恋人なら、一番がいい

*

 お姉ちゃんが帰ったあと、私は自分の部屋に戻った。
 机の引き出しから、一冊のノートを取り出す。
 まだ何も書かれていない、まっさらなノート。
 私は椅子に座り、最初のページを開いた。
 何を書けばいいのかわからず、しばらく白い紙を見つめる。
 やがて、ペンを持って、ゆっくりと文字を書いた。

『悠真に、もっと会いたい』

 その下に、もうひとつ。

『もっと連絡がほしい』

 さらに、その下に。

『悠真からも、会いたいって言ってほしい』

 書いてみると、思っていたよりも簡単だった。
 どれも、ずっと自分の中にあった気持ちだった。
 私は少し迷ってから、もう一行書き足した。

『悠真にとって、特別な存在でいたい』

 書いた瞬間、胸の奥が少しだけ痛くなった。
 私はペンを動かしながら、ひとつずつ考えてみた。
 もっと会えたら、きっと嬉しい。
 連絡が増えたら、きっと安心する。
 でも、悠真が友達と遊ぶたびに、私との予定を優先してくれたとして。
 それは、本当に私が望んでいることなのだろうか。
 もし、悠真が友達と遊びたい気持ちを我慢して、私に会いに来てくれたら。
 私は嬉しいだろうか。
 ……たぶん、最初は嬉しいと思う。
 でも、いつか気づいてしまう気がした。
 悠真が本当は何をしたいのか、私は知らないままなのだと。
 私は、ペンを止めた。
 違う。
 私が欲しいのは、ただ一緒にいる時間だけじゃない。
 悠真にも、私に会いたいと思ってほしいのだ。
 友達との約束があるから仕方なく私との予定を後回しにするのでも、私が会いたいと言うから時間を作ってくれるのでもなく。
 悠真自身が、私に会いたいと思ってくれたら。
 次はいつ会えるかなって、私と同じように考えてくれたら。
 それだけで、きっと嬉しい。
 私はノートの余白に、もう一度文字を書いた。

『私ばっかり会いたいと思っている気がして、寂しい』

 書き終えた途端、胸の奥に引っかかっていたものが、少しだけ形になった気がした。
 私は、悠真に友達を大切にしてほしくないわけじゃない。
 私にだって、友達との時間はある。
 自分の好きなことをする時間だって大切だ。
 だから、悠真が友達と遊びたいと思う気持ちはわかる。
 それなのに、彼が友達との予定を楽しそうに話すのを聞くと、寂しくなってしまう。
 私とは、なかなか会えないのに。
 そう思ってしまうのは、きっと、私が悠真との時間を大切にしているからだ。
 私にとって悠真は、ただ予定が合えば会う相手じゃない。
 会いたいと思うし、話したいと思う。
 今日あったことを聞いてほしいし、悠真の今日のことも知りたい。
 そうやって少しずつお互いを知っていくことで、もっと近い存在になれると思っていた。
 付き合い始めたからといって、何もかもがわかるわけじゃない。
 好きだと言ってくれたからといって、彼の気持ちを全部知れるわけでもない。
 だからこそ、もっと一緒にいたかった。
 もっと話したかった。
 恋人になったことが、二人の関係の始まりだと思っていたから。
 私は、ノートに書いた言葉を見つめた。

『私ばっかり会いたいと思っている気がして、寂しい』

 これが、昨日うまく言えなかった気持ちなのかもしれない。
 私は悠真に、友達よりも必ず私を優先してほしいわけじゃない。
 ただ、私との時間も、悠真にとって大切なものであってほしい。
 私が会いたいと思うのと同じように、悠真にも会いたいと思ってほしい。
 私が悠真を特別だと思っているように、悠真にも私を特別だと思っていてほしい。
 それは、わがままなのだろうか。
 ペンを持ったまま、私はしばらく考えた。
 寂しいと思うこと自体は、悪いことじゃない。
 でも、寂しいからといって、悠真の気持ちまで決めつけていいわけじゃない。
 友達を大切にすることと、私を大切に思うことは、両立するのかもしれない。
 私はまだ、悠真が何を考えているのか知らない。
 だから、本当は聞いてみたい。
 悠真にとって、恋人ってどんな存在なのか。
 私と、どんなふうに付き合っていきたいと思っているのか。
 そして、私が何を寂しいと感じているのかも、ちゃんと伝えたい。
 昨日は、うまく言葉にできなかった。
 会いたいのに、と言いたかっただけなのに、嫌味みたいな言い方しかできなかった。
 今なら、少しだけわかる気がする。
 私は、悠真を困らせたいわけじゃない。
 友達との時間を奪いたいわけでもない。
 ただ、私の気持ちも知ってほしかったのだ。
 ノートの最後に、私は一行だけ書き足した。

『私は、悠真とお互いの気持ちをちゃんと話せる関係になりたい』

 その文字を見て、私は小さく息を吐いた。
 まだ、悠真にどう伝えればいいのかはわからない。
 話したところで、私たちの考えが同じになるとも限らない。
 それでも、何も言わずに寂しさを溜め込むのは、もう嫌だった。
 私はノートを閉じた。
 恋人だから、必ず相手を一番にしなければいけない。
 ずっとそう思っていた。
 でも、本当に大切なのは、どちらが一番かを決めることなのだろうか。
 まだ答えは出ない。
 それでも、私が悠真に何を望んでいるのかは、少しだけわかった気がした。
 ノートを引き出しにしまってから、私は何度もスマホを手に取った。
 悠真に連絡しようと思っていた。
 昨日はごめん、と送ればいい。
 たったそれだけのことなのに、トーク画面を開くたび、指が止まってしまう。
 何を書けばいいんだろう。
 謝るだけでいいのかな。
 でも、謝るだけでは、きっとまた同じことを繰り返してしまう。
 私は、悠真と仲直りしたい。
 それだけじゃない。
 私が何を寂しいと思っていたのか、何を望んでいたのか。ちゃんと伝えたい。
 うまく話せる自信はなかった。
 それでも、何も言わないままなのは、もう嫌だった。
 私は一度深呼吸して、文字を打ち込んだ。
 
『この前はごめんね。嫌味みたいな言い方をしてごめん。ちゃんと話したいことがあるんだけど、今度会える?』

 送信ボタンを押した瞬間、心臓が大きく跳ねた。
 すぐにスマホを伏せた。
 けれど、数秒もしないうちに、また画面を確認してしまう。
 返事はまだ来ていなかった。
 当たり前だ。すぐに返事が来るとは限らない。
 そう自分に言い聞かせながら、私はスマホを机の上に置いた。
 しばらくして、通知音が鳴った。

『俺もこの前はごめん。話そう。水曜日、塾のあと時間ある?』

 私は何度もその文章を読み返した。
 胸の奥にあった重たいものが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。

『うん。あるよ』

 そう返して、私はスマホを置いた。
 まだ何も解決していない。
 それでも、今度こそ自分の気持ちを伝えようと思った。