昔はグリーン、未来はブルー



7月20日。
夏休みの初日、私が世界を救ってちょうど1年経つ。
異世界人が地球を滅ぼそうとするのを阻止すべく、私たち5人の魔法少女が人知れず戦ってきたのだ。
テレビニュースにはなっていない。だからみんなは知らないし、魔法の力で感知できないようになっていたから当然だ。

「風よ、私に力を貸して」

ベッドに寝転んだまま、天井に向かって右手をつき上げる。
当時の変身呪文だ。こうすると指のあいだに風が通り抜け、私の中学校の制服は、瞬時に緑色をベースにした戦闘コスチュームへ切り替わった。それを着ると超人的パワーで、耳の尖った異世界人をやっつけることができた。
けれど、今はもう何の力も持っていない。
夏用パジャマの半袖から出る腕に、クーラーの涼しい風があたる。何とも虚しい。私は広げていた指をた握り締め、空っぽの感触に「あーあ……」とため息をついた。

——今なら世界が滅んだってどうだっていい。むしろなればいいのに。

でもあくまで条件付きだ。痛みも苦しみもない、気付いたら一瞬で滅びてる感じのやつでお願いしたい。
「地球最後の日に何がしたい?」なんて質問をよく聞くが、もし前兆があれば、世の中の混乱や暴動に巻き込まれてしまうだろう。そんなのは嫌だ。だから急に隕石が降ってきて一瞬でTHE END。これが理想だ。

「いでよ、隕石。世界を壊せ……」

もう一度、右手を頭上にかかげ決めセリフのように言ってみる。
シン、と静まる部屋にカチカチカチと時計の秒針だけが響く。
当然、何も起きない。

「おねえちゃん!いつまで寝てるのってママがキレそうだよー!」

代わりにドアの向こうから、ノックの音とともに妹の声が聞こえてきた。返事をしないとドアノブを激しくガチャガチャしてくるので、私はすばやく「はぁーい!」と返事をした。

「おねえちゃん起きてたぁ!」

妹がお母さんの方へ走って行く。騒がしい足音。私が妹と同じ歳の頃は「女の子なんだから静かに歩きなさい」と叱られていたのに、何故か妹には父も母も怒らない。
そんな小さな気付きに、じわりと不快感で胸が疼いた。
スマホを手に取り、時間を見ると9時20分。お母さんがパートに行くのは9時半だから、そのあとに朝ごはんを食べよう。顔を合わせたらダルいこと言われるに決まっている。
ごろりとシーツに横になって、メッセージアプリを開いた。通知は昨日の夜に来ていたが、あえて無視をしていた。
だってすぐに返して暇な奴と思われたら困る。私はSNSに興味がないから、滅多に浮上しない設定なのだから。
すでに私以外の返事が3つ並んでいて、彼女たちの文章と被らず、でも似たような内容を送信した。

〈そっか。しょうがないね、また今度集まろ!〉

この投稿に既読4がついて、この話題が収まってしまえばもう、次にいつトーク画面が動くかわからない。
もしかしたら一生ないのかもと思うのは大袈裟だろうか。

「ぜーったい!またみんなで来ようね!約束だよ!」

魔法少女仲間の、中心的人物であったピンクの子の言葉が頭の中によみがえる。
去年の地元の花火大会の日。
異世界人の侵略から地球を守りきり、達成感でいっぱいの気持ちで迎えたあの日は、私の人生の中でもっとも特別な1日だった。
ドン、と大きな音から打ち上がる光の筋。パチパチと閃光の粒が弾けて、夜空にうつくしい大輪の花が開く。それに感嘆をもらす人々の声。屋台の匂い。両隣の友達から放たれる湿った体温。食べかけのりんご飴でふさがった汗ばむ右手。その全てを感じながら「胸が震える」という言葉の意味をはじめて理解した。
世界を救って良かったと心からそう思えた。
この感動を味わうために生まれてきたんだと確信したくらい。辛いこともあったけど、その壁を飛び越えるたびに成長を感じて私は恐れ知らずになっていた。
乗り越えたことこそ、自信になる。
日々、異世界人を撃退してきたことや、地球最大の危機を守り切ったことは誰にも評価されない。でも構わなかった。この経験や、仲間がいてくれたからこそ私は変われたんだ。
いつか「あの時は大変だったよね」って、お酒を飲みながら語り合うみんなの大人姿を想像していた。中には結婚指輪をつけた子もいたりして、笑いながら近況を語り合う未来が楽しみだった。
きっと、そんな大人になるんだと思っていた。

