会に来い」
「は?」
井坂くんは「ったく、なんで俺がこんなことを」と心底めんどくさそうな顔で、私に唐突に謎のチラシを押しつけてきた。
【優秀な減衰罹患者の皆さん、もう自分は活躍できないと思ってませんか?】
【高時給担保! あなたたちの手を借りさせてください!】
「なにこれ、詐欺?」
「やっぱりそう思うよなー。あいつ、マジで採用広告のセンスねえよ」
私は戸惑いつつも、井坂くんの口ぶりからすると、案外この採用広告をつくった人は悪い人ではないのかもしれない、とぼんやりと思った。
私は結局、婚姻届にも輸血同意書にもサインはしなかった。そんな私を千隼は咎めることもなく、「いつか納得してくだされば嬉しいです」と私の決定を先回りするようなことを言っていた。
千隼は私を手元に置けたことで、一旦は満足したらしい。
千隼にとっての急務は「私を冷遇する実家から助け出すこと」だったのだと、さらりと言っていた。(輸血は出来たら今すぐ行いたいので、早くそちらには同意してくれという話は匂わされたが。)
逆に私を実家から連れ出すまでに、減衰を治せる可能性がある方法を見つけ出せるまでに、こんなにも時間がかかってしまったことを謝られた。そんなの、千隼が罪悪感を感じる必要はないのに。
むしろ、私の方がずっと、申し訳ない気持ちがあった。
呪術庁を出たあと、実家で一層ひどく冷遇される毎日をずっと過ごしていたせいだろうか。大事に扱われれば扱われるほどに居心地を悪く感じる。
千隼が私のことを大切にしてくれているのは知っていたが、まさか四年間離れていても、それが全く色褪せないどころか、前よりも更に露骨な態度で示されるようになるなんて。
私は一体、これからどうすれば……。
「夏鈴先生、ここまでは解けました~!」
「私も、私も!」
いけない、仕事中なのについぼ〜っとしてしまっていた。
「分かった。二人とも、順番に見るね」
「はーい!」
教え子たちの無邪気な可愛さに思わず笑みがこぼれてしまう。
私は千隼から紹介された、小学校で開かれている、呪術を子どもに教える特別講習の講師の仕事をしていた。
ちなみにこれも呪術庁の管理している仕事の一つだ。なんでも今の千隼は呪術庁の人事に深く関わる立場らしい。
「夏鈴様は高度な呪術師としての技量を活かせる仕事よりも、こういった仕事にやりがいを感じられるのかも、とあのあと思ったのです」というのは千隼の弁だ。
千隼は有能な呪術師として期待され、能力を敏腕にふるうような仕事は私の性格ではこなせないと、過去の一件から学んだらしい。そのことに複雑な気持ちはあるが、全て身から出た錆だし、期待されたくないのは事実なので仕方ない。
もちろん、今の仕事も未来の有望な呪術師を育成するという重要な仕事だ。この講習は小学校で行われる呪力調査で高い基準値に達した子どもが対象で、今回は二人しかいない。
余計な考え事をしている場合ではない。真摯に子どもたちに向き合わなくては。
「今日はね、スーパー講師支援員のいっくんが来てくれるんだよ~!」
なんでもこの呪術庁の行う特別講習には、フリーランスの呪術師も呼ばれているらしい。
私は基本的に決まった地区の小学校の授業を受け持っているが、フリーランスの呪術師は授業のピンチヒッター要員として色んな小学校を渡り歩いているとのことだった。
「いっくん?」
「夏鈴先生と違って、すっごくお口が悪いの!」
「そんな人と上手くやれるかなぁ」
そんな風に私が思わず、子どもたちの前で口にすべきでない不安をぽろりと言ってしまったとき。
「はっ、相変わらずだな、村谷。俺もお前と上手くやる気は毛頭ねえよ」
教室に響き渡ったのは、久しぶりなのに一発で誰なのか分かる、特徴的すぎる傲慢不遜な声だった。
「……井坂くん……っ!?」
私の驚きと少しの懐かしさのこもった呼びかけに、井坂くんは「おう」と四年前に会った時となんら変わらないふてぶてしさで応えた。
