僕と彼女の恋AI境界線

 それから初めての木曜日がやって来た。
 帰りのホームルームが終わり、僕は机の上に『世界で一番端の街』を広げていた。
 教室の中は、部活へ向かう足音や、放課後の予定を立てるクラスメイトたちの騒がしい声で満ちている。

「佐伯くん、どこまで読んだ?」

 トントン、と机の端が軽く叩かれた。
 顔を上げると、前の席の小宮さんが、くるりと身体をこちらに向けて座っていた。
 すぐ隣を、鞄を持った男子生徒が通り過ぎていく。
 けど、小宮さんは周囲の視線なんて気にする様子もなく、僕が開いたページをのぞき込んできた。

「あ……えっと、三つ目の途中」
「私も! あの主人公、ちょっと理屈っぽくて面倒くさくない? 誰かみたいに」
「……それって誰?」
「さあ、誰のことでしょう」

 小宮さんが笑う。
 初めて教室で話しかけられ、僕は戸惑ってしまう。
 そんな僕を見て、小宮さんの笑顔が曇(くも)る。

「……あ、ごめん。集中して読んでたよね」
「いや、そういうわけじゃ――」
「じゃあ、私、先に図書室行ってるね」

 小宮さんはすっと立ち上がり、鞄を持って教室の扉へ向かって歩き出した。
 机の上に残された、開いたままの本。

 違う。
 迷惑だったわけじゃない。
 声をかけてくれて、飛び上がるほど嬉しかったんだ。

 なのに、また僕は頭の中で言葉をこねくり回して、一歩を踏み出すタイミングを逃そうとしている。
 頭の中でナギが言う。

《直接声をかけることを推奨します》

 ああ、分かってるよ。
 僕はシャツの胸元を握る。

「小宮さん!」

 思ったよりも、ずっと大きな声がのどから飛び出した。

 教室の喧騒が一瞬止まる。
 何人ものクラスメイトが、驚いたように僕を振り返った。
 小宮さんが足を止め、目を丸くしてこちらを見つめている。

 教室中の視線が痛い。
 けど、僕はうつむくわけにはいかない。

 僕は机の横から鞄をひったくり、彼女をまっすぐに見据えて言う。

「一緒に、行こう」

 一秒の静寂。
 次の瞬間、小宮さんが、ふわりと笑った。

「うん。行こ!」

 そう言って、小宮さんは僕に笑いかけた。
 クラスメイトたちの視線の間を、僕は歩いていく。

 僕は、人付き合いが好きではない。
 でも。
 人を好きになることぐらい、できるんだ。