僕と彼女の恋AI境界線

「……どういうこと?」

 聞き返すと、小宮さんは少しだけ笑みを引っ込めた。

「だから、ミオに相談したんだよ。誰と付き合ったらいいと思う、って」

「誰……と?」
「うん。身近にいる男の子の話をしたら、佐伯くんがいいんじゃないかって」

 僕は、手のひらのスマホに視線を落とした。
 ナギの回答が、まだ表示されている。
 さっきはあんなに頼もしく見えた文章が、うまく読めない。

「小宮さんが、選んだんじゃないの?」
「ミオに言われたからって、誰でもいいわけじゃないよ。佐伯くんとは本の話も合うし、一緒にいて楽しいし」

 それは、僕だって同じだった。
 けど、聞きたいのはそこじゃない。

「そうじゃなくて」

 僕はスマホの画面を消した。

「小宮さんは、僕のこと、どう思ってたの?」

 小宮さんは口を開きかけ、閉じた。
 指先で、スマホの角をなぞる。

「……好きかどうか、ってこと?」

 僕はうなずいた。
 小宮さんが目をふせる。

「実は、まだよく分かってなかった」

 あっさりとした答えだった。
 あっさりしすぎて、僕は次に何を聞けばいいのか分からなくなる。

「でも、もっと話してみたかったんだよ。だから、今日、ここにいる」
「……それで結果は?」
「それぐらい、言わなくても分かってよ」

 小宮さんは、さっきまで僕たちが歩いてきた道を見る。

「私、ずっと誰かと付き合ってみたいとは思ってたの」
「……それを、ミオに相談した?」
「そう。友達の恋バナ聞いてると、楽しそうだなって思うし。私もそういう話、してみたいなって」

 小宮さんは笑おうとしたけど、うまく笑えないようだった。

「でもさ。好きな人もいないのに彼氏がほしいなんて、何か変じゃん。友達には、ちょっと言いにくくて」
「それで、僕が『候補』になったんだ」

 言ってから、候補という言葉が妙に耳に残った。
 小宮さんが少し眉を寄せる。

「そういう言い方、しないでよ」
「僕は事実を言ってるだけだ」
「佐伯くんだって、AIに相談してたんでしょ? なら、私と同じじゃない?」
「同じじゃない!」

 喉の奥から、思わず荒い声が飛び出していた。
 真っ暗な画面のスマホを握る指先が、怒りで白くなる。

「僕は、ただ小宮さんと仲良くなりたくて、こいつ……ナギに相談してただけだ!」
「だから、同じじゃん! 私だって、佐伯くんと仲良くなりたかっただけ!」

 小宮さんの声も、一段高くなった。
 通りを歩く人たちの足音も、遠くを走る車の音も、もう聞こえない。

「同じなわけないだろう! 僕は……僕は最初から、小宮さんのことが好きだったんだ!」

 前の席で笑いかけてくれたこと。
 同じ本を読んでいたこと。
 水族館で笑い合ったこと。
 運命かもしれない――柄にもなくそう思った。

「僕はずっと本気だった! 小宮さんにとって、僕はただの都合のいい練習相手じゃないか!」
「練習相手だなんて思ってない!」

 小宮さんも叫んだ。
 その大きな瞳に、みるみるうちに涙が溜まっていく。

「好きになってからじゃないと、誰かと仲良くなろうとしちゃダメなの?」
「それは……」

 僕は言いよどむ。
 小宮さんは僕の答えを待たずに続ける。

「最初から確信なんて持てるわけないじゃん。でも……佐伯くんを知りたいと思ったのも、今日すっごく楽しかったのも、全部嘘じゃなかったよ! 一緒に過ごした時間まで、全部嘘だったみたいに言わないでよ……!」

 痛切な叫びが、僕の胸をえぐる。
 嘘じゃない。
 彼女のその言葉に、嘘はないのかもしれない。
 けど、僕は――。

「……信じられるわけないだろ。最初から僕を見てたんじゃない。恋がしたい自分と、AIの画面を見てただけじゃないか」

 絞り出した僕の冷たい言葉。
 大粒の涙が一筋、彼女の頬を伝って落ちる。
 けど次の瞬間、彼女は乱暴に袖でそれを拭った。

「……そっか」

 小宮さんは、まるで教室で他のクラスメイトに向ける時のような、隙のない愛想のいい笑みを浮かべた。

「佐伯くんの言う通りだね。ごめん、全部私のワガママだった。もう……忘れて」

 そう言い残すと、彼女は一人で駅の方へ向かって歩き出した。
 かかとをかばうように、小さく足を引きずりながら。
 僕は一瞬迷ってから立ち上がり、彼女の隣に追いついた。

「鞄」
「えっ?」
「僕が持つ」
「……いいよ」
「いいから」

 小宮さんは少し迷った後、何も言わず、僕に鞄を渡した。
 それから僕たちは、駅までの道でも電車の中でも、言葉を交わすことはなかった。
 最寄り駅につき、改札を出たところで、預かっていた鞄を返した。
 小宮さんはそれを受け取り、ようやく口を開いた。

「サヨナラ」
「うん」

 小宮さんの背中がどんどん小さくなっていく。
 僕はその背中が夜の闇に消えるまで、見つめていた。
 僕が小宮さんのスニーカーを見ることは、もうない。