——でも、現実はそんなもんじゃなかった。

ブブ、とスマホが振動し、新しい通知に視線をやる。

〈そっか〜じゃあ私は部活仲間といくね。会ったら写真撮ろ!〉

と、赤の子からメッセージが来ていて、OKスタンプをタップし画面を消した。
このあと黄色と青の子も「残念だね。じゃあまた会おう」と返してくるんだろう。本当はみんな内心はホッとしているくせに白々しいなと、また胸がじくじく疼いた。
ふと思い立って、アプリを開き、中学3年生のときに撮った花火大会の写真フォルダをタップする。
ピンク、赤、黄色、青、そして緑の私。それぞれが戦闘コスチュームでと同じ色の浴衣を着て、汗と油でテカった笑顔をキメて写真に写っている。加工もしてない、芋臭さが目につくが、無邪気な顔は今の自分よりずっと魅力的にも思えた。
何枚かスライドし、ピンクの子が幼馴染の男の子と高校の制服を着て腕を組んで笑っている写真で指をとめる。

「……自分から言い出したくせに」

ぽつりとでた恨み言は、誰に聞こえたわけでもないのに、罪悪感が胸の底から沸いてくる。こういう私の小心者っぷりは昔から変わっていない。
あの日の花火大会の帰り道。最高に楽しかった1日が終わってしまう寂しさを押し隠し、花火の余韻に浸っていた時だった。前を歩いていたピンクの子が振り返る。

「ぜーったい!またみんなで来ようね!約束だよ!」

無理に明るくしたような声色。そこに寂しさが混じっているのが嬉しかった。私もまったく同じ気持ちだったから。

「また一緒に花火見ようね!」
「学校バラバラになってもいっぱい会お!」
「異世界人に邪魔されて遊べなかった遊園地もリベンジしないと」
「それな〜!卒業旅行も行かなくちゃ」

私も無理に明るく声をあげた。
また来年があるのだから寂しくなんかない。
ピンク、赤、黄色、青、そして緑の私。
全員の気持ちが一致していた。
その時は、この友情が永遠に続くものだと信じていた。

〈みんなごめん!花火大会は彼氏と行くことになって……本当にごめんね!〉

だけど現実は、あっさりと手のひらを返す。
ピンクの子がメッセージの下には土下座をするキャラクターのスタンプが続いている。
これに「ふざけんな」と言ってしまえば、私の方が常識知らずになるのだから不条理だ。彼氏は友達より上。そしてそれを許すのが常識というものである。

〈ぶっちゃけ、こうなるだろうと思ってた笑〉
〈私、塾で行けるか難しかったから気にしないで〉

プッシュ通知から黄色の子と青の子のメッセージが新たに表示される。
誰も「じゃあいける子で集まろう」とも「今度いつ会おう」とも言わず、私の期待を遥かに下回る結果に終わった。

こうして、永遠だと思った友情はたったの1年足らずで崩壊した。

+


高校に入ってからは、勉強に部活、人間関係と、めまぐるしい毎日だった。
どれも最初はぎこちなかったけれど、早く環境に慣れようと自分なりの努力はしたつもりだった。
それでもずっとギアが噛み合ってないような、息苦しさを自覚したのは6月になった雨ばかりの頃。

「ジュノ、来年は兵役に行っちゃうからさぁ。心の隙間を埋めてくれる推しを今めっちゃ探してんの。でもビジュ系統似てるからって、性格が同じわけでもないし、それなら歌うまで好きな子の方が良いっていうか〜」
「そっかぁ」

