『ナギ、相談がある』
『こんばんは、湊。今日はどのような相談でしょうか?』
相変わらず、温度のない機械的な答えだ。
今日の放課後に起きたことを、僕はまとまりのない言葉でスマホに打ち込んだ。
『――こんなに偶然が重なるなんて、運命なのかな?』
送信ボタンを押すと、画面上に『考え中』との文字が表示される。
これまで、調べもの以外に使ったことがなかったAI。
しかし、親しい友達を作らなかった僕にとって、こんなことを相談できる唯一の相手だった。
『運命かどうかは分かりませんが、三つの事象が重なる確率は低いと考えられます』
『いや、そういうことが聞きたいんじゃないんだけど』
『彼女が、湊に好意を寄せているかが知りたいのでしょうか?』
僕は心臓を掴まれたように、胸が苦しくなった。
手を震わせながら、ナギに答える。
『うん』
『現時点ではただの偶然が重なっただけですので、恋愛感情が存在する証明にはなりません。好意の有無を判断するには、客観的なデータが圧倒的に不足しています』
『データ不足?』
『日常的なコミュニケーションにおける相手の言動、視線の頻度、他者との態度の違いなどを観察することを推奨します』
合理的な提案に、僕は妙に納得してしまった。
翌朝。
僕は教室で、ナギの言う『データ収集』を開始することにした。
始業のチャイムが鳴る十分前、小宮さんが教室に入ってきた。
ブラウスのボタンを一番上まで留め、スカートの丈を膝にぴたりと合わせている。
三六〇度、絵に描いたような優等生だ。
「透花、今日の小テスト、どうよ?」
「ま、ぼちぼち」
「またまたー、どうせめっちゃ勉強したんでしょ」
「えっ、バレた?」
女子のグループに囲まれ、小宮さんは軽やかな笑い声を上げた。
やがて予鈴が鳴り、彼女は僕の前の席に座る。
ホームルームが始まると、担任から配られたプリントが前から回ってきた。
小宮さんが振り返る。
「はい」
「あ……うん、ありがとう」
感じのいい、いつもの笑顔。
けど、それだけだった。
彼女はプリントを渡すと、すぐに前を向いてしまう。
昨日の図書室では、あんなに楽しそうに話していたのに。
昼休みになっても、彼女の周りには常に誰かがいた。
クラスの中心で楽しそうに話す彼女にとって、昨日の図書室の出来事は、放課後のほんの気まぐれな暇つぶしに過ぎなかったのだろうか。
「ねえ、透花。今度の土曜は、駅前にできたパンケーキ屋でどうよ?」
「私も行きたかったんだー。でも、裏通りの抹茶大福も気になってる」
「えっ、それどんな店」
会話を弾ませる彼女を見ていると、胸の奥がチクリと痛む。
僕の目の前で、小宮さんの肩が揺れる。
「これこれ。『ミオ』に教えてもらったんだけど」
「ほえー、さすが透花様。使いこなしてらっしゃる」
「フフッ、もっと褒めろ。……って、こんぐらい当たり前だって」
会話の内容を察するに、AIで遊ぶ場所を調べているのだろうか。
僕は自分が彼女の背中を凝視していることに気づき、首を横に振った。
このままじゃ、ただのストーカーだ。
僕は盗み聞きするのを止め、おにぎりとサンドイッチを胃の中に入れることだけに集中した。
週が変わり、再び図書委員の当番がやってきた。
放課後の図書室には僕と小宮さん以外、誰もいない。
「佐伯くんはさ。他に千防作品、読んでるの?」
カウンターに肘をつき、小宮さんが小首をかしげて聞いてきた。
教室の席より物理的な距離は離れているのに、不思議なほど近くに感じる。
「『この恋は、電波が届かない所にある』とか」
「おお、イイとこついてくるね」
小宮さんは嬉しそうに言い、椅子から立ち上がる。
一度小さく呼吸をした後、僕を見つめる。
「『すごく鮮やかな色。ありがとう、大事にする』」
彼女は両手を自分の胸の前で重ねる。
ああ、あの場面だ。
SNSに疲れた少女が、電波の届かない街に行き、大人びた少年と恋に落ちる話。
別れ際、彼女が少年からプレゼントされたのは、一輪のヒマワリ。
その花言葉は――私はあなただけを見つめる。
「『次の夏、また来なよ。今度は一緒に花火を見よう』」
僕はそう言った瞬間、とてつもなく恥ずかしくなり、小宮さんから顔をそむけた。
「うわっ、照れてるー」
「からかうなよ」
小宮さんがお腹に手を当てて、笑った。
「佐伯くん、思ったよりノリいいね」
「小宮さんこそ、そういう人だと思わなかった」
「決めつけー」
図書室内を明るい声が舞う。
でも、図書室に先生が入って来た瞬間に、僕たちの会話はまた途切れてしまった。
帰り道、電車の窓から見える空は赤く染まっていた。
僕の胸の中に浮かぶのは、二人きりの時だけに見せるあの笑顔。
