恋人なら、一番がいい

 日曜日。
 カーテンの隙間から差し込む光が、いつもよりまぶしく感じる。
 せっかくの休日なのに、何かをする気にもなれず、私は布団の中でぼんやりと天井を見つめていた。
 今日は、悠真が友達と遊びに行く日だ。
 仲直りしたい気持ちはある。
 けれど、自分から連絡するのもなんだか悔しくて、結局、スマホを確認するだけで何もできずにいた。
 私は小さく息を吐いて、ようやく布団から抜け出した。
 顔を洗って、寝癖を直して、リビングへ向かう。
 すると、聞き慣れた声がした。
 
「莉子、おはよう!」
「……え?」
 
 リビングをのぞくと、ソファに座っていたいとこのお姉ちゃんが、にこにこと手を振っていた。
 
「お姉ちゃん⁉︎ 来てたの⁉︎」
「うん、さっき来たところ」
「聞いてないんだけど!」
「お母さんが連絡したつもりだったんじゃない?」
 
 お姉ちゃんはそう言って、足元に置いてあった大きな袋を持ち上げた。
 
「これ、お母さんが持っていけって。野菜いっぱいもらったんだって」
「また? この前もいっぱいもらってなかった?」
「ね。うちも野菜畑になりそう」
 
 お姉ちゃんは困ったように笑った。
 小さい頃からよく遊んでもらっていたお姉ちゃんは、大学生になった今でも、こうして時々家に顔を出してくれる。
 友達とも親とも少し違う、気を張らずにいられる相手。
 学校のことも、好きな人のことも、何でも話せる。
 少なくとも、話してもいいと思える相手だった。
 
「莉子、なんか眠そうだね。まだ寝てた?」
「ううん、起きてたよ」
 
 そう答えながら、私はソファの隣に腰を下ろした。
 お姉ちゃんが来てくれたのは嬉しかった。
 けれど、頭の片隅には、ずっと悠真のことが残っていた。
 今日は、友達と遊んでいるんだろうな。
 そんなことを考えてしまう自分が嫌で、私は小さく息を吐いた。
 しばらくは、大学の話や最近見たドラマの話で盛り上がった。
 いつも通りに笑って、いつも通りに相づちを打つ。
 けれど、ふとした瞬間に、やっぱり悠真のことが頭をよぎった。

「……莉子?」
「え?」

 顔を上げると、お姉ちゃんが不思議そうに私を見ていた。

「なんか今日、元気なくない?」
「そんなことないよ」

 反射的に答えた。

「ほんとに? さっきから、たまにぼーっとしてるよ」
「……そうかな」

 笑ってごまかそうとしたけれど、お姉ちゃんはそれ以上に何かを言うでもなく、私の顔をのぞき込んだ。

「もしかして、恋愛関係?」

 その言葉に、心臓が小さく跳ねた。

「……なんで?」
「当たり?」

 お姉ちゃんは少しだけ笑った。

「いや、なんとなく。違ったらごめんね」

 私は迷った。
 誰かに話したところで、何か変わるんだろうか。
 でも……自分の中だけで考えていると、同じことばかりが頭の中を回ってしまう。

「……彼氏と、ちょっと喧嘩しちゃって」

 気づけば、そう口にしていた。

「そっか。何があったの?」

 私は塾の帰りにあったことを話した。
 久しぶりに悠真と塾の帰りが一緒になって、嬉しかったこと。
 次にいつ会えるのか気になって、日曜日の予定を聞いたこと。
 悠真には友達と遊ぶ予定があって、それを楽しみにしていたこと。
 そして、つい「私とは、あんまり会えないのにね」と言ってしまったこと。
 話し終えると、お姉ちゃんは少し考えるように黙った。