お弁当を食べながら、K-POPアイドル好きの友達の話を聞き流す。
いかんせん私はアイドルに興味がないため生返事になってしまうが、それでも彼女は気にせず話し続けるので、そこはまあラクといえばラクだった。

「ジヒョクも好きだけど、前にSNSで燃えたじゃん?あれ結構ドン引きでイメージ晴れないんだよねぇ」
「あーあったね」

たまたま席が前後だった関係で、一緒に行動するようになっていたが、あまり気が合わないなと確信したのはクラスのグループがほぼ決まった後だった。
最初は、私もK-POPに興味を持とうと勧められた曲を聞いて、MVやドラマも見てみたけれど、どれもよくわからないまま終わってしまった。
友達とお喋りをするのは何でも楽しいものだと思っていたが案外そうでもないことを、高校生になって初めて知った。

——まあ、この子には本命の友達がいるんだもんな。

それは別クラスの子で、同じ中学出身のK-POP好きであるらしい。たまに廊下で喋っているのを見かけるが、私の前とでは大違いの楽しそうな表情と声色は、チクチクと私の胸を痛くさせていた。
きっと私といてもつまらないんだろうなと、彼女の心を邪推しては、居た堪れなさでいっぱいになるばかり。
だからといって興味のない話を合わせる器用さもなく、自分から提供できるほどの話題もない。とりあえず、学校生活に支障をきたさないため繋がってるような、そんな関係。だって放課後も遊ばないし、メッセージアプリでやり取りする話題もない。抗えない退屈を、お互いさまだと諦めている。
友達のK-POPトークも終わり、お弁当を食べ終えたところでダラダラと両者無言でスマホをいじる。
癖のようにSNSアプリを開いて、魔法少女仲間だった子たちの投稿を眺めた。すでに何度も見ているが、やることがないのでついまた見てしまう。

<映画に行ってきたよ〜最後泣いちゃった>
そのタイトル下に、男女が映画館の座席に座ってポップコーンを抱えている画像が貼られている。ピンクの子は、中学の卒業式で幼馴染の男の子に告白されて、晴れてカップルになった。

<バスケ1年女子でカラオケ!>
これはスポーツ推薦で進学した赤の子の投稿だ。画像にはテーブルにのったドリンクバーの複数のグラスが写っている。

<大好きなブランドの展示会。はぁ幸せ...>
ファッションデザイナーを目指す黄色の子が撮った写真。おしゃれな服を着たマネキンの画像が複数貼られており、その最後に誰かとランチ中らしき写真がのっている。

<教科書多過ぎない...?>
高校を入学してすぐに投稿された青の子の写真は、ずっしり積まれた教科書と問題集のタワーだった。地域一の偏差値を誇る学校はやはりレベルが違う。

何度も見た高校入学直後の投稿。
この時から、私ひとりだけがスタートから出遅れていたのを実感する。
ピンクの子みたいに彼氏がいれば違うのかなと思ったりしたが、別に好きな人もいないし、出会いを探しにいくほど頑張ろうとも思えない。
赤の子みたいに部活に青春を捧げるのに憧れだけはあるが、運動神経は並だし、根本的に、日々の練習に打ち込めるほどスポーツが好きというわけでもない。そもそも中学では家庭科部で、手芸や料理をするのは楽しかったが、この学校にはそれに類する部活はなく、じゃあいいやと諦められるほどの情熱だ。
ならば黄色の子みたいに目指す夢があるかというと、正直言ってそれもない。絵を描くのが好きなら芸術に、人を助けたいなら医療や看護に、そういう何となくの指標すらもっていない。進路調査だって、考えれば考えるほど焦って苦しくなるばかり。
だから青の子みたいに弁護士を目指して勉強と努力を重ねる姿に、すごいなぁと尊敬する気持ちと、やりたいことがあっていいなと羨む気持ちとの両方がある。でもあっちからすると、未だにぼんやりフラフラしている私に「すごいね」と言われたところで苦笑いしかできないだろう。

