千隼の家は数奇屋造りの平屋で、ご両親から受け継いだ家にそのまま住んでいるとのことだった。
千隼の親子関係の話はほとんど聞いたことがなかったが、その口振りを見るに、我が家のような特別険悪な関係性には見えなかった。
しかし、こうして連れてこられた千隼の家は明らかに普通の家庭の一軒家よりもしっかりとした造りの、まさに「屋敷」と呼べるもので。
千隼の家も一般家庭とはまた違った家庭なのだろうというのは容易に想像がついた。少なくとも今は深掘りするつもりはないが。
「ここが僕の家です。まずはリビングに案内します」
呪術庁の職員の一人だという送迎車の運転手は千隼のハンドサインで、車ごとこの場を立ち去っていった。
私は何を考えているのか分からない千隼と二人きりにされて、所在ない気持ちに襲われながらも、「ここまできてしまったものはしょうがない」と静かに腹を括った。
抵抗も出来たのにろくにしないまま、ついてきてしまったのは私だ。
今は千隼の思惑を少しずつ探っていき、今後の身の振り方を決めていくしかない。
私はそんなことを考えつつも、千隼の昔よりも堂々としている後ろ姿を見つめた。
私が通されたのはヨーロッパ風の内装のリビングで、アンティーク品のような机や椅子が置かれていた。
ここまで高そうな家具に腰かけるなんて、と私は気後れしていると、千隼に「どうぞ」と椅子を引かれ、エスコートされてしまう。
私がぎこちない動きで座ると、千隼は私のセミロングの髪にふわりと触れ、指に絡ませたあと、背中側へと梳いた。
「………っ!」
私はいきなりのスキンシップと優しい手つきに思わず頬を赤らめてしまうが、千隼は何事もなかったかのような様子でキッチンへと向かっていってしまった。
「あーもう、ペースを乱されすぎないようにしなきゃ。冷静に、冷静に」
千隼がいないのをいいことに、私はそんなことを呟きながら頬をペチッと両手で叩いた。
と、アンティーク風の机の隅っこに千隼の文字が書き込まれた書類が置かれているのが目に入る。
仕事の重要書類だとしたら見てはいけないが、そうだとしたら千隼はこんなところに置いたりしないだろう。
それに何より嫌な予感もして、私は自分の第六感を信じて、透明なクリアファイルに入れられたその書類を手に取った。
「……っ!」
その書類の正体に気づいた時、気づけば手から書類が滑り落ちていった。
「夏鈴様、アップルティーを淹れてまいりました。ハムとチーズのケークサレも……」
「ねぇ、千隼。どういうこと?」
「夏鈴様? どうされ……あぁ、見てしまったのですね」
私は静かにその書類を千隼の前へと突きつける。
それは一枚は婚姻届で……二枚目は輸血同意書だった。
千隼の血液を、私へと定期的に渡すための。
「まずはお茶の時間にしましょう」と穏やかに、しかしあくまでも自分のペースで千隼は言った。
私は納得できてはいなかったが、別に千隼と喧嘩したい訳ではないとひとまず椅子へと腰かける。
千隼は私の前に紅茶とお茶うけをおいた。お腹がすいていた気もするが、食べる気分にはなれない。
「夏鈴様はどちらを気にされているのですか? 婚姻届でしょうか、それとも輸血同意書の方ですか?」
改めて言葉にされると、困り果ててシンプルに頭痛がする。
「両方だけど、輸血同意書の方を詳しく教えて。そっちの方が意味が分からないから」
婚姻届は事前にプロポーズをされていたのもあり、準備の早さにびっくりはしたものの、千隼ならそれぐらいの強引さはあるだろうとある意味納得は出来なくもなかった。
問題は輸血同意書だ。なぜ千隼はそんなものを用意したのだろう。
「ふふ、不思議に思われますか? 実はあれこそが夏鈴様をお救いする手段なんですよ」
千隼は「不気味にすら思えるかもしれませんがね」と言いつつ、自分の手元に輸血同意書の書類を引き寄せた。
「僕が減衰罹患者が改善に向かった事例を調べていた時に、呪術庁の医療部門のデータをあたったことがあったんです。予想通りほぼ空振りでしたが、一つだけ面白いケースを見つけました」
千隼は呪術庁の制服の内ポケットから小さなタブレットを取り出すと、私に見せてくれる。
そこには数枚の写真と共にある男性が怪我をして入院した時の経過についての文章が書かれていた。
「この男性は元々減衰罹患者で、任務にて大怪我を負い、Aランク呪術師の奥様に輸血を頼んだそうです。すると、男性は何を試しても改善しなかった減衰が改善し、失った呪力も多少戻ってきたとのこと……素晴らしい事例だとは思いませんか?」
「だからその奥様と同じように呪力の高い千隼が輸血をすれば、私の減衰も改善するかもしれないと言いたいの?」
「ええ。減衰罹患者の治療例以外にも輸血による呪力が譲渡される事例などは発見されていますし、信憑性はある言説かと思っていますよ」
千隼はそういってにっと笑う。
でも、そんなのおかしい。千隼の話にはどう考えても穴がある。
「その男性がたまたま体質に合っただけかもしれないし、千隼の言う血液の譲渡で減衰が治る確証なんてどこにもない」
「もし1%でも夏鈴様の減衰が治る可能性があるのなら、僕は喜んで協力します」
「そもそもなんで結婚までするの?」
「それは継続的に夏鈴様に輸血をする為の隠れ蓑です。全ては夏鈴様のために」
駄目だ。何を言っても千隼は動じない。
私は千隼の平静な態度を突き崩すために、千隼をじっと見つめたまま言った。
「そもそも、減衰が治せる方法が見つかったと言っていたのに、この手段じゃそこまで確実性がないじゃない」
「……はは」
千隼は感情の読めない顔で薄く笑うと、私の顎をくいっと持ち上げた。
「ええ、すみません。僕はあなたを騙してここまで連れてきました」
「はあ!?」
「この方法で減衰を治せそうなのは本当です。ですが、あなたのおっしゃる通り、100%治るとは限りません。僕はあなたを自分の伴侶にするために、敢えてさも絶対に治る手段を見つけたとばかりにあなたを連れ去ったんです」
「い、いや、なんで?」
私の胸の中にあったのは怒りの前に疑問だった。
「それはもちろん、あなたを自分の手でお救いしたかったからです」
「僕が夏鈴様に救われたように」と千隼は愛おしげな表情で言った。
「減衰が万が一治らなかったとしても、あんな酷い実家にいるよりも、僕に庇護されている方が何倍もいいでしょう? あなたは僕が幸せにしてみせます」
それはまるで幸せな花嫁に送られる甘い言葉にすらきこえるのに、実際はただただどこまでも純粋な信仰に満ちていた。

