減衰。それはその名の通り、呪術師の呪力が徐々に減っていき、やがては枯渇に至る病である。
私は中堅程度の勢力の呪術師の一族に生まれ、子供の頃は天才と呼ばれていたが、減衰を発症したことでその扱いは完全に変わった。
減衰罹患者の呪術師はいくら実力があっても、いつかはただの無能力者へと変わる上に、平均寿命も短い。減衰はウイルス性の病気などではなく、呪術師の血統に生まれた人間が稀に発症する遺伝性の病のため、呪術師の世界での一族全体の立場も変わってしまう。
私は減衰罹患者として、村谷家の中では迫害され、呪術庁の採用試験で優秀な成績を収めていても呪術師としてのランクはDだった。
「今日の分の薬飲も」
今は夜。私はTシャツとジャージのズボンという寝巻き姿に身を包みつつ、ドラマを見ていたが、そろそろ寝る準備をしないといけない。
明日は朝から倉庫での軽作業バイトだ。呪術師としての収入だけでは私の場合、貯金が出来ないので、たまに普通の仕事もしていた。
まぁこうして呪術庁の社宅の寮にお世話になれてるだけ、家賃も浮いてマシなのだが。
井坂くんみたいにAランクの呪術師なら、呪術師としての収入だけで若くして年収1000万とかいっていそうだけど……いやいや、こんなことを考えてもしょうがないな。
「村谷っ! 村谷、いるんだろうな!?」
「は!?」
……だなんて井坂くんのことを考えていたら、井坂くんらしき声がベランダから聞こえてくる。バンバンとガラスの窓を強く叩く音と共に。
「ここ、女子寮だよ!? 不法侵入で寮長に突き出してもいいんだけど?」
私は突然の井坂くんの侵入に驚きつつ、ベランダへと窓を開けないまま駆け寄ると、井坂くんはとんでもないことを言ってきた。
「村谷、お前のところの狂犬が、藤森が扇動して、呪術庁の中で第二採用課の差し押さえを起こしてる!」
「第二採用課って……」
「お前も世話になってる佐倉がいるところだろ。村谷、お前は他人事みたいなツラしてないで、さっさと来い! くそっ藤森の野郎、第二採用課が潰れたら面倒なことになるっていうのに!」
何が起きているのかは分からないが、この件に佐倉さんと千隼が関わっているのなら、私も行かない訳にはいかない。
「……分かった。私も行く。とりあえず呪術庁の制服に着替えさせてほしいけど」
「さっさと着ろ!」
「大丈夫、一瞬で終わるから」
私は自室の窓を開け、ベランダの柵へと身を乗り出した。
「着替えるんじゃなかったのか? そんないかにも寝る前みたいな格好、俺に見せんなよ」
「だからすぐ着替えるって」
私はベランダから身を投げ出しつつ、パチンと指を鳴らす。
身体が虚空に舞う中、私の服装は一瞬で寝巻きから呪術庁の制服へと変わった。
私が地面に着地し、案内を頼むために井坂くんを見上げると、井坂くんは目を白黒させたまま、私の後に続いて水道管パイプをつたって地面へと降りてきていた。
「井坂くん、遅い」
「お前が超人的すぎるだけだからな、この技術と身体能力は化け物級呪術師が!」
井坂くんは私の10倍のスピードで私の部屋があった三階から地面に降りてくると、キメ顔を作り直し、「ついてこい」と顎をくいっとさせた。
おとなしくついていきつつ、井坂くんって緊急事態(?)でもいつもとまったく変わらないなと少しだけ安心したのだった。
「井坂くん、なんで千隼が第二採用課に? 正直、今でも半信半疑なんだけど」
「その気持ちは分からんでもないが、意味が分からない行動に前触れなく走るからこその狂犬だろ。お前は第二採用課に何かされたりはしてないのか?」
「別に。そもそも、第二採用課の人とは佐倉さんとしか接点がないよ」
私は一瞬、佐倉さんに一週間前に任務を断られたことを思い出したが、そんなことでいくら千隼でも差し押さえなんてするとは思えず、困惑する。
「じゃあその佐倉がお前に何かしたんだろう。お前に身に覚えがなかったとしても、藤森から見たら、な」
「まさかそんな」
「お前は藤森の危険性を分かっているようで分かっていない。あいつは村谷の為なら何でもするんだよ、文字通り何でも」
私は井坂くんの言っていることに反論したくなったが、今は彼と喧嘩している場合ではない。
それに千隼の動機は今は関係ない。千隼がもし危険な行為に走ろうとしているなら、それを止めなくてはいけない。
……千隼がどんなつもりでそんなことをしているんだとしても。
私と井坂くんは第二採用課のある庁舎へと急いだ。
……しかし、私たちが現場についた頃には、全てがもう終わってしまっていた。
「よく第二採用課の不正を暴いてくれたね、藤森さん!」
「とんでもない。僕だけの力ではなく、第一採用課の皆さんのお力があってのお話です」
「いやいや、まさか第二採用課の課長がここまでグレーなことをしているとは」
第一採用課の職員や実戦に関わる部署の呪術師たちが第二採用課の職員を取り締まり、一部の上役たちは物理的に拘束までされていた。それは第二採用課で一定の地位を築いていた佐倉さんも同じだった。