——あー……なんでこんなにダメ人間なんだろ……。

好きな子もいなければ、得意なものや、熱くなれるものもない。夢どころか趣味もない、自分がこの世で一番つまらない人間に思えた。
世界を救うという大義名分があった頃は、何をあんなに一生懸命でいられたのか、今ではもう全く信じられない。
放課後、みんなで作戦会議をして、協力技を考えたり、敵の弱点を分析している時は本当に楽しかった。
世界を守る5人だけの秘密。その結束が、親にも言えない打ち明け話にも及び、色んなことをお喋りした。放課後の時間だけじゃ足りなくて、家に帰ってからもメッセージのやり取りをして、通話までしていた。それはお風呂中でも歯磨きをしている時でも。ご飯中にまでスマホを触っているものだからから、お母さんに「行儀が悪い」と怒られることもあった。

「一番話しやすいんだよねぇ」
「わかる!私も思ってた!」
「うんうん。聞き上手だし、言いたいこと察するの上手いよね」
「ね、みんなのことよく見てて、優しさも押し付けがましさがないから素敵だなって思う」

みんなが、私にそう言ってくれたのを思い返す。
その時は褒められて嬉しかったが、あとから考えると最もくだらないことに思えた。そんな気やすさよりも、もっと尖った個性の方が欲しかった。
仲間がピリピリしたときに、場を和ますのはいつも私だった。
誰かが無神経なことを言ったり、間の悪い冗談を言ったときにいち早く察してフォローする。空気が悪くなるのが嫌で、誰にも傷ついて欲しくないから進んでやっていたことだけど、こんなの体のいい尻拭いでしかなかった。

——そんな私をずっと大事に思ってくれるのが、友達ってものじゃないの?

SNSにはリアルタイムで、仲間の「現在」が投下される。
5月、6月、7月と、日を追うごとに、それぞれの学校の友達と楽しそうにしている毎日が写真とともに流れてくる。どれもこれも面白くない内輪ネタばかり。それを見るたびイライラして仕方がない。
「私は今、こんなに充実した青春wpおくってまーす!」とアピールされて、ままならない自分を見下されてるみたい。
卑屈であるのはわかってる。だけど、実際に誰も私を気にしてくれない。新しくできた友達と生活に夢中で自分のことばかりだ。
そんなものを何よりも大切に思っていたのが悔しくて恥ずかしい。

——こんなに苦しくなるなら、友達なんてはじめからいらなかったのに……。

本気でそう思う。
一方で、頭の冷静な部分が、でも友達はいなかったら体育のときや昼食の時間など、あらゆる場面で困るよなと否定もしていた。一貫性がなくてダサい。
そうなってくると腹が立つ相手は自分自身になり、一緒に花火大会に行ってくれる友達ひとり作れない私が悪いと落ち込むことが、この悩みの終着点になっていた。抜けられないループ。だって友達なんて、相性なんだから何をどう頑張ればいいかもわからない。

それならもう、世界が滅びればこんなこと悩まずに済むのに……と、怠惰に願うのが、元魔法少女グリーンの退屈で救いようもない今現在だった。


+


ベッドから起き上がったのは、結局11時を過ぎた頃だった。
もはや昼食となった朝食を食べつつ、妹が見ているテレビをぼんやり眺める。流れているのは昔流行った青春部活アニメだ。

「おねえちゃんは部活やらないの?」
「まあ、したいことなかったし」
「ふーん」

気のない返事をし、妹はまたテレビの方へ向きなおる。
画面には今までの練習の成果を発揮すべく、仲間たちと円陣を組むシーンが映っていた。この話の結末は知っている。以前、原作の漫画を読んだことあるからだ。赤の子が好きな漫画で、みんなで回し読みをしたのを思い出す。