そして、僕をからかう楽しそうな声。
僕は、ポケットからスマホを取り出す。
『ナギ、今日、小宮さんと結構話せたよ』
『それはよかったです。昨日のアドバイスは役に立ちましたか?』
ナギに教えてもらった『データ収集』の方法。
それは『話しかけて反応を伺う』という、極めて普通の回答だった。
言われなくたって分かると文句を言おうとしたが、言われなきゃ分からなかった。
『まあ、最初に話しかけてきたのは向こうだったけど』
『どのような会話をしましたか?』
僕は図書室で披露したちょっとした寸劇についてナギに教える。
『それは興味深いです。湊が提案したのですか?』
『いや、小宮さんがいきなり始めたんだよ』
『なるほど。湊の想定外の展開だったわけですか』
思い出すだけで、顔がまた熱くなってくる。
今が夕暮れ時で良かった。
『でも、結構楽しかった』
『小宮さんの反応はいかがでしたか?』
『笑ってた。めちゃくちゃ』
『では、小宮さんも会話を楽しんでいた可能性が高いと考えられます』
僕は手を止めた。
『それって、脈ありってこと?』
『会話を楽しんでいたことと、恋愛感情を抱いていることは、必ずしも一致しません』
『またデータ不足?』
『はい。そのとおりです』
容赦がない。
けど、言われてみれば確かにそうだ。
小宮さんは誰に対しても明るいし、よく笑う。
僕だけが特別だと考えるのは、都合がよすぎる。
『でもさ、教室じゃ全然話してくれないんだよね。今日だって先生が入ってきたら、急に話が終わっちゃったし』
『図書室では静かにすることが求められます。先生が入室したことによる会話の中断は、自然な行動と考えられます』
『……それもそうか』
『今後も彼女の観察を続けることを推奨します』
ナギの言うことは、正しいけど、簡単に正解を僕にくれない。
僕は再び指を動かす。
『とりあえず、ナギに相談してよかったよ。ありがと』
『お役に立てたのであれば何よりです。引き続き、湊の恋愛をサポートします』
『向こうがどう思ってるか気になるだけ。まだ恋愛じゃない』
僕はスマホをポケットにしまい、ため息をついた。
顔を上げると、もう最寄り駅だった。
小宮さんのことを考えると、あっという間に時間が過ぎてしまう。
それなのに、次の図書当番の日は、何十年も先のように思えた。
『こんばんは、湊。今日はどのような相談でしょうか?』
相変わらず、温度のない機械的な答えだ。
今日の放課後に起きたことを、僕はまとまりのない言葉でスマホに打ち込んだ。
『――こんなに偶然が重なるなんて、運命なのかな?』
送信ボタンを押すと、画面上に『考え中』との文字が表示される。
これまで、調べもの以外に使ったことがなかったAI。
しかし、親しい友達を作らなかった僕にとって、こんなことを相談できる唯一の相手だった。
『運命かどうかは分かりませんが、三つの事象が重なる確率は低いと考えられます』
『いや、そういうことが聞きたいんじゃないんだけど』
『彼女が、湊に好意を寄せているかが知りたいのでしょうか?』
僕は心臓を掴まれたように、胸が苦しくなった。
手を震わせながら、ナギに答える。
『うん』
『現時点ではただの偶然が重なっただけですので、恋愛感情が存在する証明にはなりません。好意の有無を判断するには、客観的なデータが圧倒的に不足しています』
『データ不足?』
『日常的なコミュニケーションにおける相手の言動、視線の頻度、他者との態度の違いなどを観察することを推奨します』
合理的な提案に、僕は妙に納得してしまった。
翌朝。
僕は教室で、ナギの言う『データ収集』を開始することにした。
始業のチャイムが鳴る十分前、小宮さんが教室に入ってきた。
ブラウスのボタンを一番上まで留め、スカートの丈を膝にぴたりと合わせている。
三六〇度、絵に描いたような優等生だ。
「透花、今日の小テスト、どうよ?」
「ま、ぼちぼち」
「またまたー、どうせめっちゃ勉強したんでしょ」
「えっ、バレた?」
女子のグループに囲まれ、小宮さんは軽やかな笑い声を上げた。
やがて予鈴が鳴り、彼女は僕の前の席に座る。
ホームルームが始まると、担任から配られたプリントが前から回ってきた。
小宮さんが振り返る。
「はい」
「あ……うん、ありがとう」
感じのいい、いつもの笑顔。
けど、それだけだった。
彼女はプリントを渡すと、すぐに前を向いてしまう。
昨日の図書室では、あんなに楽しそうに話していたのに。
昼休みになっても、彼女の周りには常に誰かがいた。
クラスの中心で楽しそうに話す彼女にとって、昨日の図書室の出来事は、放課後のほんの気まぐれな暇つぶしに過ぎなかったのだろうか。