「そっかあ」

 やがて、そう言った。

「莉子は、もっと会いたかったんだね」

 その言葉を聞いて、胸の奥がきゅっとなった。

「……うん」

 たったそれだけのことなのに、声が少し震えた。

「でも、悠真くんが友達と遊ぶのも、別に悪いことじゃないんだよね?」
「うん。わかってる」
「うん」

 お姉ちゃんは否定も肯定もしなかった。

「じゃあ、何が一番悲しかったんだと思う?」

 私は答えようとした。
 けれど、言葉が出てこなかった。
 会えなかったこと。
 友達との予定を優先されたこと。
 自分との時間を、もっと大切にしてほしかったこと。
 どれも間違いではない気がする。
 でも、それだけではないような気もした。

「……わかんない」

 結局、そう答えるしかなかった。
 お姉ちゃんは「そっか」とうなずいた。

「じゃあさ、莉子は恋人と友達だったら、どっちを優先してほしい?」
「……恋人、かな」
「どうして?」

 私は顔を上げた。

「どうしてって……恋人だから?」

 口にしてから、自分でも少し曖昧だと思った。
 お姉ちゃんは笑わなかった。

「うん。恋人と友達は違うもんね。私も違うと思うよ」
「……うん」
「でも、どこが違うんだろうね?」

 また、答えられなかった。
 恋人だから、友達より特別。
 それはずっと当たり前だと思っていた。
 でも、特別って何だろう。
 友達よりもたくさん会うこと?
 連絡をたくさん取り合うこと?
 予定が重なったら、自分を選んでくれること?
 それとも、自分から言わなくても、相手のほうから会いたいと思ってくれること?
 考えてみても、どれが一番大事なのか、よくわからなかった。

「……私、わがままなのかな」

 ぽつりとこぼした言葉に、お姉ちゃんがこちらを向いた。

「どうしてそう思うの?」
「だって、悠真には悠真の友達がいるし、友達との時間も大事だと思うし……。私だって、友達と遊ぶことはあるし」
「うん」
「なのに、悠真が友達と遊ぶって聞くと、寂しくなる。私と会う時間も、もっと作ってほしいって思っちゃう」

 言葉にすると、自分の気持ちが少しずつ形になっていく。

「恋人だからって、何でも私を優先してほしいって思うのは、違うのかなって」

 お姉ちゃんはすぐには答えなかった。
 少し考えてから、ゆっくりと言った。

「私はね、寂しいって思うこと自体は、別にわがままじゃないと思うよ」

 私は顔を上げた。

「でも、相手にも相手の気持ちがあるでしょ? だから、自分が寂しいことと、相手に何をしてほしいかは、分けて考えてみてもいいんじゃないかな」
「……分けて?」
「うん。寂しいのは本当なんだよね。だったら、そこは無理に否定しなくていいと思う。でも、どうして寂しいのかとか、相手にどうしてほしいのかは、もう少し考えてみてもいいんじゃない?」

 お姉ちゃんの言葉を、私は頭の中で繰り返した。
 寂しいのは、本当だ。
 それをなかったことにしようとしても、昨日だって泣いてしまった。
 でも、どうして寂しいのか。
 どうして、悠真にもっと会いたいのか。
 どうして、彼からも会いたいと言ってほしいのか。
 私は、その答えをまだ知らなかった。

「……どうやって考えたらいいんだろう」
「ノートに書いてみたら?」
「ノート?」
「うん。頭の中で考えてると、同じことばっかりぐるぐるしちゃうことってあるじゃん。だから、思ってることをそのまま書いてみるの」

 お姉ちゃんは、自分の頭を指で軽くつついた。

「誰かに見せるものじゃないんだから、きれいに書かなくていいし。『会いたい』でも『寂しい』でも、思ったことをそのまま」
「それで、何かわかるかな」
「すぐに答えが出るとは限らないけどね。でも、書いてるうちに、自分でも気づいてなかった気持ちが見つかるかもしれないよ」

 私は少し考えてから、うなずいた。

「……やってみる」
「うん。焦らなくていいと思うよ」

 お姉ちゃんはそう言って、私の頭を軽くなでた。
 その手が、昔と変わらないことに、少しだけ安心した。
 悠真が悪いのか、私が悪いのか。
 どちらかを決めなくても、いいのかもしれない。
 今はただ、自分が何を感じていて、何を望んでいるのか。
 それを知ることから始めてもいいのかもしれなかった。