「何でこのアニメ見てるの?」
「友達が面白いって言ってたから」
「へぇ。面白い?」
「うん」

アニメに集中したいらしく、妹が短く答えた。
私も邪魔にならないよう黙って、頬杖をついて画面ほ方へ目を向ける。しかし意識は妹に向いたままで、面白いと言い合えるならきっと気が合う子なんだろうなと、見たこともない妹の友達を想像した。
このアニメおよび原作漫画は面白い。
あの頃みんながそう絶賛して、赤の子の家で劇場版のBDを見るお泊まり会をしたのを思い出す。それぞれの推しキャラを応援して、活躍シーンでキャアアって声援あげたりなんかして、ふざけて笑って夜更かしした夜。
ちょっと天然なところがあるピンクの子が、緊迫したシーンでどうでもいい部分をツッコんで、それに黄色の子が「新視点すぎる」と笑い出し、赤の子が「ねー!今いい所なんだけど!?」と怒ったように叫ぶ。真面目でマイペースの青の子はみんなのやり取りからワンテンポ遅れて「22時にアイス食べるなんて罪悪感がすごい」と、ちびちびと舐めるように食べていた。
そんな光景が頭の中で鮮明に浮かび、私は慌てて頭を振った。
食べ終えた朝食の食器をシンクに運び、無心で皿を洗う。ついでに汚れていたステンレスの部分も磨き、IHコンロの汚れも拭う。これは未練がましい記憶をふり切る作業だ。寂しいなんて思う時間がもったいない。

「ねえ、昼からどっか出かけようよ」

アニメの続きを見る妹の背中に呼びかける。
朝はダラダラして終わってしまったが、今日はせっかくの夏休み初日だ。
一緒に過ごす友達はいなくても、家族がいるじゃないかと気持ちを切り替えようと思い立った矢先だった。

「私、友達とプール行くから無理ー」
「あ……そう」
「おねえちゃんも友達と遊べば?」

妹が振り返る。その表情には「去年、遊んでた子たちはどうなの?」という疑問が書かれている気がした。
それもそうだ。妹は、お風呂中に長電話をしたり、食事中にスマホを触って怒られる私を見てきたんだから、不思議に思うのも当然だろう。
だからといって、現状を語るわけにもいない。

「そうね。じゃあ、誘ってみるかぁ」

私は見栄を張って、出来もしない嘘をついた。


+


ひとりで見た映画は、ただ終わったあとの虚しさを感じるばかりだった。
上映が終わったあとファミレスに寄り、メロンソーダをすすりながら隣の席の2人組の女の子の話に聞き耳を立てる。
というか、どうしたって聞こえてしまうのだ。どうやら同じ劇場で、同じ映画を見ていたようで、彼女たちは楽しそうに感想を話し合っている。

「いやマジで今年1のクソ映画!」
「ね、泣かせようと露骨すぎだよね〜」
「ラスト、転生したのもご都合だし」
「あーね。ていうか推しのウィッグ酷過ぎ」
「そうそれ!カラコンも浮いてたし、メイク担当ざけんなって感じ」

おおよそ悪口ばかりであるが、意見が合うなら楽しい話であるらしい。
まあ、その気持ちはわかるが、まんまとヒロインが死ぬシーンで泣いた自分がマヌケに思えて気分は下がった。
すぐに店を出て、そのままアテもなくショッピングモールの服屋やアクセサリーを見たりしたが、ちっとも楽しいとも思えなかった。むしろ、同世代の女の子グループとすれ違うたびに、どんどんと息苦しくなっていく。誰かが「あはは!」と盛大な笑い声をあげる。自意識過剰であるが、ひとりぼっちの自分を嘲笑してるように聞こえてならなかった。
そこから逃げるように俯いて歩き続けた。誰もいない場所を目指して足早に。そうしてついた先は、ひっそりとした店と店の間の路地裏の途中。私は潰れた店のシャッターにもたれて、ため息を吐いた。
肩を上下させ、大きく、深く。
ずるずると全身の力が抜けて、その場へしゃがみこむと、ふと物陰から黒猫がコチラを見ているのに気が付いた。