私は衝動的に佐倉さんに駆け寄ろうとしてしまい、ぐっとこらえる。今の私に出来ることはない、何かするとしてもこの状況を適切に把握してからだ。
「仕事が早すぎるだろこいつら。というか、第一採用課と第二採用課が仲が悪かったのってガチなのかよ」
隣にいた井坂くんが私へと小声で耳打ちしてくる。
「第一採用課は現場にいた呪術師上がりが多く、第二採用課は無能力者が多い。第二採用課は理想を語るが、第一採用課のやつらは実利至上主義とはよく言ったもんだ」
「それは私も聞いたことがある」
「まあ有名な話だよな。でも、第二採用課の不正ってどういうことだ……?」
井坂くんの言葉につづき、第二採用課の課長らしき男性の叫び声が聞こえた。
「私たちは呪術師も無能力者も手を取り合う社会を作るために頑張ってきていたのです……っ! 全て誤解です、私たちはあくまで多くの事件を呪術師と無能力者で力をあわせて解決しようと……」
「その「理想」の為に一部の呪術師が第二採用課による強引な仕事の斡旋を受けたり、現場に必要のない無能力者を連れていき、護衛をさせて呪術師に怪我を負わせたりしているそうではないですか」
千隼はそういって穏やかに微笑みながら、何かの書類で第二採用課の課長の頬をペチリと叩いた。
それはまるでこれから罪人になる人間を明確に下に扱っているようで、私の心はざわざわとざわめき立つ。
あそこにいるのは私の見たことのない千隼だった。
「その上、一部の能力のある減衰罹患者に難易度の高い任務を任せ、不当に安い給料で働かせ、本来の依頼料を大量に自分たちの懐へと入れて、高い利益をあげていたようで」
「え」
千隼の発言にどきりと心臓が跳ねた。
「なるほどな」と井坂くんは納得したように頷いた。
「まぁ、それに主に関わっていたのは課長ではなく、佐倉さん……あなたのようですが」
「…………」
佐倉さんは感情の読めない穏やかな表情で千隼の話を聞いていた。
私はバクバクと心臓を緊張で高鳴らせたまま、何かに縋るように井坂くんの手を思わずぎゅっと掴んだ。
井坂くんは嫌そうな顔で私の手を振り払う。井坂くんはいつだって通常運転である。
「佐倉さん、あなたは能力ある減衰罹患者たちを不当に扱っていたことを認めますか?」
「……ふふ。減衰罹患者たちは私の提示した報酬に納得して依頼を受けていたのですよ、何も法的に問題なんてないでしょう?」
「あくまで合意の上だと?」
「ええ。こういう給料でも良いというのはむしろ、減衰罹患者たちの方から言い出したことです」
そんな佐倉さんの言葉を聞いた時、私は思わずポツリと呟いていた。
「……嘘つき」
いつだって佐倉さんは私に対して「本当はもっと高い報酬を出してあげたい」と言って、困った顔で笑っていた。
私は納得していたんじゃない、納得させられていたんだ。
でも、全ては録音もしていない口頭のやり取りで、私は佐倉さんの出してくる依頼に関わる書類に自らの意志でサインをしてしまっていた。
私は佐倉さんの言うことに反論できるだけの現実的な材料はなかった。
「あくまでシラを切るつもりだろうが、お前たちの不正の証拠は徹底的に洗い出させてもらう。第二採用課の人間全てにこれから全て取り調べを行わせていただこう……確保!」
千隼の隣にいた第一採用課の人が指示を行い、第二採用課の人達は次々とどこかへ連行されていく。
と、佐倉さんと目が合ってしまう。
あれだけ自分の身の潔白を証明するようなことを言っていた佐倉さんは、なぜか私の顔を見ると、怯えたような、気まずげな様子で表情を歪めていた。
そんな佐倉さんの様子に複雑な気持ちになっていると、井坂くんが呑気に「村谷ぁ!」と私の胸ぐらを掴んできていた。
なお、一応痛くないように力加減をされていた。気を遣うところがおかしい。
「お前のせいで第二採用課が潰れちまいそうになってるだろ!? 金に困った時にいつも第二採用課のやつから仕事を回してもらってたのに、これからは難しそうだな、くそっ!」
「それってひょっとして怪しい仕事?」
「もちろんだぜ!」
「もちろんだぜ! じゃないし、ひょっとして井坂くんも第二採用課がグレーなことを多少は知ってたんじゃ!?」
私がそういって胸ぐらを掴み返すと、井坂くんはわざとらしく目線を反らし、わざとらしく口笛を吹く振りをした。
井坂くんに呆れていると、ふと後ろから強い視線を感じ、振り向く。
そこには千隼がいて、私を気遣わしげな表情で見つめていた。
私と目線があったことに気づくと、ペコリとおじぎをしたあと、第一採用課の人達と共に引き続き第二採用課の人達の検挙にあたっていた。
冷酷に第二採用課の人達を裁いていた千隼が、私をあんなにも心配そうな顔で見ていたことに、少なからず私は動揺していた。
いつもの千隼じゃないみたいだったのに、やはりあそこにいる千隼は私の知る千隼なのだと突きつけられた気がした。