「井坂くんとこうして一緒にお茶するのは初めてだね」
「俺は次の移動までに時間があるからお前で暇つぶししてるだけだっつーの。別に四年ぶりの再会だろうが、なんの感慨もないね」
「あはは」
そう言いつつも、私以上にケチな井坂くんがコーヒー1杯で500円以上するカフェチェーンに付き合ってくれるのだから、今回はだいぶ気が向いてくれているらしい。
私は注文したカフェモカをちびちびとすすりつつも、今回の授業で使った資料のファイリングをしていた。
「おい村谷、こんな誰にでも見られる可能性がある場所でそういう書類は出すな。家に帰ってからにしろ」
「別に個人情報とかは書いてないよ?」
「それでもだ。お前のせいで情報流出でもあったら、俺の信用にまでヒビが入るだろ。フリーランスは信頼と信用が仕事の要なんだよ」
「ううっ、井坂くんにこういう真っ当な指摘を受ける日が来るなんて……! 成長したね!」
私の下手くそな泣き真似に「うるせぇ、俺の母親面するんじゃねぇよ」と井坂くんは容赦ないチョップを入れる。確かに今のは私の方がウザかったかもしれない。
私は先ほどまでのわざとらしい態度を引っ込め、授業の資料もしまい、井坂くんへと向き直った。
「で、井坂くんはいつ、呪術庁を追い出されたの?」
「追い出されたこと前提かよ。俺が自分から出ていった可能性とかもあるだろ」
「あれだけ呪術庁のAランク呪術師であることにしがみついていた井坂くんが?」
「お前切れ味良すぎだろ、一周回って感心するわ」
「まあ追い出されたのはその通りだけどな」と井坂くんは大して意に介していない様子でメニューの中で一番安いアメリカンコーヒーをすする。
私は自分で言っておきながら、少しだけ驚いてしまう。井坂くんは口も性格も悪いが、間違いなく有能な呪術師だ。そもそも、呪術庁はよっぽどのことがないと解雇されることもないのに。
……四年前に部署ごと摘発された佐倉さんも確か、少なくともあの時点では解雇されていなかったし。
「第一採用課の課長になった藤森の野郎が二年前、透明性のある組織運用がどうとか言って、汚職に手を染めていた呪術師を一斉解雇したんだよ」
「井坂くんって汚職なんてしてたの!?」
「してねぇよ! せいぜい普通より稼げる仕事を普通じゃないルートで回してもらってたぐらいだって」
「井坂くん、知ってる? 世間ではそういうのを汚職って言うんだよ」
「違う! 俺は解雇されるレベルのことはしてない! その証拠に俺と同じような仕事を受注していた人間でまだ呪術庁にいる人間はいるんだ、俺は被害者なんだよ!」
私が白けたような目線で井坂くんを見ても、井坂くんは止まらない。
しかし、店内のお客さんが騒ぎ立てる井坂くんをちらちら見ていることに気づいたのか、井坂くんはすん……と黙って、アメリカンコーヒーのカップをちびちびと傾けた。どうも世間からの圧には弱いらしい。
「お前のせいだからな、村谷」
そういって井坂くんは恨みがましい目で私のことを見つめた。
しかし、本気で心当たりがない。
「なんで私?」
「俺がお前に対してずっと強く当たっていたせいで、藤森の怒りを買ったんだ。酷いとばっちりだよ、全くな」
「もしそれが本当なら千隼はやりすぎだとは思うけど、やっぱり井坂くんの場合は自業自得な気がするんだよね」
「いいから黙ってお前は俺に償え。そしてこれの説明会に来い」
「は?」
井坂くんは「ったく、なんで俺がこんなことを」と心底めんどくさそうな顔で、私に唐突に謎のチラシを押しつけてきた。
【優秀な減衰罹患者の皆さん、もう自分は活躍できないと思ってませんか?】
【高時給担保! あなたたちの手を借りさせてください!】
「なにこれ、詐欺?」
「やっぱりそう思うよなー。あいつ、マジで採用広告のセンスねえよ」
私は戸惑いつつも、井坂くんの口ぶりからすると、案外この採用広告をつくった人は悪い人ではないのかもしれない、とぼんやりと思った。