「おいで」

小さな声で手を差し出す。
黒猫はジッと警戒したように動かなかったが、やがてゆっくりと歩いて、私の足元に座り込んだ。

「撫でていい?」
「ニャー」

言葉が通じてるかのようなタイミングで黒猫が鳴いた。それが嬉しくて、ふっと笑みがこぼれる。

「今日は何一つ良いことなかったけど、君と会えてチャラになったよ」

ツヤツヤの黒の毛並みを撫でると、生き物の温かい体温が指先に伝わり、先ほどまで強張っていた気持ちが徐々にほぐれていく。

「あのさ、ちょっと聞いてくれない?」
「ニャー」

また返事のような鳴き声に、許されたような気がして、ずっと悩んでいたことを少しずつ吐き出した。
ずっと友達でいられると思ったのに、あっさりと絆が綻んだこと。新しい環境にみんなが夢中で寂しいこと。自分だけがまだ昔の楽しかった思い出にしがみついて、取り残されてしまっていること。
そんな話を黒猫はただおとなしく聞いてくれていた。

「ねえ、明日世界が滅んだらどうする?」
「ニャー」
「はは、ニャーだよねえ」

真上に首をのけぞらせると、重なる屋根の隙間から、色濃い青空がのぞいていた。
こんな薄暗い場所から眺めていると、よりいっそう空の鮮やかさが憎らしく思えた。

「世間はみーんな海だ、プールだ、旅行だなんだって、浮かれムードなのにね」

輝くばかりの青空は、私にとっては憂鬱なブルーそのもので、鬱陶しさすら感じてしまう。
世界を救ったって、何も報われることはなかった。
あの頃は誰に感謝されなくても、気にならなかったし、ただ自分の生きる世界を守るのは当然だと思っていた。
だけどここまで落ちぶれた一人ぼっちになってしまえば、英雄として讃えられれば何かが違ったのかもと、また昔に縋ることばかり考える始末。

「あーあ。魔法少女になんて、ならなきゃ良かった」

あの頃、注いだ時間も情熱も全て無駄だったのだ。
もっと現実的に部活動や勉強に取り組んでいれば、こんなことにならなかったのかもしれない。そんな想像をして無気力感に包まれる。

「きっと、私じゃなくても良かったんだ」

ピンク、赤、青、黄色の子みんな顔を思い浮かべる。あの中で一番つまらなくて個性がない自分。ズキズキと痛む心の奥から言葉がこぼれ落ちる。
釣り合ってなかったんだ。ちゃんと地に足をつけて自分の人生を生きてるみんなと私は違う。ただ目的が一致していただけの限定的な友情に過ぎなかったんだ。それを私だけが思い入れて、浮かれて、格好悪い。

「はあ……」

一生この孤独が続いたらどうしよう。そんな途方もない憂鬱な未来に、お腹の底から疲れ切ったため息が出た。
そのすぐあとに足元の黒猫が大きく口を開けてアクビをする。そして、ぐぐっと体を伸ばし、話は聞き終えたとばかりにスタスタとどこかへ歩いて行った。その姿が見えなくなるまで見送って、私もそろそろ帰るかと重い腰をあげる。
路地裏から出ると、また多くの人が行き交う喧騒に揉まれ、また息が詰まるような苦しさに下を向いて歩いた。目線の先には涼しげな水色のサンダル。今夏出かける予定もない私は、去年買った擦れた緑のスニーカーを履いている。
どこを見たって、救いも何もないように思えた。

「あっ!ミドリちゃんだ!ねぇ待って!ミドリちゃーん!!」

どこからか自分の名前を呼ばれて、ハッとして顔をあげた。
振り向くと見知った顔が慌てたように走ってきて、見慣れていない私服姿に、それが毎日高校で顔を合わせているK-POP好きの友達だと遅れて気が付く。

「偶然〜!何してたの?」
「え……いや、ちょっと親に頼まれて買い物」
「そっかそっか。私これからバイトなの」

咄嗟に嘘を吐いたが、友達は気にした様子もなく「てか暑いねー」とハンディファンをこちらへ向けた。あまり涼しくないぬるい風であるが、そのちょっとした気遣いが嬉しかった。