「ねえ、透花。今度の土曜は、駅前にできたパンケーキ屋でどうよ?」
「私も行きたかったんだー。でも、裏通りの抹茶大福も気になってる」
「えっ、それどんな店」
会話を弾ませる彼女を見ていると、胸の奥がチクリと痛む。
僕の目の前で、小宮さんの肩が揺れる。
「これこれ。『ミオ』に教えてもらったんだけど」
「ほえー、さすが透花様。使いこなしてらっしゃる」
「フフッ、もっと褒めろ。……って、こんぐらい当たり前だって」
会話の内容を察するに、AIで遊ぶ場所を調べているのだろうか。
僕は自分が彼女の背中を凝視していることに気づき、首を横に振った。
このままじゃ、ただのストーカーだ。
僕は盗み聞きするのを止め、おにぎりとサンドイッチを胃の中に入れることだけに集中した。
週が変わり、再び図書委員の当番がやってきた。
放課後の図書室には僕と小宮さん以外、誰もいない。
「佐伯くんはさ。他に千防作品、読んでるの?」
カウンターに肘をつき、小宮さんが小首をかしげて聞いてきた。
教室の席より物理的な距離は離れているのに、不思議なほど近くに感じる。
「『この恋は、電波が届かない所にある』とか」
「おお、イイとこついてくるね」
小宮さんは嬉しそうに言い、椅子から立ち上がる。
一度小さく呼吸をした後、僕を見つめる。
「『すごく鮮やかな色。ありがとう、大事にする』」
彼女は両手を自分の胸の前で重ねる。
ああ、あの場面だ。
SNSに疲れた少女が、電波の届かない街に行き、大人びた少年と恋に落ちる話。
別れ際、彼女が少年からプレゼントされたのは、一輪のヒマワリ。
その花言葉は――私はあなただけを見つめる。
「『次の夏、また来なよ。今度は一緒に花火を見よう』」
僕はそう言った瞬間、とてつもなく恥ずかしくなり、小宮さんから顔をそむけた。
「うわっ、照れてるー」
「からかうなよ」
小宮さんがお腹に手を当てて、笑った。
「佐伯くん、思ったよりノリいいね」
「小宮さんこそ、そういう人だと思わなかった」
「決めつけー」
図書室内を明るい声が舞う。
でも、図書室に先生が入って来た瞬間に、僕たちの会話はまた途切れてしまった。
帰り道、電車の窓から見える空は赤く染まっていた。
僕の胸の中に浮かぶのは、二人きりの時だけに見せるあの笑顔。
そして、僕をからかう楽しそうな声。
僕は、ポケットからスマホを取り出す。
『ナギ、今日、小宮さんと結構話せたよ』
『それはよかったです。昨日のアドバイスは役に立ちましたか?』
ナギに教えてもらった『データ収集』の方法。
それは『話しかけて反応を伺う』という、極めて普通の回答だった。
言われなくたって分かると文句を言おうとしたが、言われなきゃ分からなかった。
『まあ、最初に話しかけてきたのは向こうだったけど』
『どのような会話をしましたか?』
僕は図書室で披露したちょっとした寸劇についてナギに教える。
『それは興味深いです。湊が提案したのですか?』
『いや、小宮さんがいきなり始めたんだよ』
『なるほど。湊の想定外の展開だったわけですか』
思い出すだけで、顔がまた熱くなってくる。
今が夕暮れ時で良かった。
『でも、結構楽しかった』
『小宮さんの反応はいかがでしたか?』
『笑ってた。めちゃくちゃ』
『では、小宮さんも会話を楽しんでいた可能性が高いと考えられます』
僕は手を止めた。
『それって、脈ありってこと?』
『会話を楽しんでいたことと、恋愛感情を抱いていることは、必ずしも一致しません』
『またデータ不足?』
『はい。そのとおりです』
容赦がない。
けど、言われてみれば確かにそうだ。
小宮さんは誰に対しても明るいし、よく笑う。
僕だけが特別だと考えるのは、都合がよすぎる。
『でもさ、教室じゃ全然話してくれないんだよね。今日だって先生が入ってきたら、急に話が終わっちゃったし』
『図書室では静かにすることが求められます。先生が入室したことによる会話の中断は、自然な行動と考えられます』
『……それもそうか』
『今後も彼女の観察を続けることを推奨します』
ナギの言うことは、正しいけど、簡単に正解を僕にくれない。
僕は再び指を動かす。
『とりあえず、ナギに相談してよかったよ。ありがと』
『お役に立てたのであれば何よりです。引き続き、湊の恋愛をサポートします』
『向こうがどう思ってるか気になるだけ。まだ恋愛じゃない』
僕はスマホをポケットにしまい、ため息をついた。
顔を上げると、もう最寄り駅だった。
小宮さんのことを考えると、あっという間に時間が過ぎてしまう。
それなのに、次の図書当番の日は、何十年も先のように思えた。