「私絶対、韓国行きたくてさ。その旅行費を貯めたいんだ」
「へぇ、いいね」
「だから夏休みはバイト漬け」

何となく友達に付いていきがてら、そんな話を聞いていた。この通り先にあるチェーンの喫茶店がバイト先であるらしい。

「旅行はあの子と行くの?別クラスの」

いつも彼女とK-POPの話で盛り上がってる、よそのクラスの女子のことを思い出す。もしかしたら同じバイト先にいるのかなと質問してみるが、友達はパタパタと手を振って否定した。

「あの子はお嬢様だからバイトとかしないよ。もう中学から渡韓しまくってんの。まず、あの子のママが韓流ドラマ好きでその影響でハマったらしいからね。今年の夏も親子で行くらしいよ」
「そっかぁ。いいなあ楽しそう」
「まあね。でも庶民とは住む世界が違うな〜って正直思ってんの」

少し硬くなった声色に、彼女が今までどういう想いであったかを察した。初めて知った友達の本音。何だかいつになくその気持ちがわかって、親近感を覚えてた。
程なくしてついた喫茶店の前につき、そこで別れようとしたところで、ふと立ち止まる。アルバイト募集の貼り紙。そこに目を留めると、友達が私の両肩を掴んだ。

「もしかして興味がある!?私紹介するよ?」
「え……」
「実は急に辞めた子がいて、シフトの穴がヤバいんだ。ミドリちゃんが来てくれたら超助かるんだけどなぁ〜!」
「ええぇ、いやでも」

突然言われたって困る。
それでも肩にのった両手の力は強い。

「ミドリちゃん、中学は部活で料理とかしてたんでしょ?向いてるよ〜きっと」
「いやいやでも簡単なのしか出来ないし」
「大丈夫だって、みんな最初は素人だもん。慣れるまでの苦労だよ。それにお小遣い欲しいでしょ?」

お小遣い。
その言葉に、一気に脳内でストックしていた記憶が、勢いよく溢れ出してくる。
SNSで見た夏季限定フラペチーノ。パッケージが可愛いメイク道具、気になっていた漫画、ちょっと高値の静電気を抑えるコーム。他にも新しいスマホケースも欲しいし、サマーセール待ちしていたSwitchのゲームもチェックしたい、それから音楽のサブスクだって学割がきくうちにアップグレードがしたかったことを思い出した。

「履歴書とか持ってないよ?」
「大丈夫だよ。私も電話採用で、あとで書類出したし」
「え〜そんなもんでいいの?」
「さあ、いいんじゃない」

善は急げとばかりに友達が背中を押してくる。
強引だなと思う一方で、私の気持ちはかなり前向きになっていた。元々何もすることがなかったんだから、ちょうど良かったのかもしれない。
自動ドアが開く。友達が「店長呼んでくるね」と足早にバックヤードへ入っていき、急遽決定した面接に、ドキドキと鼓動が痛いくらいに打ち始めていた。

——さっきまで悩んでいたのが嘘みたい。

路地裏で黒猫に愚痴っていたのがもう遠いことのよう。
今はただただ目の前のことでいっぱいだった。
緊張して強張る体に、店の冷房が直撃して寒気がする。不安と期待で頭がパンクしそうで、やっぱ辞めておけば良かったと先ほどの前向きさが急速にシュルシュルと萎んでいく。この短時間での気分の上がり下がりの激しさに、目眩がしそうだった。

「面接の子?」
「え、あっ、はい」

お店の制服を着た大学生くらいの女性に、おっとした声色で話しかけられる。

「がんばってね」
「あ、ありがとうございます!」

にっこり微笑まれ、私の感情メーターは「優しい。天使。ここでバイトがしたい」と、また大きく針が揺れ動いた。
友達が私の名前を呼ぶ。おぼつかない足取りで、私の気持ちは行ったり来たりを繰り返し、最後には「えーい!なるようになる!」と、バックヤードの扉をあけた。

「ママァ。ねこちゃん」
「あら、可愛いわねえ」

入室する直前、窓際に座った親子の会話が聞こえた。
この店は表が全面ガラスなのでそこから見えたんだろう。
余裕のない意識の中、少しだけ逸れた思考を挟みながら、そっと扉のドアをしめた。



+


ガラス窓の向こう、元魔法少女グリーンであった女が、扉の奥へと消えていくのを眺めていた。
私は騒がしい人混みから抜けだし、店と店の間を縫って、静かな路地裏にふたたび戻った。

「どうだった?」
「さあ。知らない」
「適当だなぁ」
「適当さなのは、この星の奴らの方が上でしょ」
「確かに」

物陰から、私と同じ姿をした黒猫がワラワラと周囲に集まってくる。私を含めて全部で5匹。魔法少女の監視役として任命された私たちは、時々こうして互いの情報を交換しあっていた。

「ピンクの女は先日まで『もう私のことなんか愛してないんだ』とか言って落ち込んでたけど、どうも早とちりだったみたいで、また元の状態に戻ったよ」
「赤の女は部活の先輩に生意気だって目を付けられて、嫌がらせされて泣いてたけど、今はもうすっかり結果で見返してやるモードに入っちゃった」
「黄色の女もね、自分には才能なんかないって嘆いていたくせに、また新しく服飾コンテストなんてのに応募しようと張り切ってるよ」
「青色の女も似たような感じ。周りの頭のいい奴らについてけないってメソメソしてのに、期末テストの結果が良かったみたいで浮かれてる」

4匹の黒猫がつまらなそうに近況を語る。
最後に、緑の女を監視していた私が今日見たことを話すと、みんながまた「本当あいつら気分屋だよね」とウンザリしたように吐き捨てた。
一度滅ぼそうとしたこの世界。
感情の絶望エネルギーを糧にする、我が世界にはうってつけの獲物であったのに、あの5人の魔法少女によって撃退され、私たちの星は深刻な燃料不足で急速に力を失った。
街にはゴロゴロと美味しそうな負の感情が転がっているというのに、どうしてだかこの世界は陥落しない。

——愛、友情、未来、夢、努力、キボウのパワー。

そんな不確かなものを信じる力にゴリ押されて負けたのだ。

「あんなに自信満々に言ってたくせに」

黒猫の1匹が呆れたように呟く。
そう言いたい気持ちはよくわかる。あんなに偉そうに「私たちの絆は誰にも負けない!」と語っていたというのに、奴らは学校がバラけて顔を合わせなくなった途端に、あっさりと消滅寸前までになっていた。
これには敵ながら失望をさせられても仕方がない。

——そういった意味じゃ、緑の女の気持ちもまあわかる。

別に同情なんかしないが、あの女の言い分が一番通ってるように思えた。
しかしそれもまたずっとは続かないであろうことも今日を通して、よくわかった。
今までの人間観察を通して、この先の未来を予想する。
きっと、あの気が合わないと思っていた高校のクラスメイトとバイトという共通話題ができて、より2人の仲が深まることだろう。さらにあの店には1つ上のいわゆるイケメンの先輩がいる。それが緑の女の好みであるのは簡単に予測できた。

——ほんと、風見鶏みたいな女。

クルクルと風に吹かれるまま、自分を変容させる姿は、掴みどころがなくまるで風のようだった。良く言えば柔軟。悪く言えば自分がない。
ただあの女はそういう気質が特に強くはあるが、他の監視たちの話を聞く限り、個人に限ったことでもないよう思える。
すぐに落ち込んで、喜んで、これじゃあつけ入る隙もあったもんじゃない。そんな奴らばっかりだ。

「これ来年まで続ける意味あるのかなぁ……」

かしかしと後ろ足で頭を掻きながら、黒猫の1匹が言った。もうすっかり猫という生き物に身も心も馴染んでいる。
私たちの星の上層部に調査を続けろと言うけれど、やはり敗北は覆らないように思う。

「あー空が綺麗」

コテン、と寝転んだ黒猫が現実逃避をするように空を見上げる。
言われるまま私も、薄暗い路地裏から見える澄み切った青空を眺め、こう思うのだ。

——こんな美しく晴れわたった空の下じゃあ、早々誰も絶望なんかしてくれない。

翌年の空もきっと同じように青いままでいるんだろう。
なんてことを、5匹の黒猫が空を仰いでため息を吐いた。



おわり